天変地異 Ⅱ
来たる10月16日。その夕方頃。
強い風が吹いて雨が降り出したあたりで私はその川沿いへと向かった。あの子供にはヒュプノスとオネイロスがついている。だから、大丈夫。
「………」
強風でこちらの身につけているローブがはためく。周りに人間達は、今のところ居ない。ちゃんと家の中へと避難している。…本当に、他の人間に興味などなく御影堂紫苑しか狙っていないのだろう。他の人間を取り込まれてしまったら事だと思っていたが、そこに力は割いてないらしい。
「…
桜並木に挟まれた川が、少しずつ波立つ。そのまま、嵐の中待ち続けてどれくらい経っただろうか。
川の表面が、ぐわりと隆起した。
「…来た。」
隆起した水の中で、レーテーの眷属――小さなレモンイエローの魚群達が群れて、水の中を回遊する。大きな女性の形をとった水の中に彼女は居た。
「……お久しぶりね、お兄様。」
その言葉の後、ほどなくして大量の水がこちらに向かって噴射される。あまり好戦的ではないように見えるこの
ここであの小娘なら空間の施錠やらを使って防いだのだろう、と思う。だが私は本当に術式に疎い。この前の弟との会話で覚えたのも本当に2つ程度だった。…躍進では、あるのだが。だから――
「……タナトス様。貴方、術式に頼らずにわたくしの放った水流を跳ね返しまして?」
「…切り刻めば、大抵はどうにかなる。私にはこれしかない。」
私は、基本的に術式を用いない。覚えているのは、本当に3つだけ。
他は全て、純粋な身体能力で補ってきた。それに関しては、弟はもちろん、この
「…あらあら、まあまあまあまあ、まあ…!本当にご自分の強みをわかっていらっしゃるのね、貴方。なら、これは如何かしら。これも、わたくしの箱庭なのだわ」
大きな水の球がゆっくりと飛んでくる。
これは、おそらく焦ってはいけない。鎌をゆっくり、ゆっくり振りかぶって――
「…
空気の刃が当たったその水の球が、霧散する。
ニンフの類がたまに用いる拘束の術式だったのを覚えていてよかった。これはそのまま斬撃を当てるとこちらの手足を宙に固定してくるものだったはずだ、確か。前に捕まったことがある。
「対応力に優れていらっしゃるのね、タナトス様。こんなに楽しいのは久方ぶりよ、ふふ!」
「…こちらとしてはあまり楽しませたくはないのですが。でも、そうだな。時間があまりない…故に、手短に行かせていただきます。」
地面を蹴って、跳ねる。
斬撃の準備はできている。先ほどの水流は刃自体には掠っていない。故に、まだ水を跳ね返せる。
構えて、そのまま一気に。
「
――その水の身体に、斬撃は入っていなかった。
それを示すかのように彼女は無邪気に笑う。
「わたくしの今の身体は大きいものね、少し刃が通りにくかったかしら」
「……いえ、これでいいのです。私が斬ったのは貴女の身体ではない。――その髪と精神だ」
その言葉を吐いた瞬間、レーテーが目を見開く。
ぱさりと斬られた髪が、水の中で揺蕩う。
隆起していた川の水も、今は少し波立っているだけ。彼女は目を見開いたまま、目玉を上向きにして川の中で静かに横たわっていた。
「……役目は、終えた。…
その文言を唱えてすぐ、宙に浮かぶ棺4つが回りながらレーテーの身体を囲む。
これは、私が昔からずっと覚えていたものだ。使い道としては色々あるが――ああ、いや。
「空間転移。」
レーテーの身体が、川の中から消える。
あとは、優秀な弟達に任せるとしよう。
タナトスとレーテーの対峙するさまを見ていたボクの方に、レーテーの髪に縫い付けられた精神と抜け殻になった彼女が空間転移で送られてきた。
「お、タナトスの奴、こんなに早く沈静化したんじゃん。さっすが〜〜。」
オネイロスとちびっこの方に何かあるといけないので、完全に別の空間を用意して観戦も準備も楽しんでいたのだが。
「起き出す前にどーにか寝かしつけなきゃな」
まあ、この仕事自体はとっても簡単。いつもやってることの焼き直しだから。
レーテーの目元に手を翳して、…本当は押し付けてやるのが一番いいんだけど。
そのまま静かに。聴覚から精神に訴えかけるように言葉を紡ぐ。まあ、内容としては。頑張ったね、とかよく眠れ、とか、そういう。完全に嘘ってわけではない。あいつの昔を見て、少し、ほんっっの少し見方を改めたところはあるし。だから、ちょっとくらいはこう言っていいことにしてやる。
「…Sweet Dream」
見開いていた目を守るように、レーテーの瞼が落ちる。
さて、ここからだ。期待のルーキーたちに頑張ってもらう時間。がんばれよ、ちびっこ共。
訪れる終わりに、勝ち確BGMが流れる未来まではきっとあと少しだった。
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