束の間、日常 Ⅳ

その朝は、神格が出払っていて誰も居なかった。

いや、僅かに布擦れの音と刃物の音がしたので1人だけそこの部屋――タナトスが昔寝泊まりしたことのある部屋におそらく当人がいる。


「…小娘か。おはよう、…もしや起こしてしまったか。一度仕舞うか、お前が怪我をするといけない」


予想した通り、そこにはタナトスが居て――床に大きな鎌を横たえていた。周りには砥石のようなものと、布と、潤滑油のような…おそらくメンテナンス用の何かしらがずらりと並んでいる。

 

「おはようございます、死神さん。…それ、鋏じゃないですね。…所謂大鎌デスサイズというやつでは。しまわなくてもいいですよ。あまり好奇心で動かないようにするので」

「デスサイズ…死神の大鎌というのは現代だとそういう呼称で呼ばれるのだな。捉え方や解釈はどうあれ、人間もこれを取り入れたいと思ったのか。…ふふ、面白い。」

「年頃の子はみんな好きですよ、大鎌。わたしも昔ゲーム内で使ってました。懐かしい。」


聞けば、わたしの寝静まった頃に定期的にタナトスは武器のメンテナンスをしているそうだった。

その理由としてあるのは、災厄レーテーの事だったり、他にも対処するべき事象がこちらに向かってきた時に即座に対処できるように、ということらしかった。

 

今回は前者の理由でメンテナンスをしているようで、静かに大鎌の刃を砥石に滑らせながらタナトスが語り出す。


「…災厄の話をしようか。…あのひとは、元々は身体などなかった。人の信仰というよりは、忘れたいという苦しみが彼女の形を作った。だから、私や弟よりも少し歪で不安定なんだ。おそらく彼女は身体を得ることを、完全な信仰と神性を望んでいる。だが、それは生ける者にとって破滅的な終わりを多分にもたらすことになる。…それを抑止するのが、今回の私達だ」

「…わたしも調べましたよ、レテの河。人の魂の記憶を洗い流す、忘却の水流。多分、もう与えられた役割を十分にこなしているのに、さらに人の記憶を拐おうとしているんですよね。…それは、災厄って呼ばれるかもしれません。…でも。」


でも?と言いたげに首だけ傾げるタナトスの方を向いて、また話す。


「あの人、ずっとお腹が空いてるんですよ。レーテーさんと一緒にご飯食べに行く機会が不本意ながらあったんですけど。多分、あの女の子の形になるのってすごく体力使うんでしょうね。」

「…そうだな。肉に寄せた器を持たなかったんだ、あのひとは。俗にニンフと呼ばれるような…水でできた身体を持つそんな存在だよ。」


ふー、と息をつくタナトスがこちらを向く。

「本来水の身体に刃というものは通らない。今もあのひとに血を流させてやろうだとか、そういう目的でこの手入れをしているわけではない。……ただ、優秀な弟達が苦労をしないように繋いでやりたい気持ちはあるんだ。だから、もう少し――」


きゅるるるるる。


…タナトスが言葉を続けようとした時にこちらのお腹が鳴る。…人前でお腹が鳴るって通話越しでも恥ずかしいのに、普通に好きな人の前で鳴らしてしまった。タナトスが少し驚いたように目を見開いてから、その双眸を細める。


「…そうだな、もう昼だな。一度休憩にしようか…外に何か食べにでも行くか?かき氷の季節にはまだ当てはまると思うが」

「…それ、覚えてるんですね。このお店、ここの建物の2階にあるところ。ここ、とんでもなく大きい上にふわふわの氷のかき氷が食べられるんですよ。…死神さんがちょっとくらい並ぶのも平気だったら行きましょう」

「ふわふわ…綿とはまた違うのだろうな。並ぶのは、いい。食感のことを聞いて気になった。――行くぞ、小娘」


それから、ヒュプノスとオネイロスの作った羊と白いドラゴンのストラップがついた小さなバッグを持って外へ出る。前はあんなに眩しかったタナトスの人間のものに寄せた私服も、今は目にしても平気になっていて嬉しかった。


「このかき氷、マスカットが乗りすぎじゃないですか…?これ食べたら贅沢すぎですよーって逮捕状出たりとかしません?殺される?」

「…大丈夫だ。メニューと何ら変わらない。写真は撮らなくていいのか」

「あっ、忘れてました。SNSのアイコン、久々にこういうのにしてもいいかもしれない。」


店に着いてからは、窓際のカウンター席から歩く人々を眺めたりお互いの顔を見ながら話していた。

このかき氷は冷たいのに口の中でふわりと溶けて面白いなと思って口にしていると、タナトスの側も同じ事を思ったらしい。目をいつもより少しだけ開いてスプーンで氷を掬っていく。


「死神さん、寒くないですか。体の芯から冷え冷えになっちゃうセレクトではあったので、これ」

「………私は、終わりそのものだからな。元々お前のような命の隣にいること自体が珍しい、寧ろ冷え切った場所にいるのが何時もだよ。――でも。」

「…でも?」

「“これ”は冷たいはずなのに温かいな。お前といると私だけでは上手く言い表せない物に当たって面白い」


ふ、と目を細めて笑うタナトス。

この人は本当に、最近はよく笑うようになった。

たまに口を開けて笑う時に牙が見え隠れしているだとか、そういうのを見てわたしも嬉しくなる。


「死神さん」

「なんだ小娘、もう店を出るか。」

「はい。…あの、人も多くなってきて、はぐれちゃうかもなので。死神さんと手を繋いで帰ってもいいですか」


タナトスの動きがほんの一瞬止まる。それはおそらく、困惑なのか、もしくは逡巡か。


「いいぞ、…この黒手袋から上の肌の部分は触らないように。お前の手が必要以上に冷える上に、お前の生気も少し吸い取ってしまうから」


許された。逡巡していたのはわたしの身を慮ってのことらしかったが、おそらく昔にこんな事を言っても了承はされなかった気がする。


「わーい。こう並ぶとマジの親子みたいな身長差になりますよね、30cm差」

「親子にしては大きすぎるだろう、ふふ…」


少しずつ、少しずつ。

無理に暴いてしまった後からも彼の中身を知れていて、うれしい。


「おうち帰ったら、ご飯作りと対策会議、またしましょうね」

「ああ、今休んだ分はしっかり働くよ」



もう、1週間もしたら10月だった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る