暴かれよ羊飼い Ⅳ

私は、死だ。物事の終わりの象徴だ。

 

終わりを拒絶する人間や神格というのは、一定数存在する。昨日まで元気だったペットが急に翌朝になると揺すっても起きなくなり、それで数カ月は苦しむ飼い主…あたりが分かりやすい例かと思う。自分の好きなものが営みを終えてしまうのは、私だって少しは悲しい。よくわかる。


だから、ヒュプノスがおわりを拒絶していながら――エンデュミオンという人間の魂を自分の手元に置いたままで死なせようとせずに――私を慕っているのが、まだどういうことなのか、分からずにいる。



 


初めは驚いた。昔、いつも通り伝書が来たと思ったらヒュプノスと年若い人間が交際を初めたということだったから。データを確認しに行くと確かに彼は普通の人間で、単純にヒュプノスが打算ではなく人間に心を割いているとわかった。


1ヶ月毎にヒュプノスは写真を送ってきた。

小高い丘に行ってきただとか、海に行ってきただとか。私の知る本当に幼かったころの彼すらここまで日常を記録しているのは見たことがなかったから、返せはしないものの微笑ましく見ていた。


その、6年後と少し。

ヒュプノスからしばらく伝書が来なくなった。何かあったのかと心配になったが、私は仕事で彼のところへは行けなかった。――人間が生存しているか確認するリストでは、エンデュミオンは存在している。きっと喧嘩をしたのだと思うことにした。


その、人がとっくに骨になるような数十年の時間が経った後。ふとあの人間――エンデュミオンの事が気にかかってリストを確認する。

「……まだ、リストの中に名前がある…」

身体が人間でなくなっていればそもそもこのリストからエンデュミオンの名前は消えている。…ヒュプノスは何をしたのだろうと、不安になった。


そこから、時は流れて現在。

たまたまあの小娘の元を離れてヒュプノスと実家にあたる場所で二人きりになる機会があった。


――ドア越しに私達以外立ち入らない部屋から、ヒュプノスだけの話し声がした。彼の声色がいつもよりずっと柔らかい。それを静かに聞いていた。


「浮気〜?まさか。ボクには本当にエミィだけなのに。あの受精卵に嫉妬しちゃったの?可愛いところあんじゃん」


「大丈夫だって。ちゃんとボクの力でお前も起きて話せるようになって、あの中の一員に加えてやるからさ。はは…」


会話の内容を聞くに、おそらくヒュプノスの近くにいるのは彼の力で無理やり人の形を保たせられたエンデュミオンだろうと推測がついた。


ヒュプノスを傷つけるのは、本当に怖かった。

でもその私の意気地のなさで傷ついた彼を知った後では、ここで出るしかないと考えて――


彼の話し声がする中、ドアを開けた。



「…お兄ちゃんじゃ〜ん、どしたの。もう仕事してるもんだと思ってたのにな」

「……ヒュプノス、お前の隣にいるのは――前に写真で送ってくれた少年だな。」

「あ〜…そう、だね。今でも若くてかわいいままでしょ。本当にかわいくてさ、ボクの話ずっと聞いてくれてさ…」

「もう、彼には意識がない。体の中に魂が留まっているから肉体の成長も劣化も止まっているだけで、彼は――」

 

私がそう言うとヒュプノスの口元が横にぐにゃりと開いて、少し口角が下がる。


「…ねえタナトス、お前にこういう事頼むのはよくないのも…わかってるよ。でもさ、本当に大切なんだ。おねがい、この子のこと――連れて行かないで」


ずっと、弟は私に隠し事をしていたのだ。

そして、ここで彼の言葉に従ったとしても彼は救われない。でも。


ここで私がエンデュミオンの魂を天に還すことがあれば、彼はきっと壊れてしまう。


「…連れて行かない。」

「…え。」


ヒュプノスが大きな目を更に見開く。

彼が二の句を継げないうちに、言葉を続ける。

「――私達は、今から共犯者だ。ひとりの人間のかたちをした罪を背負う、許されざるもの。」

「………あ、…あぁ。」

 

ヒュプノスが涙を流して、こちらに縋ってくる。

「……オネイロスもさぁ、こうだったんだよ…。ボクがこうやって痛いとこ突かれたあとにガキみたいに駄々こねて泣いてさ、それを受け止めてくれた。……ほんと、いつまで経ってもボクは子供だよ」


「…罪というのは、戒めでもある。この人間つみの事が大事であればあるほど……、繰り返さないだろう。」

「うん、うん……そうだね。一緒に背負ってくれて、ありがとう。ずっと言えなくて、ごめん。」


啜り泣くヒュプノスの身体を抱きしめて、言いたかった言葉をやっと吐きだす。

「私は、お前のことが本当に大切だよ。」


彼は、泣き笑いのような顔をして抱きつき返してきた。




わたしが目を覚ますと、タナトスもヒュプノスも出払っていた。夢にも、オネイロスはいなかった。

オネイロスは、わたしの横で静かに熟睡している。ここまで静かなら、また明晰夢の世界に意識を接続しているのかもしれない。

「…朝。静かだ。」


なんだか今日は人がいなくてさみしいな、と思いながらベッドの上の布団を整え直す。

「睡魔さん、大丈夫かな…」


「ボクがなんだって〜?おはよ、ガキ」

わたしの言葉のその先を見透かしたように、もしくは言わせない風にヒュプノスの声がした。

「わっ!不意打ちすぎますって、…あ。死神さんも、おかえりなさい…」

「ああ、今帰った。遅くなって済まないな」

「今日はボクが飯作ってあげるね〜。ペペロンチーノでいい?」

「オネイロスの分だけは別のものがいいかもな、あいつはそこまで辛いのは得意じゃなかった」


映画館にいた時の最後の方のヒュプノスの表情の翳りは、消え失せていた。

多分わたしが立ち入れない中で何かが解けたのだろう。大丈夫なら、よかった。


でも、それでも。

「…なんか死神さんと睡魔さん、距離近くなりました?」

「ガキをこうやって弟に任せてふたりで朝帰りしてる時点で察してほしいよね〜。やーい」

「誤解を招く表現はやめろ、よりによって子供の前で。…でもそうだな、話したいことは話せた」


……本当に大丈夫だったらしい。



ヒュプノスの瞳を覗き込んだときから少し日常が揺らいだと思ったけど、また元に戻った。


「朝帰り、不純ですよ。レーティングが困ったことになるじゃないですか。」

「無意味なレーティングに意味を付与してやって何が悪い〜!あはははっ、あー面白」

「うー…おはよ、にいちゃん。あさがえり…?」

「お前は知らなくていいからな、オネイロス…」

 

尊い日常を、大切な人と一緒にいられる時間を、壊したくないなとわたしは小さく願った。

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