暴かれよ羊飼い Ⅲ

退屈だった。


願わなくても勝手に果実が収まる掌、勝手に追い縋ってくる有象無象。


何かを追いかけてみたい、そんな夢は棚の本を背伸びで手に取れるようになった頃には消え失せていた。




ボクが生まれた時は、お兄ちゃんもその隣に抱えられていた。淡い金色、深い夜色の髪の似ても似つかない髪色の双子が産まれたときは、それはもう驚かれた。



ボクの物を覚えるスピードが異様に早いことに最初に気づいたのは、いつも傍にいた兄だった。

ボクが先人のやり方を完璧にトレースするだけでは気が済まずに、さらなる精度向上と効率化を図ったことに気づいた、って。そこですぐ気づくお兄ちゃんも切れ者だと思うんだけどな、正直。


このギリシアの地に生まれてから独自の魔術式を得るまでの期間は、実に2年ほど。


…ああ、勘違いしないでよ。ボクったら完璧主義だから、最高傑作になるまでちょっと時間がかかっちゃっただけなんだ。

平気で5桁歳生きる長命種からしたら2年なんて人間からしたら2ヶ月…いや2時間くらいのものなんだから、っていうのは言い訳がましいかな。


今だったらキミ…人間に合わせて2時間でなんか作ってあげるけど。


まあこういうわけで大天才ヒュプノスさんだったからボクには変な虫が大量に湧いて、それがボクという神格をどんどん腐らせていった。人を疑うことを知らなかったお兄ちゃんは変な虫のヒエラルキーの頂点にボクを置くことを良しとして離れていくし、もう散々だよね〜。はは。


そう、もう退屈も退屈でさ〜。

纏わりつかれてもぶっ殺さずにいたんだけどあいつら無限に湧いてくるもんだからいい子のフリができなくなってきてさ。ちょ〜っと雷落としたら大人しくなって、姿を眩ませてもよくなって、結果楽ちんになったよ。


ま、楽になったらなったで暇してて。

雲の上から下界見てんの。


雲の上から眺める、雲みたいな羊が居る一つの村。その時にボクの目に際立って見えたのが、柔い光を放つ銀色の頭部―ある一つの村に住む羊飼いの少年のそれだった。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


とにかく、退屈だった。でもどこにも顔は出したくなかった。そういう時に眺めていたのがその柔い銀色の髪の少年だった。


首を傾げるようにして下に視線を向ける。


うええ、と少年から聞こえる珍妙な鳴き声。

『牧羊犬に吠えられて泣いてら、ヘタレだな〜』


足の悪い老婆を背負って歩く少年の姿。

『たかだか50mくらいなのにねえ』


少年がオーバーリアクションで笑ったり泣いたり驚く姿。

『リアクションで金取れそう〜。一種の娯楽になるね。』


よく聞こえる、少年の明るい笑い声。

『…………』


こいつのこと、気になるな。ボクくらいの存在が目の前に現れてやったらこいつは一体どんな顔をするんだろう。気になる。


ひとまず、ローブを纏って下界―少年の居る村へと降りることにした。


そこからここ数桁年より濃密な数年間を過ごすことになるとは、思いもしなかったのだ、ボクは。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


下界に降りたその時は夕方で、少年は羊を畜舎に仕舞っていた。羊が外にいる時に少年を慌てさせながら会話をするのもきっと愉快で良かったけど、第一印象は拘りたかったからね。


少年の居る家の扉が閉まったのを見計らってから、一歩ずつ歩を進めて扉の前で呼び鈴を鳴らす。


ちりんちりん、ちりん。


『…もし、何方かいらっしゃいますか』

『え!はい!いるっすよ、じゃないや、居ます!ご用件をお伺いしてもよろしいっすかね。』

『わたし、旅の者なのですが。』

もしよろしければあなたのお家に一晩泊めてくださいませんかと発した数秒後、扉の開く気配。


おいおいおい、早くない?と内心相手の警戒心のなさを笑いつつ、少年の顔あたりだろうな、という部分に視線を移す。そうなのだ、これがいつも遠くから見ていた少年の顔を至近距離で拝む初めての機会だから。スッと身を屈める。


『こんばんは、旅人さん〜!最近寒いっすからね、外で待たせちゃってすみません!是非あがってくださいっすよ』


…少年の短い銀色の髪は柔らかい灯の光を浴びて少し赤みがかった色で輝き、利発な印象を与えるアーモンド型の大きな目は、瞳が小さく白目がやや多い。よく回る口からは小さく八重歯が覗いていた。整った顔立ちでありながら愛嬌があり、人好きがするという印象を持った。

ぱちりと自分のものとかち合ったその少年の瞳は、美しい金色をしていた。


…まあ、ギリ及第点ってところかな。


と思ったら、自分の顔を舐め回すようによく見られているのを感じた。


『…旅人さん、目ェめっちゃ綺麗っすね』

少年の顔立ちを見ることに集中していて遠くに行っていた意識が引き戻される。相手もまたこちらを観察していたらしい。

もっと見ろ、ボクにもっと興味を持てと言わんばかりに顔を近づける。ローブを取り払う。その時の彼の顔といったら!


『…わぁッ!』


唇が何事か喋ろうとして小さく動いたのが分かった。


少年の行動の面白さに自分の目元と口元がにま、と笑っているのを感じて、咄嗟にあどけないような顔を作る。


『どうしたの、そんなに驚いて』

『…ええッ、いや、だって…!!!』


『こんな完璧以上にキレイな人、天使様じゃねえとありえないじゃないっすか!』


天使様だって!彼のような人間にも、ボクの美貌は人間より上位のものだと本能的に感じ取れたらしかった。

わあ、とか、わー、とか小さな声を漏らしながら目を輝かせてこちらを見てくる様にちょっとした悪戯心が湧きそうになる。


その少年がこちらを見据えて言う。

真剣な面持ちだった。


『旅人さん、あなたのことを天使様って呼ばせてくれませんか。あなたほどキレイな人、見たことねえんです。』


きらきらきら、と擬音が聞こえてきそうな少年の表情。美しい容姿をした素性不明の人物…ボクに対して浮かれきっているのが手に取るように分かった。


それ、口説いてる?とか、お前の人生経験じゃそりゃ見たことないよねとか、普段の憎まれ口はしばらく封印して、いいですよとだけ答える。だって第一印象は良くしておきたいものでしょう?


その了承の言葉にまた、わぁっと無邪気な声を上げる少年。


『天使様、今日はお疲れだと思うんで全然寝ちゃってもいいっすけど朝になったらまた話しましょうねっ!オレのこともたくさん教えるから、天使様のことも知りてえっすよ!』


その少年がにか、と笑う様は、


まるで太陽みたいだった。



…警戒心がなさすぎて心配になったし、間近で見た彼の笑顔はいいしれない感情に襲われるほど魅力のあるもので。


いつか頭からバリバリ喰ってあげたいな、と思って数時間ほど目を閉じた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


その少年は名前を名乗るのを忘れていた!と彼自身の名前を教えてくれた。エンデュミオン、という名前だと云う。


ここに降り立つ前から知っていたよ、というのは言わずに綺麗な名前だね、と褒める。エンデュミオンが嬉しそうに目を細めて口角を上げる。


『え〜!名前褒められるのって嬉しいっすね!天使様はなんてお名前してるんすかね、アルテミシアとかかなぁ…。満ちたお月様みたいなやさしい金色の髪だから』


いつか教えてくださいね、と微笑む。


こいつは無意識なのかわからないけど、こちらを口説いているような気がする。けど、そこには何の計算もない気もする。あと…。


こいつに女として認識されている気がする、先程のアルテミシアといい。女性名だぞそれ。こんなに背の高い女、そうそういないだろ……いや、神格の世界ではザラにいるんだった。


エンデュミオンが頬を少しだけ染めてこちらに話しかけてくる姿は健気で、そして…


『…ぐちゃぐちゃにしてあげたい……』

『?天使様なんか言いました?』

『いや、何も』


危なかった。そう、ボクは内心この無知な少年を虐めたくて堪らないのだ。それは健全不健全どちらの意味でも。


ああ、早くこの生き物を撫でくり回せるようになりたい。泣かせてやりたい。それには性別をきっちり教えてやることがまず先決な気がした。したので、一つ爆弾を落としてやる。


『エミィ、湖で一緒に遊びたいんだけど』

『エ!?!?!湖で!?!?服脱いで湖に入って泳ぐってことすか、エ、エ〜…』


渾名呼びと突然の誘いにとんでもなく動揺している少年を引きずるようにして湖へと連れて行く。湖の揺らめく水面は、相手の心模様みたいだった。


『じゃあ先に入ってるから、入りたくなったらいつでもおいで』


ぱしゃんと水の跳ねる音を残して、沈む。


『エッ、服着たまま入るんすか!?』


そりゃそう。脱いでるとこ見られてそこで男だってわかったら面白くないものね。


…そうだ、角も羽もこいつの前ではオフにしてたんだっけ。出しちゃうか〜。


『おいでよ〜。それとも泳げなかった?』

『う〜…もう知らねえっすからね!』


ばしゃん、ぶくぶくぶく。


水中にぼんやりと見える銀色と半開きになった金の瞳。


意図して口元は笑みの形を作って相手の見た目相応にがっしりした片手を柔く握る。


相手の目がぶわりと見開かれ、何か言おうと思ったのかすぐさま空気の吸える上の方へ浮上するのを追いかける。手は離さないまま。


『…ぷはっ、え、エッ、天使様、男!?』

『今更〜?声の低さで気づけそうなもんだけどな』

『エッあっ、羽!ガチ天使なんすか!?』

『よく見な、角もあるよ。天使には角ないだろ』

『ほんとだーッ!!!!え、じゃあ天使様ってほんとはなんなんすか』

『え〜?そうだな。強いて言うなら…』

あわあわという擬音が聞こえそうな程慌てている彼に軽く抱擁してやる。それが余計に彼を慌てさせたようで、その反応ににまにましながら言葉を続けてやる。


『キミのことがだ~いすきな神様かな』


『はひ…』

上手く言葉を発せなくなった唇、おぼつかない視線の泳ぎ方をした瞳、相手の混乱している様がよく見えるのが面白くて、追い打ちのように相手の唇をなぞった。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


彼――エンデュミオンとの馴れ初めから、暮らしから、…途中から音声がやたら乱れて怖かったけど、総括すると放映されたのはヒュプノス視点の恋愛映画みたいな内容だった。


「今回の上映はここまで〜!!第二部の制作決定にご期待ください、あはは。」


はー、と息を吐き出す。全然話せなかった。 

「……なんか、見ちゃいけないものを見てしまった感がすごいです。同性のパートナーにあたる方がいたんですね、睡魔さんって」

「あー、今もいることにはいるよ?ボクってば天才だから。…エミィは実家のふかふかベッドでおねんねしてるよ。かわいいね〜。エミィの写真見る?見ろよ。」

「あ、ほんとだ…。日付が本当に一ヶ月前とかですね。ぬいぐるみ抱っこしてる。…あれ。」


この子、――起きてるときの写真が全くない。


黙り込むわたしを、首を傾けてにこりと笑いながら眺めてくるヒュプノス。――多分、わたしが違和感を抱いたことに気づいている。

でも、先程の疑念を口にするのは…本当に、ヒュプノスに対して本当に駄目な気がした。


そうしているうちに、彼の声の調子がいつものものに戻る。


「さあさあ、帰ろ帰ろ!お兄ちゃんが心配しちゃうもんねっ」

「え、あっ、はい…」

「…………」


オネイロスも、なんだか静かだ。私よりエンデュミオンについて聞いているらしい分、点と線が繋がっているのかもしれない。


早く、今日は眠ろう。興味本位で触れてはいけない場所に触れるかもしれなかったという危機を回避できた、彼らの心遣いを噛み締めながら。







夜更け、およそ人間の干渉できない空間でおれとヒュプノスは話していた。


「…ヒュプノス。タナトスが心配してた、エンデュミオンの体に留まったままの魂はいつ返してあげるの。…もう、こんなに時間が経って閉じてたらおれでも接続できないよ」

「……やってみなきゃわかんないじゃん。ほら、ボクって天才だし―――いや、わかってるよ。わかってるんだ。もうエミィとボクは話せない。わかってる、わかってる…」


ヒュプノスは、天才だ。でも、天才にもどうしようもできないことだってある。


おれは記憶を失いながらもヒュプノスのことについてずっと教えられていたから、彼についてはよく知っている。ヒュプノスは、エンデュミオンとずっと一緒にいたくて彼が老いないようにその術式――地上の生き物の不老不死を実現するそれを開発し続けていたと話していたことがあった。


おそらく、それは成功したのだ。


それはとても、眠りという神格にとっては最悪の形で。


……いつからかあれだけエンデュミオンの話をしていたヒュプノスから、エンデュミオンの話を一切聞かなくなった。人間に飽きちゃったのかな、と思っていたけど。シオンに見せていた写真で――まだ彼は肉体的には生きていて、そして、精神的にはとっくに死んでいることが分かった。


術式はきっと成功した。彼の身体は朽ちないままに、意識を手放して眠ることで完成した。


それを、彼は悔いている。

天才という自称も、そこではただの自嘲で自虐だ。

 

「大好きなんだよ、本当に大好きだったんだ。なんで、永遠ってないんだろうね。ボク達には飽きるほど与えられるそれが好きな存在にはないなんて、おかしいじゃんね。だから、だからさ――」


弱々しく話すヒュプノスの背中を、彼を真正面から抱きしめながら叩いてやる。おれにできることは、これくらいしかない。


ヒュプノスの傷は、きっとずっと癒えない。…誰よりも強くて誰よりも脆い彼を守れる神様になりたいと、心から願った。

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