暴き出せ追憶 (後編)

気がつくとわたしは文明が発展する前の、ほぼ更地のようなところに立っていた。


まだ人は入らず、数だけが余っている神殿?のようなところで、ぼんやりとした暗闇と綺麗な女の人が…二人の赤ん坊を抱えていた。


「綺麗な夜色の髪に、綺麗な月光みたいな髪ね」

「……………………」

「そうね、この子はあなたにそっくり。ふふ。」

「……………………?」

「この子たちはどんな神格になるんでしょうね」

暗闇の方を向いて、女の人は何か話している。


手持ちのスマホが、何故か機能する。

おそらくこれは。…推測が間違っていなければ。

 

――「タナトス ヒュプノス 親」。

検索をかけて、無事に結果がヒットした。

「幽冥の神、エレボスと…夜の女神、ニュクス」


女の人の方がニュクスで、このぼんやりした暗闇がエレボスなのだろう。原初の神の娘、と記されているように、その姿は一種の芸術品のようだった。

 

2人の赤ん坊――おそらく生まれたばかりのタナトスとヒュプノスを抱えている彼らにはこちらの声は聞こえていないようで、それを確認したわたしは自分の掌を自分の目で見てみることにする。…半透明で透けていた。見えていないらしい。


「わたしは、追体験をしてるんですね」

先程「死んでほしくない」とタナトスに言った時に目元の焦点が合わなくなったり急に鮮明になるあの感覚がまたやってきて――、彼が目を閉じたのと同時くらいに、この空間に飛ばされていた。



次に見たものは、神避けの結界を作られて掌に火傷を負った幼いタナトスだった。

「死神ですって、冥界の神はまた碌でもないモノを産み落としたのね」

「不吉だわ、忌むべきことだわ、本当に…」

 

タナトスは下を向いていて、その表情は見えない。――彼の為にも、見ない方がいいと思った。


 

その次に見たものは、大体人間年齢で6歳くらいのタナトスとヒュプノスが遊んでいるところだった。

二人とも、玩具を交換して笑い合っている。


ヒュプノスは玩具を解体し始めて、更に独自に弄り始める。それを見たタナトスがはっとした様な顔をして母親――ニュクスのもとへ報告に行く。

  

「母様、ヒュプノスはおれより頭が回ります。それも、誰よりもずっと。おれは、」


あの子の邪魔になりたくない。



 

次に見えた映像では幼いヒュプノスが、見知らぬ金髪の女…おそらく、女神に抱きかかえられてそれに必死に抵抗していた。


「ねえ、お兄ちゃん!いつも一緒に遊んでくれてたのに、どうして…!まだ一緒にいたいよ、天界なんかに行かずにずっと一緒がいいよ、タナトス!」

「おれはお前の邪魔になる、だって、」

「忌み子とか不吉とか、あんなの天界の馬鹿な神格達が言ってるだけの戯言じゃん!なんで、」


ぼくはもっとおまえといっしょにいたかったよ。


「…ごめん」

「タナトス、待ってよ、タナトス…!!」


前にヒュプノスが言っていた「避けられている」ということは、多分この事だったのだろうと推測がついた。

二人のことは成長してからしか知らないが、…この記録を見てとても胸が苦しくなった。

  


場面がまた、切り替わる。

 

「…主任、身体に傷を負いすぎじゃないですか」

「いい、私の身体如き。ハデス様にお仕えするためだけにあって、他に意味なんかない…」

「主任…」


青年だろうか、というくらいに成長したタナトスが映る。今よりずっと傷だらけだ。

わたしは彼のその痛ましい傷に手持ちのハンカチを当てようとしたが、ハンカチごと手がすり抜ける。

「…しにがみさん」


また、場面が切り替わる。進んで見たくないものがずっと続いていたが、目は逸らさなかった。


「…お前、もしかして死神か?ビンゴ!」

「…悪いことは言わない、この拘束を解け。英雄とはいえ人間が神の怒りを買って、それで尚足掻こうとするなど…!」

「ははは!思ってたより丸腰で弱っちいやつで助かったな、しばらくここでおねんねしてな」


人間…タナトスが言う言葉だと英雄だろうか、その人物にタナトスが幽閉され、腕と脚を厳重に拘束されて芋虫のようになっていた。彼が去ったあと、タナトスは目を閉じてぐったりしていた。


彼はしばらく目を覚まさず、わたしもひたすら時間が過ぎ去るのを待った。彼の美しい顔を見ている時は時間が早く過ぎ去るはずなのに、今回に限り時間は悠久のものに感ぜられた。


暫くして、扉が打撃音と共に開く。

ぼそり、とつぶやくような音量で男の声がする。

「…よぉ、死神の兄貴。俺はアレス。軍神だ。」


うっすらと目を開けたタナトスが、声を絞り出す。

「…ゼウス様の管轄の方と相見えるとは。私なんぞ、ずっと閉じ込められているものかと思いました」

「俺からしたら、そうもいかねえんだよな。俺は戦いが好きだ。…好きだけどよ、終わりがねえのはよくねえと思ってる。終わりがないと新しい戦いも生まれねえからな。今はみんな、ずっと戦い続けて中弛みしてる。芋虫みてえになりながらな…。」


「…は?」

軍神の言った意味が、タナトスはにわかに理解できなかったようだ。それから少しして、その元々白かった顔色が真っ白になる。


「まさか、まさか、…まさか。」

アレスとタナトスが地上に降り立つと、そこは血の匂いと呻きで溢れかえっていた。


それを見て、わたしも思わず胃から内容物がこみ上げそうになる。だって、


ほぼ肉塊のようになりながら目だけ動かして槍や剣に縋り付く、


「こんなに苦しんでいるのに死ねないのか、この人間たちは……?」


苦々しげに、怒り心頭で、悲しげに。そのどれもが交じった声色でタナトスがまた声を絞り出す。


今にも崩れ落ちそうなタナトスに肩を貸したアレスがまた話し出す。

「死神の兄貴の役割をあの人間――シシュフォスが妨げたせいでこうなった。あんたのせいじゃねえよ…でも、辛えよな。」

「ああ、ああ、あ――…!!」


彼の、慟哭が聞こえる。

これをずっと、抱えていたのだ。彼は。


『あなたを見殺しにするのも自殺幇助と言って立派な犯罪なのですよ、お分かりいただけますか。』

 

『お前の…それは何なんだ、そんなに若いのにやり残したことだとか、遺される者についてはどうでもいいのか。あまりにも淡白すぎるだろう』



「こんなの、ずっと、独りで…」

全部、全部、受け止めようとするとパンクしそうだ。でも、向き合えないなら。いっそ。


「……ずっと、死ぬまで傍に寄り添うくらいはできるんです」






わたしがその言葉を発して少ししてから、映像が途切れて暗転し――体育座りをしていて顔の見えないタナトスと対峙した。

 

ここは、まだ彼の深い記憶の中なのだろう。


はっきりとした声で、でもどこか不安定な声音でタナトスが口火を切る。 

「――私は、消せない罪を抱えている。こうして生まれてきた事自体が忌むべきことなのかもしれない。おわりというものは、本当はなければ幸せなのかもしれない、ああ…」


発言のためにわたしはすう、と息を吸う。

「うちのお母さんが言ってたことなんですけど、終わりがないと新たな物事って始まらないんです。楽しいことにも悲しいことにもはじまりと終わりがあって、それで世界は回ってる。おわりがなければ、誕生だってなくてずーっと同じままなんですよ。そうしたら、」


わたしだって死神さんに会えてませんでした。


死神タナトスがびく、と身を揺らすのを見て、更に話す。


「今まであった怖いことも終わったことだって片付けないで、抱えてきたんですね。今まで」

「…そんなこと、出来るものか。したく、ない。」


「その呪いが自分を受け容れるかたちに変わらなくても、きっとずっと一緒なんですね」

「そんな都合のいいこと、起きてほしくない…」


「じゃあ」


タナトスの頭をそっと両の手のひらで包み込む。

それに彼が驚いて、顔を上げる。


「わたしの中で、一緒に抱えます」


ずっと、憶えていますから。


その言葉を聞いた彼は、諦めたような、でも目元の緩んだ笑顔のような表情をした。


「お前は、本当にそういうところが――」




かぁ、かぁかぁ。かぁ。

…自分の周りでハシブトガラスが鳴いている。若干のデジャヴである。


目を開けると、羊のような生き物とヒュプノスが少し遠くで何らかの機械と格闘していた。

 

彼がこちらを認めて目を見開く、そして。 

「……このバカ兄バカガキ!!!!!!!!殺すぞ〜!!!!!!!!!」


…目覚めて一番に聴くような音量では、なかった。


「マージでさ!!!!!!!ボクはあんだけ気をつけろって言ったのになーに呑まれてんだバカ兄!!!!!!!お前もだガキ!!!!!!なに正妻気取ってんだよ!!!!!!!!!」


こんなに声を荒げて怒っているヒュプノスを見るのは、初めてだった。わたしは目を瞬かせながら――


そのままヒュプノスに抱き着いた。


「は、ハァ〜〜!!?!?!!!何!!!?」

「帰ってこれたの、多分睡魔さんのお陰じゃないですか。ほんとに、またこうして会えてよかった…」

「やめろ鳥肌立つから!!!!なんか泉にでも飛び込んできたんですかァ!?返品するけどねキショいから、………はは、ほんとバカが………。」


わたしをどうにか剥がしたヒュプノスが、わたしの顔を掴んで真剣な顔で話しかける。

 

「それで、取り敢えずね。お前のこの訳分かんない力について、ボク等から説明する。ちゃんとこれは、真剣に聞くこと。いいね」

「……はい」


また、新たな何かが始まる。穏やかな日常が少しずつ、別のものに置き換わる。

でも、この人達が一緒にいるならそれも悪くないと思って…わたしは1度目を閉じた。



 

  

――ヒュプノスの情緒が落ち着いた頃、彼もぼろ、と涙を流し全員泣きながら1日を終えたのはまた別の話。

 


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