“肉体の死”との邂逅 Ⅱ

平日の朝10時、両者の攻防が始まる。

 

「酸性洗剤を水に入れ替えられてます、なんと」

「ドアノブに首吊り紐をセットするやつがあるか、馬鹿が…!」

「換気されてて練炭自殺が意味なくなりました」

「資格もないのに青酸カリを扱うな!!!」


両者、共に満身創痍。


流石に干渉されすぎて死ねないので、タナトス…死神さん(そう呼ぶことにした)にはっきり言ってやることにする。  

 

「わたし、ちょっと離れててくれたら勝手に死にますし別に死神さんがいても自殺幇助には見えませんよ、ちょっと一人の人間にかまけすぎなのでは」


美しい顔が歪むくらい眉間に皺を寄せて、苦い顔をしてタナトスが話す。

「お前の…それは何なんだ、そんなに若いのにやり残したことだとか、遺される者についてはどうでもいいのか。あまりにも淡白すぎるだろう」


来た。もうこの問いについては答えが完全に出ている。

「あー…やり残したことって正直死んだらできなくなってそれで終わりだし遺される者っていうか、遺された者なんですよ、わたしが」



「…………すまない、不遠慮だった」


途端にしおらしくなるタナトスの反応が面白くて、笑わないように顔を背ける。でも、確かにそうだろう。気遣いのつもりで聞いたのに、強烈なカウンターを食らったのだから。

「全然謝ることじゃないです、もうわたしの周りってとっくに閉じてるんですよ、だからもう退屈だな〜って。」

 

わかってくれました?と首を傾げるわたしに対して、伏せた目を僅かに開ける彼。

「……お前に足りないのは人との交流だ」

「はい?」

 

「これから毎日1時間、私と対話の時間を作ろう」

「えっ」

この人、ちょっと律儀すぎる。

一人の人間に対してこんなことしてる時間とか義理とか、本当にないはずじゃないか。

  

「視野が狭すぎるんだお前は、永らく同じ環境にいて変化もなく過ごし続けていたら精神だって参る、退屈にだってなるだろう」

「正論パンチが痛い痛いです、こっちは適当に理由つけて死にたいだけですよ。」


死神タナトスと目がばちりと合う。漆黒と云うべき、光を通さない瞳なのに陰鬱さを感じさせない強さを秘めていた。 

「逃げるな」

「ひゃう」

「私は甘くないからな、お前がどんなに理由をつけて死にたがっても許してやらない、やれない、ここまで生きてきて2つの意味で首が飛ぶのもお前みたいな子供が死ぬのも嫌なんだ私は。」


前に、タナトスが言っていた。人間に対して死期を縮めたり伸ばしたりを自己判断で行うと死神は2つの意味で首を切られるという。わたしが死ぬと彼が困るのは、彼の存在によってわたしの希死念慮の引き金が引かれたことに対してらしい。


「……………」


この人は。

 

「どうした。何か言いたげだが」

「…責任取ってくれるんでしょうね」


この人はもしかしたら、わたしの散々な人生を救いに来てくれた王子様なのかもしれない。首無し馬に乗ってやってくる、黒馬の王子様。

いや、顔も自分には勿体なさすぎるくらい綺麗だし。声も綺麗だし。夢の1つ2つくらい見たっていいんじゃ…。

 

「責任。お前を生かすために炊事くらいなら叩き込んでやるとも。社会で生きる上での作法も」

「そうじゃないです死にます」


わたしのバカ。死神さんのバカ。

多分これは、女の子として見てもらえてない。

“人間”という下位存在として見られているか、それとも。年の離れた子供として見られているか。

 

「待て待て待て何故だ貴様」

「乙女心に理解がなさすぎます、死にます」


でも本当に、この人はいい人だと思った。

寄りかかれる、年相応の姿でいられる居場所ができたことを、わたしは確かに喜んでいた。

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