第15話 記録
あの日、俺のアイデンティティが回復した直後から、毎日、健臣が家にいる。
夕飯まで食べて帰るほど入り浸る日も少なくない。週末は泊まるのが当たり前。途中で中断できないとなれば、キリの良いところまでと言って月曜日は遅刻。ひどい時は学校すら休んでしまう。
「おう、マサ、おかえり!」
「……ただいま。」
複雑な気分だ。家に帰ると、俺の部屋に健臣がいることも珍しくなくなった。
『タケ……お前は本当にこれで大丈夫なのか?』と心の中で問いかけつつも、アイデンティティを回復させてくれた彼に敬意を表し、自由に部屋を使ってもらっている。授業のノートも提供している。
少しおめでたい気質の俺の両親は、気が合う幼馴染は貴重だと健臣に感謝までするようになった。
だが、健臣が
宝と言っても高価なものじゃなく、俺の先祖の日記が三度の飯より好きなのだ。
「子供の声か……辛いなぁ……そりゃあ耳塞ぐよなぁ……」
と涙したかと思うと、
「うわ、吐いちゃったかぁ……駕籠で酔ったかぁ。愛しすぎる。」
とデレデレと目尻を下げる。情緒不安定なのかと心配する俺に、健臣は「いたって健康だ」と胸を張った。
むしろ大好物の古書を目の前に、精神的に充実しすぎて暴走しているというのが本人の見立てだ。
俺の血筋は、公的な書類や蔵に眠る表向きの資料で辿っていくと、鎌倉時代から続く譜代大名の家系ということになっている。
だが実際のところ、血筋は250年ほど前にとっくに途絶えており、俺の血は苗字すらなかった恭介という男に繋がっている。
恭介は、急死した当時の領主、
「それはどうかな……」
健臣が不敵な笑みを浮かべた。俺はなぜか背筋が急に寒くなり、武者震いに襲われた。
「なんだよ。急死したって言ってなかった?」
「ふふん。」
「なんだよ。」
「お前、義臣信じてんの?」
「お前、自分の記録係の先祖信じねぇの?」
「まあ、いいや。」
そう言って彼はまた手元の資料に目を落とした。何か集中して読んでいる時は、よく断片的に不可解なことを言い出すが、これはまぁ、これで、放っておけばいつか向こうから話し始める。
兎にも角にも、恭介は替え玉を演じながら一生を終え、正室との間に残した子供が続いて俺に至る。
この事実は衝撃的すぎるため、両親には伝えていない。今まで信じてきたものが彼らにもあるはずだ。
俺の両親は名家の出を鼻にかけたところはないものの、大人の世界なら社会的な地位が揺らぐことだってあるだろう。だから、そっとしておくことにしている。
「やっぱさ、歴史も複数の目線から見られると、3Dの臨場感だね。」
「そう?」
健臣は興奮すると分かりづらい表現が目立つようになるが、「複数の資料で一つの出来事を見ることができると立体的に捉えることができて、臨場感も伴う」と言いたいのだ。
健臣の家の蔵には正遵の側近で記録係だった健臣の先祖の非公式の日誌が残されていた。
俺の蔵には正遵の替え玉、恭介が若い頃を思い出して書いた記録と、正室だった
うちの先祖は皆、蔵の中身に無関心だった人間が多かったのか、健臣の家の蔵よりも書物が雑然と積み上げられていて、まだ三分の一も漁れていない。他にも当時に関係する資料があるのかもしれないが、取り急ぎ見つかっているのは、二人のものだけだ。
何はともあれ、健臣が言う通り、三人が書いたそれぞれの資料から一つの出来事を見ると、実際に何があったか推察しやすい。
俺も健臣の解読結果を毎日聞くのが楽しくなっている。最近は、家に帰るとスマホを見るより先に健臣と話すようになった。
「今日は何読んだの?」
「替え玉になるところから参勤交代までなんだけど、たまんねぇ……」
「何か分かったことあった?」
結の日記は比較的すぐに見つかったのだが、恭介の残した記録が見つかったのはつい先日で、見つけてからまだ一週間も経っていない。
健臣は今、寝る間も惜しんで毎日新しい情報に触れ、興奮が最高潮だ。学校も三日連続で欠席中。そろそろ心配されるレベルに突入している。
「おう!すげぇ成果出てる。授業のノートと同じぐらい価値あると思う。」
「そ、そう…?」
健臣の熱量がいつも以上だ。彼は「じゃあ、始めようか。」と言いながら白い手袋を俺に手渡す。資料保存には厳しい。俺の家の資料なのに、素手厳禁だ。
俺は手袋をはめると、健臣に促されるまま、開かれた資料に目を落とした。
アイデンティティ ープロローグー KANA.T @kanata2023
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