第13話 本当の…

 健臣の解説と共に読み進めていくうちに、気づけば俺も目頭を押さえて上を向いていた。


 短歌が書かれていたページに続く内容が、見開き二ページに渡り綴られていた。正遵は息を引き取る間際まで意識があって、結と手を取り合って語っていたようだ。そして息を引き取ってから、次の日の朝まで、結は正遵の横に添い寝をすると決めたらしい。


 そのあと、健臣の先祖が正遵がどれだけの功労者だったかをまとめた文章を書いている。


 途中から取った倹約政策や、自身の倹約、農村の視察や支援、町民文化の発展など、家臣の意見を聴きながら経済を回し、参勤交代について幕府と調整して費用を抑え、財政難で潰れる藩が増えてきた時代に、藩を潰すことなく存続させた。


 皆、正遵を慕い、頼り、その人柄はみんなに愛されたというようなことが書かれていた。この時代に正遵が領主で本当に良かったというような感謝の言葉が続く。


「な、やばいだろ。」俺の涙を見て、健臣が微笑む。


「替え玉がここまでやったんだよ…ハンデいっぱいあったはずなのにさ…すげーよ、ほんと…歴代の当主の中で、亡くなった時にこんなに功績や感謝を書かれてるヤツ、他にいないんだよ…」


 健臣はページに手をかけて、ふと動きを止めた。


「…で、次が…この日の日記の最後のページなんだけど…」


 そして、勿体ぶるように一つ大きくため息をつき、なかなかめくろうとしない。気持ちを落ち着けているようにも見えた。


「ここからが、本当のサプライズ…」


 俺は驚いた。ここまででも十分サプライズだったのに、まだあるというのか。既に俺の頬もびっしょり濡れている。


 それに、俺のアイデンティティは相当回復しているのを実感していた。これだけ慕われた替え玉が、先祖だったのが素直に嬉しい。


 健臣がゆっくりとページを開く。そこにはページのど真ん中に二行に渡り、こう記されていた。


『皆を守り抜いた恭介殿には感謝してもし尽くしきれず、家臣一同、心からの感謝と敬意を表したい。』


 健臣も俺も、身動きするのも忘れて、無言のままそのページの中心に視線を落としていた。涙だけが、次から次へと頬を伝う。


 二回深呼吸してから、健臣が口を開いた。


「このページが一番の謎だったんだ…不可解でさ…誰に向けた言葉なのか…恭介って、ここにしか出てこないんだ…皆に感謝される存在なら、もっと日誌に出てきてもおかしくないのに…」


 俺はふとページに手を伸ばした。その名前に触れたかった。


「おおっと!ワリィ、感動のご対面に水差すようだけど、素手厳禁。」


 保存に関しては、どんなに感動していても、ブレないようだ。健臣が俺に白い手袋を手渡す。俺は、気を取り直して、白い指で「恭介」の名前にそっと触れた。


「よくわからないから、オレの中では、葬儀を引き受けた僧侶なのかなって勝手に結論づけていたんだ…もしくは、正遵の幼少期の名前かもとか…でも、今なら誰だかわかる…」


 俺は静かに頷いた。何度も涙でぼやける目をもう一方の手で何度も擦り、替え玉男の名前を頭に刻むように見つめた。


「文字の読み書きできないってことはさ、町民でもなかった。農村出身者か流れでその日暮らしの身分だったとかさ…とにかく、名前はあっても漢字なんてないはずだ。」


 健臣が言いたいことがわかった。


 当時の、身分階級がはっきりした時代背景を考えると、文字を読めないクラスの人間に漢字の名前は不要だろう。正遵として存命中はこの名前が不要だったことも考えると、彼が亡くなった後、日誌を書いた人間が充当した漢字と考えるのが妥当だろう。


「マサは、『恭』って漢字の意味、知ってる?」

「確か、“うやうやしい“って読むよな…意味は…」

「相手を敬うとか、慎み深いとか。恭介はきっと、そういう性格って見られてたんだ。しかもさ…読み書きできねぇ人間は…こんな風に書き残される可能性はほぼない…残されること自体、すげーんだよ…しかも、ちゃんと本名でさ…功績によって残された名前なんだよ…すげー、もっと好きになった…」


 腕組みをして「マジ、スゲー」と言いながら何度も頷く。


 俺の心はすっかり温まっていた。昨日受けた血筋の衝撃など、すっかりどこかへ行っていた。むしろ、この結末で良かったとも思えた。


 何もないところから、支えられながら努力して、みんなに認められて、慕われて、愛されて。


 最初の逃げようとしている乱心ぶりを見ると、初めは望んだ人生ではなかったかもしれない。けれど、結果的には多くの人に影響を与え、受け入れられる人生になった。


「タケ…ありがとな…俺、今、なんかスッゲェ幸せな気分かも…」


 健臣は満面の笑みで「ああああー良かったぁ!」と言いながら俺の肩を叩く。


「でも、そんな礼なんかいうなよ。元々オレが悪りぃんだ。ああ、良かった長年の罪悪感がすっと解けてさ。」


 それを聞くと、黒歴史が頭の中によみがえり、俺は少しむず痒さを覚える。健臣に無言で苦笑いを返した。


「それにさ、長年の最大の謎が解けた。恭介が誰なのかがわかってスッキリした。恭介スゲェ…マジ、リスペクト。」

「お前の恭介愛、子孫の俺よりすごいな…」


 健臣はすっかりいつもの調子に戻って「あたりめぇよ」と少し面倒臭いテンションで返す。真面目なことを言おうとしている時の、照れ隠し的な行動なのかもしれない。


「江戸時代じゃ、ある意味、藩って国だろ?突然全くの別人にトップ変わっても国が続くってさ…すげーよ。しかもそれを重臣が受け入れた…自然とそうさせたのは恭介の力なんだよ。」


 熱量は別として、健臣の意見には賛成だった。俺は無言で頷いて見せた。


「守ってでも領主に据えておきたいと思わせるほど、できるし、いい奴だったんだろうな…用が済んだところで養子縁組して『はいさようなら』って、下手したら事情知っているから殺されたっておかしくないのに…マサの先祖はさ…血筋なんて狭い世界じゃなく、国守ったんだよ。マジ、カッケェ…」


 健臣は涙を腕で拭くと、仕切り直すように大きく息をついた。


 そして「さて」と言いながら机の上に広げられた数冊の日誌を閉じると元の棚に戻し、一つ大きく伸びをした。


「オレ、恭介から大事なこと教えてもらった。」

「何?」

「血筋じゃねぇ。大事なのは『どこから来たのか』じゃなく『何をするかなんだ』って。」

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