ヨナス・E・シュタイナーが住む家はヴェーザー川を越えた先にあった。

 徒歩二十分ほどかけて、大家の元へ向かい鍵を貰う。大家はふくよかな体型をした朗らかな女性だった。ヨナスの一件は彼女も寝耳に水で、「真面目な子だったのに」と心を痛めていた。案の定、聞き込みでも大した成果は得られなかった。

 ヨナスは後見人から多額の遺産を相続しており、ドイツの単身者にしては珍しい一人暮らしだった。後見人と住んでいた家が賃貸であったこともあり、後見人を亡くしてからは単身者用アパートに移り住んだ。

 エントランスに備え付けられていた郵便受けを覗く。ヨナスの住む二〇二号の郵便受けには何もなかった。広告の類は電子メールが主流だ。他の住人の郵便受けも封書以外の郵便物は見当たらない。

 もしも拠点が自宅以外にもあるのであれば、捜査は難航するだろう。それに、共犯者がいないとも限らない。

 フードを深く被りなおして、手には薄手の手袋を装着する。

「警戒は怠らないように。怪しい人影を見つけたら知らせて」

 ミヒャエルも手袋をし、ニルの言葉に首肯する。表情は硬い。緊張しているらしかった。

 アパートの階段を上がってすぐのところが二〇二号室だ。今の時代には珍しいシリンダー錠を開け、部屋に入る。物音はしなかった。

 シャワールーム、トイレ、その他人が隠れられそうな場所を調べ、誰もいないことを確かめる。監視カメラの類も見当たらない。そこまで確認してから、玄関に待機させていたミヒャエルを呼んだ。ノイエ・メンスハイトのメンバーの可能性があるからと警戒していたが、拍子抜けである。

「端末、支給されたでしょう。棚や引き出しの中も含めて全部撮影して。気になるものも一つ残らず。あと、電子機器は気を付けて。電源が入っていたら私を呼んで」

「了解です」

 午後五時二八分。ヨナス・E・シュタイナー宅の捜索を開始した。

 ヨナスの部屋は、ごく一般的なドイツ人の部屋だった。淡いベーシックな壁紙に、年季の入ったチェストと本棚。椅子やテーブルは比較的新しく、装飾もないシンプルな木製のものだった。どこも片付けられている。本棚にはビジネス書の他に資格試験のテキストや電化製品に関連した書籍が並べられていた。勉強熱心で、自分の取り扱う分野についての学習も怠らない。部屋からは勤勉な性格が滲み出ている。ニルの出会ったヨナスとはかけ離れている印象を持った。

 気になるのは、部屋は整頓されているようなのに、いくつかの物が片付けられていないことだ。

 本棚の本は背の高さと著者で並べられているのに、テーブルの上に出されている雑誌は開きっぱなしで、頁には折り目まで付いている。衣類は丁寧に畳まれているのに、脱いだばかりのカーディガンは椅子の背にだらしなく引っ掛けられている。寝室を覗いてみるが、ベッドのシーツは皺だらけだった。少なくとも、最後にベッドを使った人物はベッドメイクをしない性格らしい。その上、床の上は硝子でも割ってしまったのか、歩く度にざらざらと嫌な音がした。

 仲間を呼んでいたのだろうか。衣類はどれも同系統のファッションで、日常的に誰かと同居している様子はない。あるとすれば、一時的にヨナス以外の誰かが寝泊まりしていた可能性。

「わ……」

「どうしたの、――っ」

 弱弱しい声音だ。声の方へ向かうと、ミヒャエルはデスクの上を見て立ち尽くしていた。デスク周りの惨状にニルも息を呑む。

 デスクの上は破壊された情報端末の破片が散乱していた。床にはマルチハンマーが落ちている。

 ノートパソコンが一台と、スマートフォンが二台、無残な姿でデスクの上に置かれていた。表面のフレームは言わずもがな、液晶も中の基盤も粉々に砕かれており、照明を反射して海の砂のように小さく光っている。ノートパソコンなどはヒンジ部分が破壊され、元がどのような端末だったのかすら一目見ただけではわからない有様だった。

「犯行前に証拠隠滅を図ったとみて、まず間違いない。袋は持っている?」

「ええ……」

「分けられれば端末ごとに――いや、私がやる」

 何の抵抗もなく作業を依頼しそうになって踏みとどまる。まだ予備隊員になったばかりの、ノイスヘルツのアンドロイドだというのに、だ。聴取は最悪横から口を出せば済むが、証拠品に万一があってはならない。

 どうにもミヒャエルは新しい環境に馴染むのが上手いらしい。これも年の功だろうか。

 振り返ると、手持無沙汰にしているミヒャエルがいた。ニルの手にある残骸に、悲痛な顔をしている。

「ミヒャエルは隊長たちにこのこと連絡して。メッセージでいいから」

「それ、僕も……」

「いいから」

 ミヒャエルが端末を取り出したのを見届けて、作業に入る。メモリーカード類もハンマーで砕かれていた。本部BKAの設備でも復旧できるかどうか。

 普通にハンマーで砕こうとすれば騒音で近所に不審がられるだろう。隣室の話も聞くべきだ。騒音がしないとすれば、シーツにくるんで砕いたのだろう。ベッドルームの床がざらざらしていたのは、端末の破片が落ちていたからか。

「連絡しました。やっぱりそれ、手伝いましょうか」

「必要ないわ」

 袋に破片を入れて、しっかりと袋の口を閉じる。粉末と化したところはまとめて別の袋に流し込むしかあるまい。

 透明な袋に入った端末の残骸に、ミヒャエルの顔が歪んだ。柔和な顔には子供のようなあどけなさも混じっていて、悲しげな表情は見るものに焦りを齎す。

 どうしてそんな顔を、と思ったが、アンドロイドからすれば基盤が露わになって破壊されている様は、見ていて気分の良いものではないのだろう。ニルですら不愉快だったのだ。

 ニルは証拠品をさっさと鞄にしまうと、デスクのある部屋を後にする。他に証拠品として、折れ曲がった雑誌や椅子に掛かったカーディガンなど、手で持っていけそうなものを押収する。

 すべての作業が終わったのは午後七時を過ぎた頃だった。

「証拠になりそうなものは、粗方揃った。一先ず、今日のところは引き揚げましょう」

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