落とし穴
秋乃光
ホールオブフォーチュン
時に、稀代の天才作家・星新一大先生の『おーい でてこーい』という作品をご存じだろうか。
私も聞き齧りの知識しかなく、お恥ずかしいことながら、本編を読んだことはない。
だから、とてもじゃないが偉ぶれないのだが、あの作品に登場するような穴が、我が街に出現した。
一つの懸念点がある。
果たしてこの穴は、あの名作の穴と同一なのだろうか。
もし、かの名作の穴と全く同じなのであれば――未読の方には申し訳ないが、オチに触れてしまう――ある程度のキャパシティを超えたら『穴に放り込んだモノが出てくる』はずだ。
二の舞を踏めば、元の世界に戻れる。
とはいえ、あくまで『おーい でてこーい』の穴と同一の穴と仮定した上での脱出法であり、この仮定が真という確証を得てから、の話だ。
であるからして。
我々は調査隊を派遣して、穴の中を調べることになった。
私は名誉ある調査隊のうちの一人として選ばれている。
先にドローンが穴に入っていった。
ドローンは貴重な穴の中を丹念に探索し、無事に生還してくれている。
ドローンのもたらした映像をもとに、ディスカッションを繰り返した。
――どうやら、穴には人が住んでいるようだ。
この人を、我々は
穴人は我々と同じ炭素系生物なのか。
どうにかしてコミュニケーションを取れないものか。
穴人は、我々のようにソサエティを築いて生活している。
我々の送り込んだドローンを訝しむような個体も映像に映り込んでいるが、こちらに危害を加えてくるような個体はいなかった。
ただし、映像には音声も入っているものの、穴人たちの会話を拾えていない。
その後、何度かドローンを飛ばしてはいるが、穴人の個体が別の個体とやりとりする決定的なシーンは収められないまま、いよいよ我々調査隊が直々に穴の中へと進出する日がやってきた。
我々も無策ではない。
調査隊は英語を共通言語として設定し、その他第二言語、第三言語を不自由なく扱えるようなメンバーで構成されている。
さらに、地球上に存在するボディランゲージの数々を学んだ。
かつての人類が使用していた古代言語は、携行する翻訳機で対応する。
🕳️
「初めまして。穴の外の皆様」
我々調査隊が発見した第一穴人は、万全の準備を整えてやってきた我々に対して、我々に理解できるような言葉を用いて挨拶してきた。
言葉に合わせて、恭しく膝を折るポーズをする。
「こうしてお会いできて、とても嬉しいです。あなた方が、空飛ぶ撮影機でわたしたちの暮らしを観察していたことは、知っています。わたしたちは、あなた方とお話がしたい」
嬉しい。
しかし(これは私の見間違いであってほしいのだが)、顔を上げたときの第一穴人の表情は、この言葉とは真逆の哀しみをたたえていた。
第一穴人は、ヒトの女性の姿をしている。
私などが変な気を起こせば簡単にへし折れてしまいそうなほど、細くすらりとした四肢を持ち、薄っぺらい身体にはまばゆく光る白い布が巻かれていた。
目鼻立ちははっきりとしていて、顔には淀みのないアーモンド大の瞳が埋め込まれ、もし、穴の外であれば人前で飾り立てられるような職業に就いていそうな、見目麗しい女性だった。
その声は鈴を転がしたような美しい音色をしている。我々調査隊は物音を立てまいとした。一歩たりともその場から動けない。彼女の唇が紡ぐ言葉に耳を傾けるだけのオーディエンスと化している。
「わたしたちも、あなた方を知りたい。わたしについてきていただけますか?」
我々調査隊を代表して、先頭の私がうなずいた。
このモーションは、正しく“肯定”として受け取られたらしい。
「では、こちらへ」
我々調査隊は穴人のコミュニティに招き入れられる。
第一穴人に広場まで導かれた。
「ここにいる人たちで、全員ですか?」
広場には穴人が集っている。我々調査隊は彼らの顔を知っていた。ドローンの映像に映り込んでいた穴人たちだ。
だが、足りない。
全員ではない。
我々調査隊を代表して、私は第一穴人に訊ねる。
「……ええ」
やや間があり、第一穴人は私の質問にイエスで返した。
🕳️
私は
住めば都とはよく言ったもので、穴の外にいた頃よりも、毎日は充実していた。
我々調査隊は『穴人』とひとまとめにしてしまっていたが、皆の話を聞いていると、どうも、
私はすべての話を覚えていられる自信がないので、穴の外から持ち込んだノートに異なる世界の話を書き残していった。
上手くやっていた、と思う。
あれもこれも過去形である。
「パパに会いたい」
彼女は時折『パパ』の話をした。
彼女曰く、彼女は穴の中で生まれ育ったのではなく、我々調査隊のように、穴の外からやってきた、らしい。
「あなた方が来たから、パパは出て行った」
そう言って、彼女は私の首を絞めた。
ときどきではない、しょっちゅうだ。
最初は戸惑ったが、私がくるしんでいるとかのじょがないてあやまってくるのでなにもいえない。
ひとつのあいじょうひょうげんなのだ。
かのじょをうけいれよう。
かのじょをうけいれることで、穴の中でのコミュニティに馴染んでいった。
もう一人の私が囁く。
「本当にこのままでいいのか?」
「ここに来てしまったのは間違いではないのか?」
「彼女の言う『パパ』とは一体何者だろう?」
「字面通り、彼女の
しかしこの疑念は、ついに晴れなかった。
「急に彼女の前に現れた私が彼女の不貞を疑うなんて烏滸がましいとは思わないのかね」
彼女がいなくなったのだ。
🕳️
彼女の不在は、私の心に不安と、
言うに及ばずだが、ウェイトが大きいのは不安のほうだ。
安寧は、彼女の骨張った指と鋭利な爪が、わたしのきどうをふさぐことはないだろうから。
「いた!」
私を指差すヒトがいる。
そのヒトの周りには十数人のヒトがいて、ちょうど倍の数の目が、いっせいに、私に向けられた。
「先生!」
ヒトたちは私を取り囲む。
このヒトたちは私を『先生』と呼んだ。
「調査隊がなかなか帰ってこないものだから、心配して来てしまったのですよ! さあさ! みんなで穴の外に帰りましょう!」
私は彼らの頭数を数えていた。
先ほどはざっくりと『十数人』としてしまったが、正確な人数を、指を折って確認する。
まさか。
「先生?」
踵を返して広場に向かう。
私の後ろを、ヒトがぞろぞろとついてきた。
「おーい」
私が呼びかける。
広場に人が集まってきた。
こうして集められた人の数を、把握する。
「でてこーい」
足りない。
足りない。
足りない。
我々調査隊を探しに来た十数人。
ぴったり、その十数人ぶん、元々穴の中にいた人が消えている。
一致した。
そうだ。
彼女は出て行ったのだ。
> ある程度のキャパシティを超えたら『穴に放り込んだモノが出てくる』
おそらく、真実は、こうだ。
彼女は穴に落ちた彼女の『パパ』を追いかけて、穴の中に入ってしまう。
我々調査隊の到着によって『パパ』が出て行った。
そして、今回。
ヒトが現れたことにより、彼女は。
「そうか……」
もう出会えないかもしれない。
今、この穴が、彼女がいる世界と繋がっているとは限らないから。
であいからしてどれほどゆがんだかたちをしていたのだとしてもわたしはかのじょをあいしていたので、わたしはわたしからかのじょをうばったこいつらをゆるせないとおもう。
彼女の哀しみを理解した。
🕳️
私にとっての暴力は、目的を果たすための手段である。
手当たり次第に物を蹴りつけたり、壁を殴ったりする私を見て、人は『憂さ晴らし』だの『八つ当たり』だのとほざいた。
言わせておけばいい。
決して叶わぬ夢だとは思わない。
彼女と再会する。
穴の外へ出たい。
なんでもいいから投げ込んでくれ。
落とし穴 秋乃光 @EM_Akino
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