関東星刻編/第一章:クモガール参上

#1 水面泡

 暑い!

 アスファルトに沈殿した熱が足元からジリジリと上がってきて、まるで地面と空の両方に太陽があるみたいだ。


「あつい!」


「脱げばいいんじゃない?」


「ここで脱ぐのは……流石に恥ずいんですケド……」


 よく考えなくても、5月の半ばでこれほど暑いのは異常気象としか言いようがない。


 私が暑がりなだけ?

 それはある……。


「ボタン、これ首に掛けな」


 深夜みよはそう言って、軽自動車の後部座席に置かれたネッククーラーを私に差し出してくる。


「ひんやり〜、ありがとぉ〜!」


「この時期は涼しくしておかないと、熱中症になるよ」


 汗を掻いているにも関わらず、暑さを感じさせないようなすまし顔で、彼女は私に日焼け止めを渡しながら言った。

 外に出た途端、エアコンが効いていた車内とは真逆で、もはや梅雨前とは思えないほどに日が照っている。


「とか言って、深夜も長袖じゃん。暑くないの?」


 深夜の方こそ中々の厚着だが、これが彼女の仕事着なのだ。


「アタシは日焼けしたくないの」


 そういえば、深夜は敏感肌だとか言っていた気がする。

 仕事では頻繁に外出しているにも関わらず、彼女の肌は白くて綺麗だ。


「まあ、日焼け止めはちゃんと塗りなよ」


「いいよ〜私は別に。ちょっと黒くなるぐらい」


「日焼けは紫外線による火傷だよ。今じゃ野球部の男子でも日焼け止め塗ってるんだから、ちゃんと対策しな」


「え、あの人たちも日焼け止め塗ってるの?」


 スポーツ少年たちは日焼けしてなんぼだと思っていたけれど、どうやら違うらしい。


 こんな無駄話をしている私たちは今、とある田園地帯の真っ只中にやって来ている。

 あれは、つい昨日の出来事だった。


 学校終わり、私と深夜がバイト先であるBMOのオフィスに行くと、そこの所長である“おじさん”が応接室でお客さんの対応をしていた。


「それで……話を纏めさせていただきますと、水田の用水路の水が泡立ってしまって、そちらの調査依頼という事ですね?」


 この“おじさん”とは、深夜と私の保護者である狐塚こづか真司しんじさんだ。


 おじさんの問いに、向かいに座る年配夫婦の旦那さんが頷く。


「これから田植えの時期だと言うのに……前に、化学物質か何かが川の水に溶け出して、川が緑色になったって事件があったじゃないですか。水路の生き物や稲は勿論ですが、自分たちにも悪い影響があったらと思うと怖くて……」


 依頼の内容は、泡立った水路の水質調査らしい。

 一見よくある環境汚染だが、原因は様々だから入念に調査する必要がある。


「自然環境は、人間の暮らしの豊かさに直結しますから、異変があると不安になりますよね。

現代の日本では、環境保護を目的とした様々な取り組みが全国各地で行われていますが、このBMOは、国の認可を受けた生物多様性の維持に特化した施設です。

国や自治体からの依頼で、身近な森林や河川のみならず、自然保護区の調査まで行っています」


 生物多様性維持機関、通称BMO。

 この関東本部ラボには複数の研究施設と、動植物の研究を目的とした開放的な中庭がある。


 ちなみに私は、ここの中庭をお散歩するのが大好き。


「こちらの所内には、各分野に特化した研究会社が複数ありますので、水路が泡立った原因を突き止め、改善できるように尽力いたします!」


 一通り説明を終えたおじさんは、自信に満ちた表情で依頼人のご夫婦を安心させた。


 そうして今に至るわけだ。


「今回もやっぱり邪鬼じゃき関連なのかなぁ」


 疑問符を浮かべた私に、深夜が道具の準備をしながら淡々と答える。


「断定は出来ないかな。水路と通じている城津川しろつがわで洗剤とかの流出をおじさんが調べていたけれど、特にそれらしいのは見つからなかった」


 彼女は荷台から荷物を下ろし、私の方を向いてから話を続けた。


「何らかの影響で泡水が発生して、その汚染から邪鬼が発生、この水路まで影響を及ぼした可能性もある。まぁ、邪鬼捜索は追川さんに任せよう」


 彼女の言葉を聞き、運転席で荷物を纏めていた眼鏡の男性が、私たちの居る荷台の方を振り返った。


「あ、折り紙飛ばしますね」


 彼は思い出したかのように車を降りて、ショルダーバッグから魚の形に折られた折り紙を取り出し、それらを宙に放つと首に掛けていた笛をピッと吹く。

 すると、魚の折り紙たちはまるで意思を持ったように動き出し、城津川の上流がある山に向かい宙を泳いで行った。


「一先ず、折り紙に城津川を捜索をさせます」


 追川さんの言葉に、深夜が小さく頷く。

 この追川おいかわこうさんは大学生で、最近BMOの関東ラボでアルバイトを始めた人である。

 私達と同じ邪鬼祓いで、折紙術という折り紙を操る術を使うけれど、能力は祓うよりも調査向けのようだ。


「その間に水質調査しましょう。ボタン、これ持って」


「はいっ」


 深夜に水汲み用のボトルと測定器を渡された私は、それを持って件の水路に近付いて行く。

 中の様子を見てみると、その水面には幾つもの泡が浮いていた。

 

 まるで、本当に洗剤が泡立ったかのように見える。


「そういえば、狐塚所長って元環境保全省の方なんですよね? どうしてBMOの、しかも邪鬼祓いの仕事に……?」


 追川さんは残りの荷物を深夜から受け取ると、彼女にそう訊ねた。

 彼の言う通り、おじさんは元環境保全省の人だ。

 そんなおじさんが、公務員を辞めてまで民間の法人を立ち上げたのには理由がある。


「元々、おじさんの家は邪鬼じゃきばらいの一家だったんですけど、あの人は邪鬼祓いとしての才に恵まれなかった。それを歯痒く思ったおじさんがBMOを立ち上げ、跡取りが減って存続が厳しくなった邪鬼祓いの会と統合して、今の形になったんです」


「それに、私たちみたいな若い邪鬼祓いは古臭いやり方に馴染めなかったりするじゃん? だから私も狐塚さんには感謝してるんだ〜!」


「あんたは邪鬼祓いというか、アタシのペットね」


「それな〜」


 私と深夜の話に、追川さんは「なるほど……」と納得したようだった。

 そう、あくまでも私は深夜のペットだ。

 半分は人間だけれど、もう半分は違うから。

 でも一応は、BMOに登録された邪鬼祓いの一人である。


 準備が済んだところで、私たちは水質の調査を始めた。


「追川さん、これサンプルです」


「了解です」


 深夜がピペットで汲み上げた水路の水をボトルに移し替え、それを追川さんに渡す。


「ボタンはpHピーエイチ測定」


「了解!」


 深夜に言われた通り、私はpH測定器で水路の水素イオン濃度を測った。


「pH7.15」


 私はあまり詳しくないけれど、川のpHとは大体中性だ。

 水素イオン濃度、つまりpHの数値が低いと酸性、高いとアルカリ性で、中間あたりは中性である。

 pH7は中性の為、問題無いように思えたけれど……。


「少し低いね、誤差かな? 城津川のpHは7.9だから。CODは測定中」


 CODというのは、水がどれだけ汚れているかというのを調べる指標らしい。


 そういえば、この水路に生き物はいるのかな?

 私が水路を覗き込んでいると、深夜は車から折りたたみ式のタモ網を取り出し、水路の中にそれを入れた。


「この辺だと特定外来生物のカダヤシがいるはずだけど、今は見えないね。あとはこの時期だと、トンボのヤゴかな?」


 深夜は水路の水草が生い茂っているところを、タモでガサガサとしている。


「この泡、深夜的には何だと思う?」


「洗剤じゃないかな、詳しくは分からないけれど」


 そう言って彼女が水中から引き上げたタモには、水草とアメリカザリガニ、そしてカダヤシが入っていた。


「わ〜お、外来種ワールド」


「この水草もオオカナダモ、重点対策外来種に指定されてる」


「こんな水でも生きてるんだね〜、外来種だけど」


「今はまだ生きてるだけの可能性もあるよ。実際、近所の水路にいたアメリカザリガニは最近まったく見なくなったでしょ」


「たしかに」


 私と深夜が水路をガサガサしながらそんな話をしていると、先ほど追川さんが飛ばした折り紙たちが戻ってきた。


「おかえり、どうだった?」


 追川さんの問いに、魚の折り紙たちは彼の前で空中を小さく一周して見せる。


 この反応は……


「……邪鬼、見つかったそうです」


「見つかっちゃったか〜!」


 となれば、ここからが私達の本当の仕事。


「行くよ、ボタン。追川さん、車出してください」


「は〜いっ!」

「はい」


 これだけの環境汚染であれば、邪鬼が発生してもおかしくは無い。

 私達は荷物をまとめて車に乗り、再び邪鬼の元まで向かう折り紙を追いかけた。


        *


 山道を走っていると、途中で車を3台ほど停められる小さな駐車場が現れる。

 ここから先は、歩いて行けということか。


 必要なものを詰めたリュックやポーチを持って車を降りた私たちは、登山道から少し外れた獣道を、折り紙の後を追って進む。

 急足いそぎあしで山を登り続けること約15分……遂に目の前には渓流が現れ、その水も水路と同じように泡立っている。


「間違いない、この上にいるね」


 深夜は川の上流を睨んでそう呟く。

 依頼に来たご夫婦、すごく不安そうだった。

 あの泡が稲にどんな影響を及ぼすかも分からない状態で、田植えなんか出来っこない。


「おっちゃん、おばちゃん、これで安心して田植えできるよ〜!」


「ボタン、気が早い。先ずは邪鬼を祓ってから」


「おっけ〜! いっちょやったりますか〜!」


 私は川の上を泳ぐ折り紙を追い抜き、その先を目指して走る。

 泡の量が多くなってきたから、発生源は近い。

 やがて、それは私の前に姿を見せた。


「やーっと見つけたよ。お前だったんだな、水蜥蜴みずとかげ


 邪鬼じゃきと呼ばれるそれは、古くから自然環境と人々の生活をおびやかしてきた物怪もののけの類い。

 いわゆるあやかしのようなものと違って、自然に反した形で生まれてしまった凶暴な怪物だ。

 水蜥蜴は、主にその土地で生息していたアカハライモリの霊魂が、環境破壊によって発生したけがれに触れて生まれた存在。

 外見はほとんどアカハライモリそのものだが、その図体は無駄に大きく、尻尾が刃物のように鋭くなっている。

 この個体、私がいつも寝ているお布団より大きい。


「これじゃアカハライモリじゃなくて、アワハライモリじゃん」


 泡水の上で浮かぶように佇む水蜥蜴を観察していると、相手は怒ったらしく一直線に突進してきた。


「あぶなっ!」


 図体がでかいくせに動きも速い。

 でも、水蜥蜴は過去に祓ったことがある。


 自然に害を為す邪鬼がいれば、当然それを祓う存在もいるのだ。

 それが、私たち邪鬼祓じゃきばらいである。


 古くから続くその関係性は、今でも変わる事は無い。


 変わったことがあるとすれば、邪鬼祓いの会は生物多様性維持機関といった組織に統合された事と……邪鬼祓いの成り手が減ってしまった事ぐらいだろう。


「ボタン、一人でいけそう?」


 後から追いついて来た深夜が、水蜥蜴を警戒しながら私に問い掛けた。


 当然、問題はない。


「うん、任せて!」


 水蜥蜴と距離をとった私は、自分の中にある力を外側に出して行く。

 やがて私自身を纏ったそれは、半妖である私の“あやかし”としての力だ。


 突然この力を見せた私に警戒したようで、水蜥蜴はこちらに近付こうとしない。

 そこで標的を変えたのか、奴は深夜達の方に顔を向けた。


 徐々に身体が熱くなり、私の背中には八本の細い蜘蛛の脚が現れる。

 これは私が力を使う時のみに出現する、妖気によって形成されるものだ。


 突進する水蜥蜴をじっと睨んで怯まない深夜と、その後ろで慌てる追川さん。


 地面を蹴って移動した私は水蜥蜴の進行方向を塞ぎ、両手と八本の脚でその巨躯を食い止めた。


「私の飼い主には指一本触れさせない! っと、お前の武器は手じゃなくて口か!」


 尚もその口で私を捕食しようと試みる水蜥蜴の頭に、両側から蜘蛛の脚を突き刺す。


 痛みで更に暴れた水蜥蜴から泡水が放出され、それが川の水に混ざり流れていく。


「今だ、妖蟲ようちゅう支配!」


 水面みなもに当てた私の手のひらから大きく波が立ち、その手を水から離したと同時に、人の頭身ほどはありそうな昆虫が水中より姿を見せた。


「やっちゃえ、スーパーオニタガメちゃん!」


 名前は今付けた!


操糸術そうしじゅつ捕縛ほばく!」


 私は指先から放った糸で水蜥蜴を捕縛すると、タガメちゃんは鋭い針のような口を水蜥蜴の脇腹あたりに刺し込む。


 水蜥蜴は苦しそうに足掻いているけれど、私の糸の強度はその程度で切れるほど柔くない。


「これでトドメだーッ!」


 右手に妖力を集中させた私は、水蜥蜴の胴体へと斬りかかる。

 が、直後に激しく抵抗した水蜥蜴によって拘束していた糸が切られ、タガメちゃんは口の針を折られて突き飛ばされた。


「やばっ!」


 体勢を立て直した水蜥蜴が、私に向けてその尻尾を振りかざす。

 あれに当たったら腕が無くなっちゃう……!


 刹那、ピィーッといった甲高い笛の音が、木々にこだまして鳴り響いた。


「折紙術、一ノ巻・疾風刃しっぷうじん!」


 追川さんの折紙術だ。

 彼の使役する魚の折り紙達が、水蜥蜴の身体を一直線に切り付けた。

 傷は浅いけれど、奴はその攻撃に怯んで私への注意を逸らしている。


 今がチャンスだ。


「サンキュー追川さん! いくよー!」


 もう一度右手に妖力を込めた私は、それを水蜥蜴の首に向けて振り下ろした。


「オニグモ大切断!」


 切り落とした頭が大きな音を立てて水に落ち、残された身体も水飛沫を立てて水中へと倒れ込む。

 やがてそこから黒い靄のようなものがスゥッと抜けると、身体は水に溶けるかのように跡形も無く消滅していった。


「ふぅ、一件落着!」


 私は術を解き、深夜と追川さんに向けてピースをしてみせるが———


 深夜がやけに神妙な面持ちをしている。


「深夜、どうしたの?」


 私の問いに、彼女は左手を顎に当てたままゆっくりと口を開いた。

 

「水面泡が消えた」


「よかったじゃん、これで一安心だね!」


 何の問題もない。

 邪鬼は倒して水面泡も消えたのであれば、あのご夫婦が不安を感じる事など無いのだ。


「水面泡が消えたのは、邪鬼を倒したから。あんたが水蜥蜴を攻撃した時、奴の身体から泡が流れ出ていた。つまり、あの水面泡は奴から発生していたの」


 深夜は泡の消えた水面に手を当てながら、もう一度口を開く。


「ごく稀に、今回のような環境汚染の原因となったモノを、そのまま能力として扱う邪鬼が発生する」


 確かに、言われてみればその通りだ。

 邪鬼が消えて水面泡も無くなったのは、水面泡の発生源が邪鬼だったから。

 だとすると———


「まさか……」


「そう、あの水面泡はこの城津川のものじゃない。別の場所で起きた水質汚染によって生まれた水蜥蜴が、ここまでやって来たんだよ」


 邪鬼が発生した原因は、別の場所にある。

 今回のお仕事、一筋縄では行かないようだ。

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