第15話 あるようでない

 書き記しながら、ユフィは質問を投げた。


「四種聖獣というのはどのような方々なのですか?」


「呼び名のとおり、四種の種族でございます。ひとつは若奥様もご存知、このウルフェンハード公爵家である獣種。そして、レオルラーゼ公爵家である獅子種。フォックランズ公爵家である狐種。イグハントリー公爵家である鷹種、でございます。若奥様もいずれはそれぞれのご当主やご子息ご令嬢にお会いすることになりましょう」


 四種は、国を五つの地に分け王家とともにそれぞれの領地を持っている。他貴族はそれぞれの領地の中のそのまた一角を担い、群れの長である四種聖獣たちが統治している。

 ウルフェンハード公爵家は現在、オルガの父である公爵が領地におりそれを担っている。いずれはオルガが受け継ぐことになる。


「四種はどの御方も、群れを率いるに素晴らしい方々ばかりです。我々はもちろん、獣種たる旦那様の群れの一部でございます」


「群れ……。で、ではわたしも、旦那様の群れの一部ということなのでしょうか……?」


「ほほほっ、とんでもない。若奥様は次期長たる若旦那様の伴侶。長の隣に立つ御方ですぞ」


 そっと控えるメイドたちを見れば、「そうですとも」と言わんばかりの笑顔で頷かれてしまう。

 あわあわとどう反応してよいものか分からないユフィだが、少しずつ国の形が分かってきて、分かることが嬉しくなる。


「さて若奥様。若奥様は獣人についてどれほどご存知でしょうか?」


「見目は人の姿に耳や尻尾があり、身体能力も人間種よりも遥かに優れた方々ということ、です……。それに……とても…優しい方々です」


 少し恥ずかしそうに俯いて、それでも伝えたいという想い溢れるように最後に紡がれた言葉はとても小さく、けれど獣人たちの耳にはしかと届き、控えるメイドたちもダリオスも嬉しそうに頬を緩ませた。


「ほほっ。ありがたきお言葉にございます。では、少々獣人についてもお勉強いたしましょう」


「はいっ」


 頷いたユフィの前にダリオスは一冊の本を広げた。


「四種聖獣に関してはさきほどご説明いたしました四種が存在します。それ以外の獣人種も数が決まっているのです」


 四種聖獣以外の獣人。ユフィはちらりとダリオスを見る。

 ダリオスは牛の獣人だ。白髪交じりの黒髪の中に二本の角があり、耳はぺたんと垂れ気味になっている。


「さて若奥様。この屋敷にいる獣人の種はどれほど覚えておられますか?」


「ダリオスさんの牛。庭師のケナムさんは山羊。猫や虎、熊も記憶にあります。それから……リークヴェル様は、鳥、ですか?」


「若奥様の周囲にはなるべく人間種をと若旦那様は配慮なさっておられますが、若奥様はよく見ていらっしゃいますね。他には鼠もおります。そしてリークヴェルさんは、鴉でございます」


「それはたいへん失礼いたしました」


 リークヴェルは髪も瞳も羽も黒かった。なるほどと種族に納得を覚える。

 ダリオスの訂正に素直にぺこりと頭を下げるユフィを微笑ましく見つめ、ダリオスはさらに続けた。


「いえいえ。空を飛ぶ翼を持つ種族は二種のみ。それが鷹種と鴉種でございます。四種聖獣以外の獣人というのは、その七種に兎を加えた八種のみなのです」


 指を折りながら種族を書き記す。

 ダリオスの指は開いた本の文字をなぞりながら教えてくれるので、ユフィはノーティル国の文字を書いた後、その下にオリバンズ国の文字で同じ種族名を書いた。


(獣人は生き物の数だけいるわけではないんだ……)


 そんなこと、知らなかった。

 知らなかったことを知っていくのは世界が広がる楽しさがある。


「国にある森の中には動物たちがおりますし、四種聖獣と同じ種族も存在しております。言うなれば獣人側のまとめ役と、動物たちのまとめ役、というところでしょうか。しかし群れの長は公爵家当主でありますので、森で暮らす群れに何かあれば彼らは知らせに来るのです」


「四種聖獣は獣人たちだけでなく森の生き物たちの長……。大変なお役目なのですね」


 その苦労を思うユフィにダリオスはゆっくりと頷いた。


 ノーティル国にいるとき、獣人は蛮族だとしか教えられなかった。

 しかし実際はどうか。心遣いにあふれ、考えもなすべきことも多く、人間種と変わらぬ中を生きている。独自の信仰や生活は自然の中に存在するとも思えるもの。

 不便に思えても、不快には思わない。


 もっと獣人のことやオリバンズ国のことを知りたい。少しでも役に立てるように。

 そう思うユフィはさらに勉強を進めた。






 帰宅したオルガとの夕食後。ユフィは早速社交マナーについてオルガに教わることになった。

 場所は普段文字を教わっているのと同じ談話室。ユフィが用意するのは昼間の勉強と同じ紙とペン。


 二人でソファに座り、オルガは「さて…」と始めた。


「オリバンズ国にいる獣人たちは個性豊かで、あれこれ決まりをつくっても堅苦しさから嫌に思う者も少なくない。特に獅子種や虎種は細かいものが苦手で、猫種は自由なところがある。だから社交マナーというものは、実を言うと決まりはない」


「ない、のですか……?」


「ノーティル国とは違うだろう。強いて挙げるとするなら、匂いのきついものをまとわないこと。食器などで大きな音をたてないこと。耳や鼻を刺激されるのはどの種族でも気持ちのいいものではないからそういうものかな」


 オルガが口にすることを書きとっていく。オルガはそれを見ながら話してくれるので、ゆっくりとした調子だ。

 言われたことを書きとったユフィは、その内容をしげしげと見つめる。


「これが社交界での決まり、なのですか……?」


「ああ。ユフィも出てみれば分かるが、細かな決まりで縛れるような面々ではないんだ。人間ほど堅苦しくもない」


 どこか笑みを含んだ、ユフィに楽しみを与えるような声音に、ユフィも少し興味をそそられる。


「社交界のマナーとはまた別だが、獣人と接するときは相手が許さない限り耳や尻尾に触れてはいけない。大切な部分であり繊細だから」


「分かりました。……その…」


「うん?」


「その……今の若旦那様のお尻尾は、いいのでしょうか?」


 俯きがちなユフィが視線を向ける先は、ユフィの腰に巻きついたオルガの黒い毛並みの大きくて柔らかな尻尾。

 隣に座れば必ずと言っていいほどこうなっているのだが、これはオルガの不快になるのではないかと危惧するユフィは躊躇いがちにオルガを見る。


 躊躇いがちで不安げな、自分を想ってくれているユフィにオルガは微笑んだ。


「ああ。俺がユフィとこうしていたいからこうしているんだ。触ってみたいなら、ユフィならいくらでも」


「え、あ、えっと……」


 これは断っていいものなのだろうか。それとも遠慮なく触れてみるべき?

 判断できないユフィは困ってしまい、そんなユフィを見たオルガがふわりと尻尾を動かしてユフィの手に触れる。そうしてやっと、遠慮がちにユフィの手が伸びた。


「!」


 ふわふわの感触。尻尾の毛は長毛と短毛が混じり撫でるととても触り心地がよくてなめらかだ。ずっと触っていたい。

 オルガの尻尾は犬や狼とは違って大きくて、邪魔にならないのかと心配してしまうが本人は上手く扱っている様子。

 無意識にふわふわを堪能するユフィの驚きと興奮の混ざる様子に、オルガも使用人たちも微笑ましく見守っていた。


 しかし、ユフィはすぐにはっとして手の動きを止めると、昼間の勉強から少し気になっていることを聞いてみることにした。


「あ、あの……」


「うん?」


「夜会には、他の四種聖獣の方々もいらっしゃるのですよね……? その……旦那様や奥様は…」


「他家の当主には挨拶をするが、そう気を張らなくていい。両親は今回不参加だ。会う機会はまた今度」


 緊張してしまう。神に選ばれた特別な群れの長たちなのだから。

 ただでさえ自分は社交の場など慣れていない身だ。きっとオルガにも迷惑をかける。


(わたしは敵国といっていい国の娘……。旦那様や奥様はご不快に思われているかもしれない)


 次期当主であるオルガの妻がこんな娘ではがっかりさせるに決まっている。だから会うことはとても緊張している。

 不参加と聞いて安心するのか、先延ばしになっただけだと不安が増すのか、自分でもよく分からない。


「……やはり…わたしにご不興を抱いておられますよね……」


 早いところ分かってしまえば不安にならずに済む。そうだと言うならそのつもりで挨拶をすればいい。

 嫌われるのも、邪険にされるのも、なんなら折檻だって――慣れている。


 けれど、口にしてしまってからはっとする。こんなことを息子であるオルガの耳に入れるべきではない。青ざめるユフィをオルガは少し驚いた顔をして見ていた。


「申し訳ありませんっ……。わたしなんという失礼を……!」


「すまない。俺の言葉が悪かった」


「え……」


「両親の不参加はそういう理由じゃない。春の時期はとかくその……母が、自由気ままなんだ。社交界よりも草の上で寝転んでいたいような人で……春の社交は断ることが多い。ユフィのことは歓迎すると手紙に書いてあったから心配ない」


 聞いたことのないオルガの両親の話。息子がどこか歯切れ悪く語る母親に内心首を傾げつつ、ユフィはゆっくり頷いた。


(オルガ様のご両親のことも、オルガ様のことも、わたしは知らないことばかり……あっ)


 ふと、想い出した。


 ユフィの手が尻尾に触れるのをやめてしまった。だからまた尻尾は自然とユフィに絡みついて、オルガは俯いた下で視線を動かすユフィを見つめた。


 社交界についてそう難しいことはないと知って少し安心した様子だった。緊張はしているのだろう。調べた限りではユフィが嫌な思いをしたのだろうと容易に推測できる。

 オリバンズ国の社交界は気軽なものが多いのでユフィも楽しめるだろうと思っているが、そうさせられるかはオルガの力も必要になる。


「ユフィ。どうした?」


 その不安を和らげるため、オルガはユフィに問う。

 問いかけても、ユフィはいつも、少し迷ってから口を開く。問うてもいいのかと迷う様子は自分が口を開くことが望まれていないかのようで、少し胸が痛い。

 だから、ユフィの心が少しでも軽くなるならば、オルガは何度でも口にする。


「なんでも言ってくれ。俺はユフィの言葉を聞きたい」


 想いを、我儘を、なんでも。


 この情は同情でも憐みでもない。推測したときにはそういった情もあっただろう。

 けれど、小さな彼女をずっと見てきたから。小さいのに必死な、精一杯な強さを、見てきたから。


「あ、あの……」


「うん」


「お聞きしても、よろしいですか…?」


「もちろん。なんでも」


 小さな手が膝の上で拳をつくって震える。触れればきっと体が強張ってしまうから、まだ触れない。

 俯いた顔を少しだけ上げれば、森の中にある澄んだ泉のような綺麗な翠の瞳が見えて、オルガの口許に笑みがのる。


「若旦那様は、どういったお仕事を…されているのですか……?」


「!」


 問うて、問うてよかっただろうかと不安を表すように視線が下がる。


 ユフィは雑談をするような人ではない。しようとしないというよりは、誰かとそういった話をすることにきっと慣れていないのだ。

 口にするのは己がしなければいけないことや必要事項。だから、誰かを知るための問いは聞かない。


 オルガの心と同じなのか、控えるメイドたちははっと目を瞠って、中には思わず口許を押さえる者もいる。

 オルガ自身、己の耳と尻尾が固まるのが分かった。けれど言葉の中身とその問いをする意味を考えて、尻尾がうずうずと疼きだす。ユフィに絡みついていなければぶんぶんと振り回していただろう。


 嬉しいと思う。ユフィが自分を知ろうとしてくれたことが。

 たとえそれが、社交界に出るのに知らないままではまずいだろうと思ってのことだとしても、口にしてくれたことに意味がある。


「俺は近衛騎士をしている」


「近衛騎士……」


「そう。近衛隊の中で、陛下を守る隊の隊長を任されている」


 問いの答えをかみ砕く。――砕いて、ユフィは右目を瞠った。


「それは……とてもすごいお役目なのでは……?」


「王族付きの近衛部隊には各隊長がいる。その一人というだけだ」


 いや。その隊長がすごいのでは? 国家最大の重要人物たる国王を守る隊を任されているというのがすごいことなのでは?

 オルガがなんてことないように言うので少し困惑したユフィは、そっとメイドたちに助けを求めた。


 返ってきたのは、とても自慢げな表情。それで充分だった。


「若旦那様は、やっぱりすごいです」


「そうか? ありがとう。ユフィにそう言ってもらえるのは嬉しい」


 嬉しそうにオルガが微笑むから、ユフィはそれを見れなくておろおろと視線を彷徨わせた。

 いつの間にか離れた尻尾が、オルガの後ろでぶんぶんと勢いよく振られていた。






 ユフィと話を終えたオルガは「今後も分からないことがあればなんでも聞いてくれ」と告げてユフィを部屋に送り、自身も私室へと戻った。

 仕事は基本的に近衛隊の仕事部屋で済ませて持ち帰らないようにしている。機密事項などにも抵触する事柄があるので、必然そういったようにしている。


 そんなオルガの傍には、執事であるダリオスがいる。


「ユフィの勉強はどうだ」


「はい。若奥様は勉強に熱心に努めておられます。我が国の文字はまだ不慣れですので、ノーティル国の文字とオリバンズ国の文字で書き記し、文字の勉強までなさっておられます」


「根を詰めすぎないといいんだが……」


 頑張りすぎるところがあるのだと、オルガは思っている。

 やらなければいけない。しなければいけない。できないは折檻の元。そう教え込まれているから、ユフィは自分の限界を気にしない。明日のため、今日の勉強をおさらいして全て答えてみせるような無茶をしてしまうのだろう。


「エラゼに、ユフィの夜間勉強を見ておくよう伝えおいてくれ。あまりやりすぎるなら止めるように」


「承知いたしました」


 頭によぎるのはユフィのノーティル国での暮らし。使用人たちもユフィの様子からそれは察しているからこそ、あらためて伝えるという選択肢をオルガは早々に消した。

 深く傷のある背景など、他者に知られたいものではないだろう。


「ダリオス。今後も頼む」


「はい」


 ダリオスを下がらせたオルガは椅子の背に身を預ける。


 必死に勉強しているユフィを思い出す。オルガが言うことを紙に書いて、きっと何度も見返して頭に刻み込むのだろう。

 そう思って、僅かオルガの眉根が寄った。


(ノーティル国は魔法を使える貴族と使えない者が多い平民の間で格差が激しいと聞く。平民の中でも文字が書けるほどの教育がされているということは――……)


 両国の文字を交互に見ながら文字を学んでいるユフィを思い出し、そっと口元に手をあて思案に暮れた。





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