ep.24 結末 (1)

 自分よりも長身なアルベルトに肩を貸すようにして、反対の手で簀巻きの男の片足を掴んで引き摺りながら、ユーフォリアが庭園を門の方へと向かう。

 すっかり炎に包まれた屋敷は、背後でたまに木々の弾けるような音と、何かが大きく崩れ落ちるような音を立てた。


 敷地の外までもう少しというところで、ユーフォリアはそこに立つ複数の人影に気が付く。

 一瞬だけ足を止めかけて、問題ない、というアルベルトの言葉に頷き、またそちらの方へと進んだ。


「ご無事……とはとても言えませんが、お約束通り戻って来られて何よりです、閣下。ユーフォリア騎士団長補佐、そちらの男は私が預かります」


 そう言って、レオネルがユーフォリアの手から男の身柄を引き取った。


 男が転がされた先には、同様に全身を縛り上げられた人間が幾つか横たわっている。

 牢で目にした装束の者は、この屋敷に仕えていた者であったり、下手人として雇われていた者だろうと思うが、その他の身なりの良い者は何か、とユーフォリアが問うと、貴女が捕縛した男と繋がりのあった者だ、とレオネルが答えた。


「ここで騒動している間に、閣下の指示で、今回の香と家の乗っ取りに関与した家は一網打尽です。この男も、明日の会で正式に称号の引き継ぎがある予定でしたが、魔獣飼育の証拠と、ついでに屋敷の火の不始末、その他山のような余罪で当然全て白紙、爵位も剥奪の上、投獄されるでしょう」


 疲れた声でそう続けたレオネルに、ユーフォリアが少し目を瞬かせる。

 何故アルベルトがこの屋敷に単身で訪れたのかと思ったが、裏でこのようなことをさせていたためかと得心したように頷いた。


 そこでふと、レオネルの他にこちらを見ている視線に気が付く。

 彼の後ろに立ち、捕縛者を押さえている男たちにはいずれも見覚えがあり、訓練場で馴染みであったり、他の隊の小隊長を勤めていたりした者たちだった。


 ユーフォリアが首を傾げると、アルベルトが彼女の肩から身を離し、背中を押すようにそっと手を添えた。


「お前には、部隊の指揮権が与えられると言ったろう。彼らはいずれも存分に腕が立ち、何より信頼できると私が判断した者たちだ。お前の出自を知った上で、レオネル同様に、お前を支えると宣言してもらった」


 治りきらない首の傷を押さえたまま、アルベルトが少し咳き込みながらそう告げる。


 レオネルが深いため息を吐いて、ちらと背後を伺った。


 急な招集を受け、部隊の初陣としては過剰な仕事を任され、疲労困憊したところへの唐突な賛辞と評価に、隊士らはいずれも居心地悪そうな表情を浮かべている。

 これを素でやっているのか謀略であるのか、長い付き合いでも判断できないところが怖い男だとレオネルは思った。


「ユーフォリア団長補佐、後の処理は私たちが行います。まずはそこの働き過ぎの騎士団長を屋敷へと運んで差し上げてください」


 未だに血の滲み続ける首と腹の傷を一瞥してから、レオネルが淡々とそう指示する。

 ユーフォリアは頷き、再びアルベルトに寄り添うようにして屋敷の方へと足を向けた。


 道を開けた隊士たちの何人かが、無言のまま、すれ違いざまにユーフォリアの背を軽く叩いた。



 レオネルたちがあらかじめ連絡を回しておいたのか、屋敷の門は開かれており、その前に待機していた複数の者の中から小柄な人影がユーフォリアの前に飛び出した。


「お嬢様……! 旦那様も、お怪我の具合は……いえ、まずはお屋敷に、お手を失礼致します」


 その場に崩れ落ちかけたシキは、強く首を横に振って、ユーフォリアの反対側からアルベルトの身体を支える。


 他の使用人たちにも囲まれるようにして、ようやく屋敷へと足を踏み入れ、玄関ホールの扉が閉まったところで再びユーフォリアに駆け寄ろうとしたシキを女の手が留めた。


 シキの肩から手を離し、グレアは両腰に手を当てて深いため息を吐く。


「お嬢様、それからアルベルト坊っちゃま。そのようなお姿でお帰りになられたことについて、まずは仰ることはございますか」


 ユーフォリアが数度目を瞬かせて、隣のアルベルトを振り返る。

 彼は実に苦々しげな表情で、手間をかける、とそれだけを答えた。


 グレアが再び息を吸った時、室内で急に膨らんだ怒気にユーフォリアは微かに肩を跳ねさせる。


「坊っちゃま、共にお屋敷を出る際に申し上げましたな。先代の呪いに囚われるなと。理想を追われることは結構、しかしその為にご自身どころか、大切な奥方の身すらかような危険に晒すとは、また貴紳の嗜みから教え直して差し上げねばならぬようで残念です」


 静かな怒りのこもった声で、まるで子供を叱るようにアルベルトに告げているのは、ユーフォリアが今までほとんど声を聞いたことのなかった中老の男性だった。

 いつも厨房にいる時には微塵も感じられない彼の威圧感から逃れるように、ユーフォリアはそっとアルベルトから身を離す。


 シキにあれは何者であるのか尋ねると、どうやらグレアの配偶者とのことで、ユーフォリアはシキの隣に立つ彼女の顔をちらと伺う。

 視線に気がついたグレアはユーフォリアの方を振り返ると、傷は大事ないか尋ねた上で、今度こそは説教を覚悟するようにと続けた。


 肩を落として謝罪してから、ユーフォリアは再びシキへと向き直る。

 屋敷に戻ってから変わらず不安げな目をじっと見つめ、ユーフォリアは深く頭を下げた。


「シキ、目のこと、ごめんなさい。それ、私がやった。私、療術のこともっと勉強して、いつかシキのことも治せるようになるから、だから、まだここにいて欲しい」


 顔を上げて消沈したように眉尻を下げるユーフォリアの肩を、わなわなと震える両手で掴み、シキの表情にはいよいよ憤怒が浮かぶ。


「左様なことは……当たり前でございます! そのようなことよりも、お嬢様、お御髪をこのように切られて帰って!」


 ついに我慢できないという様子でそう言って、シキはがくりとその場に両膝をついた。


 ユーフォリアが首を傾げて自分の頭を触る。

 あの牢に繋がれる時に男によって切り落とされた髪は、肩の辺りで不揃いになっており、指の間からまた一本落ちた青い毛をユーフォリアの目が追う。


 貴族令嬢にとって長い髪が如何に大切なものであるのか、ユーフォリアの髪が如何に美しいものであるのか、彼女が好む香りでかつ彼女の髪を艶やかに保つ薬剤の調合が如何に難しいものであるのか。

 そのようなことをぶつぶつと早口に捲し立ててから、不意に立ち上がったシキはユーフォリアの身に両腕を回した。


「シキは、お嬢様に出て行けと言われようとも、絶対に二度とお側を離れません。生きて戻ってきてくださり、本当に、良かった……!」


 胸の辺りがじわりと温かく濡れていく感触に、ユーフォリアは宙に浮いた両手をどうしたものか悩んだ表情でグレアを見る。


 苦笑した彼女に視線で示されて、そっとシキの背に回してみると、身体に巻き付く腕の力が一層強くなった。

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