ep.7 剣の道 (3)

 木々の向こうに屋敷が見えてきた頃、煌々と灯された照明に、既に事態は発覚していたらしいとユーフォリアは思った。


 がさり、と音を立てて、頭上の木から人影が落ちてくる。


「お嬢様……、心配致しました……! ご無事で……!」


 頭の先から足の先まで、ユーフォリアの身に傷の一つもないことを確認してから、シキはその場に崩れ落ちるように膝を付いた。

 その向こう側からやって来る人物に、アルベルトは短く息を吐く。


「大事にせず待機していたか。助かった」


「行き先は分かっておりましたから。しかしお嬢様、特に夜分遅くに一人で出歩いてはなりません。せめて共の者をお付けください」


 微かな安堵の息を吐いたグレアの手には小さな紙があり、そこには『忘れ物』とだけ記されていた。

 屋敷を出る前に、一応外出の要件を告げておくべきだろうかと、ユーフォリアがその辺りの紙を破って書いておいたものだった。


 そっと背を押され、ユーフォリアは振り返る。

 アルベルトがその頭を軽く撫でた。


「物を届けて貰ったことに、改めて礼を言う。今宵は冷える。身を温めてから眠ると良い」


 そう言ってグレアたちに視線を送り、踵を返そうとする彼の服を細い両手が掴む。

 柔らかな表情で振り返るアルベルトの目をじっと見上げながら、ユーフォリアは首を傾げた。


「アルベルト、城に帰ったらまた、あの剣振る?」


 別れでも惜しみたいのかと思ったが、想定しなかった問いにアルベルトは二度目を瞬かせて、それから被りを振る。


「あと一時間で夜番だ。今日はもう終いにする」


「じゃあ明日、また見に行く」


「お嬢様⁈」


 躊躇いなくそう返したユーフォリアに、シキが慌てて立ち上がり顔を青褪めさせた。

 少しだけ眉を寄せたアルベルトは、静かに首を横に振る。


「ユーフォリア、城に来てはならない」


「どうして?」


「言ったろう、お前の身を守る為だ。あの城壁の向こう側には、騎士団や王族といった決められた者しか立ち入ることは出来ない」


 ゆっくりと言い聞かせるようにしてそう言うアルベルトに、シキもユーフォリアの肩を持って大きく被りを振った。


「そうです、お嬢様。脅かすつもりではございませんが、捕えられれば牢に繋がれた上で尋問を受けることになります」


 以前に受けた責苦を思い出し、シキは顔を歪める。

 万が一にもそのような目に遭わせる訳にいかない、と言う彼女に、ユーフォリアは一つ頷いた。


「じゃあ騎士団になる」


「お嬢様! どうなされたのですか⁈」


 シキがいよいよ目を見開き、アルベルトも怪訝に眉を寄せる。

 しばしば突拍子のない彼女ではあったが、ここまで聞き分けのないことは初めてだった。


 アルベルトはシキの手を外させて、両手でユーフォリアの肩を持ち、じっと真っ直ぐに目を見据えて柔らかな声で尋ねる。


「どうした、何故急にそのようなことを言おうと思ったのだ」


「さっきのアルベルトの剣が、すごく綺麗だった。私もあれが欲しい」


「剣の使い方であれば、屋敷に戻った時に教えてやる」


「動きを覚えたら、アルベルトが言う、騎士になれる?」


 軽く首を傾げてそう言って、返答があるよりも早く、ユーフォリアはシキを振り返った。


「シキ、前の屋敷のホールのところに掛けられてた毛皮、あれが、『父さん』なんでしょ?」


「お、嬢様……」


 予想しない文言に、シキが息を飲み呆然とそう呟く。


 じっと彼女を真っ直ぐに見据える金色の瞳は、月の無い夜空の下でも微かな光を放っていた。

 ざわりと木々の間を風が抜け、ユーフォリアの青黒い髪が前方へと大きくたなびく。

 既に彼女よりも背の低くなったシキからは、まるで獣の毛並みの中から双眸がこちらを捉えているような、そのような錯覚を受けた。


 返事のないシキから、不意にユーフォリアが視線を逸らす。

 再びアルベルトへと振り返ると、また彼の顔を見上げた。


「今日読んだ本に載ってたよ。魔力が多い魔獣で、月の影響を受けやすくて、一族の群れで生きて、他の群れは全部敵なんだって。それから、群れで一番弱い個体は、餌が無くなった時に皆に食べられるんだって」


 この日に届いたばかりの書物には、青黒い毛並みを持った魔獣の生態についても詳しく説明されていた。


 半日前に学んだ内容をなぞり、ユーフォリアはじっとアルベルトの目を見据えながら、微かに首を傾げてみせる。 


「アルベルトは、私に、どっちになって欲しいの? 人間? 魔獣? なんでいつも、私を屋敷の中で守ろうとする? アルベルトも、私を『飼う』?」


「ユーフォリア様、どうして、騎士の剣が欲しいと思われたのですか?」


 アルベルトの返答よりも早く、ここまで会話を黙って聞いていたグレアが、柔らかな声でユーフォリアの背後からそう尋ねた。


 ユーフォリアはくるりと振り向き、うん、と一つ頷く。


「だって剣があったら、アルベルトもグレアもシキも、屋敷の人間、皆守れる。それから、ついでに他の人間も。牙は無いけど、守り合って生きるのが人間だって、そう書いてあった」


「……お前は、人間でありたいか?」


 静かに掛けられた問いに、ユーフォリアは振り向いて大きく頷いた。


「うん。だってアルベルトは人間だから、同じ方がずっと一緒にいられる。違う? アルベルトは魔獣がいい?」


「どちらでも構わない。私は、お前がお前でありさえすればそれで良い」


 アルベルトは首を振り、そっとユーフォリアの背に腕を回して細い身体を抱き寄せる。彼女の髪に唇を寄せ、頭上から囁いた。


「愛している、ユーフォリア。故に、お前の身を守ってやりたかったが、それがお前の意思だというのであれば、私に止める権利はない。お前の生き方は、お前自身が選び、誰にも制限されるべきでない。ただし、騎士団の加入には少しばかり手を回す必要がある。あと半月程待ってもらえるか」


「うん、分かった。じゃあそれまで、屋敷で勉強してる。シキ、布の繕い方、教えてくれる? アルベルトの寝具、穴開けた」


 アルベルトの腕の中で顔を上げ、満足げに頷いたユーフォリアは、するりとそこから抜け出すと、背後で立ち竦むシキに少しバツが悪そうにそう打診する。


 シキははっと我に返り、何度も首を縦に振った。


「はい、はいお任せください、お嬢様。しかし今晩はもう随分と遅うございます。……グレア殿、私はお嬢様をもう一度湯浴みに。旦那様も、御前を失礼致します」


 グレアとアルベルトに目配せをして、シキがユーフォリアの手を取って屋敷へと向かう。

 ユーフォリアは足を止めずに振り返り、アルベルトへと手を振った。


「アルベルト、騎士団のお仕事、怪我しないでね。ねえシキ、愛している、って何? アルベルトは何で私を守りたい?」


 屋敷の方へと向き直ってから、ユーフォリアは先程結局答えを聞き損ねた問いを、半歩先を歩くシキに尋ねる。


「……きっといずれ……お分かりになられます」


「分かった。それも勉強する」


 少しの間を空けて返された回答に、ユーフォリアはとりあえずそう結論付けた。



 二人の姿が完全に屋敷へと入ってから、グレアが大きなため息を吐く。


「……訳有りだとは思っておりましたが。それならそうと、仰って頂きたかったですね」


 昼過ぎに手渡した書物の内容を思い出し、グレアは少し顔を顰めた。


 生態や繁殖、人間への危害の記録まで細かに書かれたあれを読み、あの娘がどう思ったのか、知っていれば配慮出来た、とアルベルトを責めるように見ながら続ける。


「ああ、すまない。苦労を掛けるが、どうか引き続き支えてやって欲しい」


「当然です。暇でも出されたならば、久しぶりに雷を落として差し上げようと思っておりましたよ、坊っちゃま」


「……その呼び方はよせ」


 不機嫌そうに眉を寄せるアルベルトに、グレアは一つ笑い声を上げてから一礼した。


「旦那様とお嬢様の決められたことです。口出しは致しませんが、もし万が一にも道を違えられた時には御覚悟ください」


「理解している。そのようなことにはならない」


 グレアが再び頭を上げた時には、既にアルベルトは背中を向けて、城砦への道を歩み始めていた。

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