第3話 OB達の願い


 久しぶりの日本。


 用意してもらったホテルに荷物だけ置いて外に出た。


 俺を日本に呼び戻してくれた恩師に会うために。



 関備は俺の監督としてのキャリア第一歩としてはおあつらえむきだ。


 古豪を新しいやり方で復活させる。

 

 そして、関備を足がかりとして、さらに強豪校を目指す。強豪校を強化すれば、自ずと俺のやり方が知られることとなる。俺が日本の高校野球界を変えていく。

 


 ただ、話をもらった時、縁もゆかりもない岡山の高校に招聘されたのか分からなくて困惑した。

 

 理事長から御大からの推薦と聞いて納得した。

 

 関備は大学時代の監督、町孝蔵御大の出身校だ。


 俺が日本で唯一尊敬する指導者だ。アメリカ留学できたのも幅広い人脈を持つ町御大のおかげだ。


 御大は関備卒業後、東大に現役合格した。しかも、東大野球部史上初めて野手として六大学リーグで首位打者になり、しかもドラフトにかかった人だ。


 ただ、自身は、法曹界に進むことを決めていたので、プロには行かなかった。

 

 検察を早期退任後にW大学の法学部教授になり、野球部の監督にも就任した。


 俺はそこで町御大と出会った。

 

 アマチュア野球界の哲学者と呼ばれ、いつも物思いに耽っている。何を考えているのかよく分からない掴みどころのない人だった。宗教にハマっているという根も歯もない噂もあった。

 

 御大は誰に対しても敬語を使い、偉そうな態度をとっているところを一度も見たことがない。部員たち一人一人を大人として接してくれた。

 自主性を持って練習に取り組むことも御大の指導だ。


 そして、その稀有な頭脳を持ってゲームを支配する。論理的に構築された見事なゲームメイク。


 野球バカなオヤジたちに振り回されてきて俺たちは全員心酔した。


 W大野球部員は尊敬の念を込めて「御大」と呼ぶ。


 町御大のようになりたい。そして、高校球児たちに御大のような指導者と出会ってほしい。


 それが、俺の夢の最初の一歩だった。



 御大からの推薦なら断る理由もない・・・が、意外なのは母校のことを気にかけていたことだ。


 ご本人の口から高校時代の話を聞いたことがない。一度だけマネージャーが高校時代に、あの番野と対戦されたことがあるか尋ねたことがある。

  

 俺はその時初めて御大が関備出身であることを知ったぐらいだ。


「昔のことですよ」


 それ以上は何もお答えにならなかった。聞いてはいけないことを聞いてしまった空気になった。


 てっきり自分と同じように御大も高校時代に良い思い出がないものと勝手に決めつけていた。



 15年ぶりに母校の門をくぐる。今日は、やたらとスーツ姿の人が目立つ。明らかに学生ではない。引き締まった体躯の男女が鋭い視線で行き交う学生を監視している。

 

 VIPの講演会でもやっているのだろう。



 御大は名誉教授なのだが、今でも野球部の練習に顔を出しているらしい。


 専用球場のスタンドにその姿はあった。さすがにお年だ。少し小さくなったように感じる。


 グランドでは部員たちが集まってきている。それぞれがアップを始めている。

 

 一人一人が考えて、練習をする。御大が監督就任して以来の方針だが、これでは少し緩みすぎている。談笑している者や適当にしている者が目立ちすぎる。本来の意味を失っている。


「監督、ご無沙汰しております」


「お元気でしたか?」


「はい。おかげさまで」


「座りませんか」


「はい。失礼します」 


「彼らを見て、どう思いますか」


「少し緊張感がありませんね」 


「やはり、そう思いますか」


「ここにいる部員たちはほとんどが強豪校出身です。やらされる練習ばかりで、自分たちで律することは苦手なんじゃないでしょうか。気持ちは分かります」


「でも、あなたたちは違いましたよ」


「それは監督がグランドにおられたからです」


「それは理由になりませんよ」


「指導者は大事です。特に発達途中の高校生は導いてやらなければいけません」


「私の高校時代には監督なんていませんでした。試合の時だけ英語の先生にベンチに座ってもらっていました」


「そうだったんですか?」


「ただ、キャプテンが面白い男でして、その男に私たちは引っ張られて練習していました」


「自分たちだけで練習を?」


「はい。もう無茶苦茶でしたよ。当時は今のような野球理論もトレーニング方法もありませんでしたから。あなたのような指導者がいたら、ひょっとしたら・・・」


 監督がグランドを見つめながら、懐かしそうに微笑む。


「ひょっとしたら、甲子園ですか?」


「届きませんでしたが、良い思い出です」


 突然、グランドにピンクのオープンカーが現れた。野球部員たちが目を丸くして戸惑っている。


「なんだ!?グランドに乗り付けるなんて!」


「君が来ると言ったら、一度会っておきたいと言うもんですから」


「あの、自分は今日伺うことをお伝えしていませんでしたが」


「なんとなくです。感みたいなもんですよ」


「で、どなたですか?」


「古くからの友人です」


 オープンカーからド派手な男が降りてきた。

 白いジャケットに鮮やかな青いシャツ。サングラスに、首元にはスカーフ。イタリアの伊達男のような服装だ。


 サングラスをずらし、こちらを確認すると、軽い身のこなしでスタンドを駆け上がってくるが・・・結構いい歳というか・・・老人だ!?


「道に迷ったら、グランドに出てしまった。すまん、町」


「かまいませんよ。紹介します。浅沼くんです。君も野球人なら名前ぐらい聞いたことがあるでしょう」


「え?スター浅沼!?失礼しました。もちろんです・・・浅沼・・選手」


 プロ野球連続試合安打記録保持者にして名球会。俳優以上と言われた容姿と華麗な守備で、ついたあだ名はスター浅沼。私生活では夜の盗塁王の異名を持つ球界屈指のモテ男。

 この年齢にして、この色気。現役感が滲み出ている。


「君がメジャー帰りのコーチかい?」 


「白武と申します!あの、なんで浅沼選手が?」


 そうだ!浅沼氏はOBだった。


「よろしく。もう選手じゃないから浅沼でいいよ」


「はい。浅沼さんもOBでしたね」


「僕と彼で二遊間を守っていました」


「僕が一番で、町が二番。なかなかいいコンビだったよ」


 御大は普段からバットもグローブもはめない。近くで練習を眺めているだけの御大が一度だけボールをキャッチしたところを見たことがある。

 

 三塁脇に立っておられた御大に強烈な打球が飛んだ。


「危ない!」


 誰もが思った瞬間に、こともなげに素手でボールをキャッチした。いや、ボールが手に吸い込まれたみたいだった。

 全員で目を丸くした記憶が蘇る。

 

 そんな御大と浅沼の二遊間。とんでもないレベルだ。


「で、早速本題に入る。君は関備を日本一のチームにできるか」


「何を持って日本一か、は置いておいて、それはできます。お約束します」


「甲子園です。出場して甲子園で勝ってほしい。できれば、3年以内に」


 変だ。御大が甲子園を目指せと仰るのは違和感がある。そんなことにこだわる人ではない。


「甲子園はあくまでも副次的な目標です。私が目指すのは」


「分かっています。ですが、我々にはあまり時間がないのです」


「町監督?」


「無理を承知でお願いします。この通りです」


「俺からも頼むよ。今のやり方では駄目だ。伝統にこだわり過ぎて生徒たちから敬遠されている」


「改革ですね。もちろん、そのつもりですが、それと甲子園を目指せは、やはり相反するのではないでしょうか」


「白武君なら大丈夫よ。改革もできるし、甲子園でも勝てる。わしが保証するけん」


「なんだ?来てたのか」


 振り返るとSPや秘書みたいな人たちに囲まれた老人が俺たちを見下ろしている。


「え?此下幹事長!?」


 与党自由党の此下幹事長!?永らく影の総理と呼ばれ、永田町で最も恐ろしいとされる人物。


「高校大学で走攻守兼ね備えた内野手で名を馳せ、しかも、どこのチームでもキャプテンを任される人間性。そんな中でも学業は常にトップ。渡米後に最新のスポーツ科学を学び、レッドソックスの育成コーチからスタートして、メジャーでも新進気鋭のコーチと評価を受けとった。関備を復活できるんは彼しかおらんよ」


「ちょっと町監督、これは一体?」


「彼もOBです」


「は?え?幹事長が!?」


「大したことないさ。所詮は岡山のチンピラなんだから」


「アサ!言い過ぎよ」


 秘書たちが浅沼氏を睨みつける。緊張感が走るが、浅沼氏は全く気にしていない。それどころか、SPの中の女性に気づくと、歩み寄って話しかけ始めた。


 老人がナンパ・・・している。


「その通りです。関備野球部でマネージャーをやっていました」


「人数が足りない時は、たまに試合に出てもらっていました」


「まぁボールは飛んでこないんやけんね。立っとけば良かったんよ」


 レギュラーがほとんどプロで、マネージャーが有名政治家。これは思ってた以上にとんでもないチームだ。


「白武くん、監督を引き受けてくれて、感謝しとるんよ」


「最初に誰かおらんかと私に聞いてきたのは此下くんです」


「そうでしたか。でも、お礼を言うのは私の方です。高校の指導者になるのが目標でした」


「メジャーのコーチよりも?」


「はい」


「それを聞いて安心したわ。頼むで、甲子園」


「あの〜それなんですが」


「今時じゃない言うんやろ。分かっとらん老人が好き勝手言いやがって。そんな顔をしとるよ」


「・・・そんなつもりは」


「白武くんには私から説明しましょう」


「監督?」


「私たちの年代が関備OBのトップです。年齢的にもですが、ほとんどがプロ野球選手ですから、当然誰も逆らえません。まさに老害です。そんな私たちが、考え方の違いから、いつからか二つの派閥のようなものに分かれてしまいました」


「目標は同じなんよ。なんでこうなってしもうたんか」


「実権を握り続けたのは徹底した勝利至上主義派です。君の最も嫌うものですね。強制的な練習、徹底した管理。監督もコーチも平気で暴力を振るう人物がOBの中から選ばれ続けました」


「そんな高校、今時の子供達が選ぶと思うか」


 振り返ると浅沼氏が女性の肩に手を回している。女性の顔がうっとりとしている。


「アサよ。その人は既婚者じゃ」


「おっと失礼」


「な?わしらは老人じゃけど、今時をわきまえとるつもりよ」


「OB会の会長は江波君です」


「あのホームラン王の?」


 野球解説でもその古い価値観が露見して、何度も批判されていた気がする。確かに気難しい面倒臭そうなイメージだ。


「本当はチームメイトの中でも一番心の優しい男なんですが、ある理由で頑なになってしまいました。なんとか交渉して、5年間甲子園に出られなかったら、次の監督人事は私たちに任せてもらう約束を取り付けました」


「そして、この夏ももちろん予選敗退。遂にワシらに人事権が回ってきたいうことよ」


「派閥があるのは分かりました。ただ、どちらも甲子園にこだわる理由はなんでしょうか。やはり僕は、そのために子供たちを犠牲にすることはできません。それは町監督から学びました」


「もちろん犠牲にするつもりはありません。君のやり方で良いのです。私も未来ある若者を潰さないでほしい。副次的な目標でもいいから甲子園を目指して欲しいのです」


「メジャー帰りの君が監督になったら噂を聞きつけた有望な子達が絶対に集まる。今時の子も親もそのへんの情報収集はすごい。結局、どれだけ優秀な子を集められるか。それが今の高校野球だろ。俺は面白くないけどな」


 俺の経歴を利用されている・・・でも、関備を利用しようとしているのは俺も同じだ。


「甲子園にこだわる理由はまだ答えてもらってません」


「本来なら私たちも甲子園を目指せとはいいません。関備を私たちの頃のような野球が好き好きでたまらない子達が思う存分野球に打ち込める。そんなチームにしてもらいたい・・・ただ、彼に大舞台で戦う関備野球をもう一度見せてあげたいのです」


「彼というのは?」


「筋金入りの野球馬鹿がいるんだ」


「関備野球部を作った男よ。粗野で破天荒でもう無茶苦茶な男なんやけど、あれがおったら周りが明るくなる」


「彼がいたら、日本の野球界ももっと違ったものになったかもしれません。そう思わせる人です」


「お前よくそんなことが言えるよな。入試当日にあいつに拉致されたんだろ」


「・・・」


「もともと町は関備を受験するつもりはなかったんよ。でも、どうしても町が必要じゃ言うて、県内一の進学校の入試日に校門前で待ち伏せして」


「確かに校門前で突然覆面を被らされてトラックの荷台に載せられました」


「もう無茶苦茶よ。わしでもそんなことはようせんで」


「・・・私は・・・犯人を今まで知りませんでした」


「・・・・」

「・・・・」

「・・・・」


「まぁ・・・なんだ?昔のことだし、俺も聞いただけだから」


「・・・町よ、あれよ。昔のことよ。時効よ」


「・・・・フフフフ・・・ハハハハハ!!!!」


 御大が声を出して笑うところを初めて見た。涙目で笑いが止まらなくなっている。


「やっぱり大アンゴウじゃのぅ西やんは・・・まぁいいでしょう。その彼が、病に倒れました。そんなに長くはないと思います。彼にもう一度、関備の活躍を見せてあげたいのです。今の我々があるのは彼のおかげなんです」


「俺からも頼む。君のやり方で構わない。甲子園に出てほしい」


「あいつらには口出しさせんと約束する。わしからも頼む」


 とんでもない状況だ。最も尊敬する恩師と往年の名選手、それに与党の幹事長に頭を下げられている。断れるわけない。


「わかりました。私のやり方は変えませんが、甲子園も目指します」


 

 ・・・・とは言ったものの、やはり勝利至上主義は危険だ。

 

 大切なものは子供達の将来だ。


 たとえ決勝でもエースは連投させない。たとえ四番でも故障しているなら俺は出さない。



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