第2章「こぼれ落ちた涙」

 「ひなたちゃん、今日も蒼太くんと遊べて嬉しそうでしたよ」


 下校後の校門前。迎えに来た遥は、担任の先生からそう声をかけられた。

 その隣で、笑顔のまま手を振る娘。その手をぎゅっと握る。


 帰り道。ランドセルを背負ったまま、ひなたがぽつりと呟いた。


「蒼太くんのパパ、やさしいね。こないだ、お菓子分けてくれた」


「……そっか。よかったね」


「ママもあんなパパだったらよかった?」


 急に言葉が止まる。遥は笑顔を作ったけど、胸の奥がひりついた。


「……ママは、ひなたがいてくれたら、それでいいよ」


 ひなたはふわっと笑って、遥の腕にぎゅっとしがみついた。


 こんなにも小さくて、あたたかい命。

 守っているつもりだったけど、本当は、守られてるのは自分かもしれない——。


 


 * * *


 


 週末の午後。町内の公園。

 「ひなたと蒼太が遊びたいって言うから」と、なんとなく自然な流れで、また高橋さんと顔を合わせた。


「一緒に見てるだけでも、ずいぶん楽ですね。子どもたちが仲良しだと」


 高橋さんの言葉に、遥は少しだけ肩の力が抜けた。


「……そうですね。うちは、最近特に、こういう時間がありがたくて」


 ふと口をついて出た言葉に、自分で驚く。

 普段なら、人に家庭の話なんて絶対しないのに。


「大変なんですか?」


 高橋さんは、何も詮索せず、ただ穏やかに問いかけた。

 その“聞いてもらえる空気”が、心にやさしくて。


「……まあ、いろいろあります。でも、ひなたが頑張ってくれてるから、私も頑張らなきゃなって」


 答えたあと、遥はちょっとだけ泣きそうになった。

 その一言すら、自分には贅沢なような気がして。


「偉いですね。……でも、本当は、ひなたちゃんのためにも、遥さんがちゃんと笑ってないといけないんですよ」


 その言葉に、遥の中で、何かがふっと緩んだ。


 自分が笑ってないことに、気づいてくれる人がいる。

 たったそれだけのことで、こんなにも心が震えるなんて——。


 


 * * *


 


 その夜。

 ひなたが寝たあとの台所で、遥はひとり、手を止めた。

 まな板の上の野菜も、冷たい水も、視界がにじんで見えなかった。


 涙が、静かに流れていた。


 それは誰にも見せたことのない、

 自分のためにこぼれた涙だった。

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