第65話 初めての彼の部屋 みやび視点

 実家からの帰り、衝動的にナギの住んでる寮がある庁舎の最寄り駅で降りてしまっていた。

 夜更けだからかあまり降りる人はいない。

 ナギから話を聞いていただけで一度も行った事はないので不安だったけれど、地図アプリを使えば一度も足を運んだところのない場所でも迷わずに着けた。


 夜遅いという事もあり、すでにもう門は閉まっていた。

 例え門が開いていたとしても詰所があるので、そこに居る警備員さんに話を通さないと入れないだろうけど。

 警備員さんに声をかけようかと悩んだんだけど、なんて声をかけていいのかわからなかった。

「御厨(みくりや)ナギの番いなんです」と言っても信用してもらえないだろう。

 指輪も、よく似ているニセモノが出回ってるらしいからこれを見せても説得力がないだろうし。

 今も「胡散臭い女が居る」とばかりに眼光鋭く睨まれている。


 このまま帰ろうかと思ったんだけど、一縷の望みをかけてナギに「会いたい」とメッセージを送ってみた。

 少し待ってこれに気づかれなかったら、その時は大人しく帰ろうと思っていたら即座に「今どこ?」と返ってきた。

 気づいてもらえた嬉しさと、遅番で疲れてるだろうに迷惑をかけたという後悔の気持ちとがないまぜになった。

 やや迷いながら「庁舎の前」と送ると「待ってて。すぐに行く」とメッセージが来た。


 警備員さんの視線が突き刺さる中、電灯の下で待っているとすぐにナギが来てくれた。

 部屋着姿の彼を見ると、自分が突然来て迷惑をかけたのだと思い知らされた。

「ゴメンね、急に」

 ナギが駆け寄り私を抱きしめ、頭を撫でてくれた。

 ささくれていた気持ちが癒される。

 そっと彼の背中に手を回す。

 好き、彼の体温も香りも抱きしめてくれる力加減も全部、好き。

 でもナギも仕事で疲れてるだろうし、一目会えただけで満ち足りたからもう帰ろう。

「ちょっとだけでも会いたかっただけだから。すぐに帰るから」と彼の抱擁から逃げようとするが、離してくれない。

 ふと詰所を見ると警備員さんが「信じられない」とばかりにすごい顔で硬直しているんだけど。


 ナギが中々離してくれなくて困っていたら、突然「貴公子ちゃん、あんたなにやってんだい。とっととうちに連れてきなよ」と女性の声が響いた。

 その口ぶりからすると、時折話に出てきた寮母さんだろうか。

「だが寮は異性立ち入り禁止なのでは」とナギも困惑してる。 

 そんなナギの言葉を打ち消すように「はっ!!何が規則だい!! いいかい? あそこではアタシが法だよ!!!!!!!!!!」と言い切った。

 すごいな、寮母さん。

 かなっぺのお母さんといい、ある程度の年代の女性ってみんなあんな風に逞しいのだろうか?

 私のお母さんは何を考えているのか、感情があるのかすらわからないけど。

 寮母さんの勢いに呆然とするが、力強くナギに手を取られ寮へと向かった。

 警備員さんにずっと見られてて居心地が悪かった。

 

 寮母さんとナギの間で話がついたようで、私はナギの部屋へと通される。

 生まれて初めて入った、好きな人の部屋。

 まさかこんな形で訪れることになるとは思わなかったけど。


 茶褐色の2人掛けソファと白色のテーブル。

 ノートパソコンで仕事する為用なのか同じ茶褐色のデスクと椅子。

 それのセットなのか隣には同じ色のチェスト。

 その横には等身大の大きさの鏡。

 セミダブルのベッド。

 シンプルなデザインの壁掛け時計。

 小さなオープンラックには以前二人で見た映画のパンフレットとレシピ本とヘアアレンジの本とが並べられている。

 ナギはどんな映画だろうと必ず映画のパンフレットを購入する。

 それに半券を挟み込んでると以前言っていたなぁ。

 そして意外にも観葉植物がある。

 カフェなどでもよく見かける種類だ。

 確か「シェフレラ」っていったっけ?

 以前、はるっちが花言葉をモチーフとした少女漫画に熱中したこともあって色々と教えられたっけ。

 「実直、誠実」みたいな花言葉があった気がする。

 なんとなくナギにピッタリだなと思った。


 以前見た紺色のボストンバッグがハンガーラックに掛けられている。

 お揃いで買った御守付きだ。

 やっぱりアレはナギの鞄だったんだなぁ。

 そして、デスクの上に以前お土産で貰った置物のおみくじが置いてある。

 でもあまりじろじろ見るのも悪いかな。


「ふう」

 ひときわ大きなため息がついてでた。

 なんだか色々と疲れてしまった。

 不躾だと思ったけど、ソファに寝そべる。

 お母さんはやっぱり進学も就職も許さず、最初の約束を守って家に戻ってくるのが当然と思ってる。

 無理を言って高校生活自由にさせてもらったという負い目と、外の世界を知ってナギと出会ってお母さんの言う通りに生きるのは嫌だという気持ちが芽生え反抗したい、でもお母さんを裏切れない、かといってナギと離れ離れの生活なんて嫌だという気持ちが入り乱れて感情がぐちゃぐちゃになってる。

 正直、自分でもどうしていいのかわからないし、なにをしたいのかわからない。

 今日はとにかく「ナギに会いたい」という感情が爆発してここまで来たけど、その結果寮の規則を破らせてしまった。

 ……ハァ。

 ホント、なにやってるんだろ。


 目を閉じてこれからの事を考えるけど全然思考がまとまらない。

 何の問題もなく、ナギと一緒の人生を歩めたらいいのに。


 ノックの音が聞こえて慌てて体を起こす。

 ナギが紅茶を持ってきてくれた。

 心が落ち着くいい香りが漂う。

 私の隣に座ったナギが顔にかかった髪の毛をそっと優しく払ってくれる。

 今の顔を見られたくなくてつい顔をそらしてしまった。

「色々とありがとう。迷惑かけられないし、これ飲んだら帰るから」

 平静を装うが声が震えてるのが自分でも分かった。

 案の定気づかれて「なにかあった?」と手を握られる。

「ん~、なにも? 実家行って疲れただけ」

 疲れたのは事実だ。

 そこでなにがあったのかは言えないけど。

「高校を卒業したら実家に戻らなきゃ」って言ったら彼はどうするのだろう。


 ナギが私の手を優しくさすってくれる。

 気付かなかったけど、お母さんとの訓練のせいでちょっと痛めたみたいだ。

 今回は色々と無茶しすぎた。

 お母さんにも「集中できていない」と叱責された。


 ナギにしなだれかかると、ふわりと彼の香りがした。

 お風呂上りだからかいつもよりも濃く漂う。

「ね、しよう、か」と誘ってしまっていた。

 このままキスをして、勢いのままその先まで進んで、もし子供が出来たらお母さんも許してくれるだろうか、なんてふと考えてしまってそれが声に出てしまっていた。

 ナギも驚いて躊躇ってる。

 言葉に出してから、なんてことを言ってしまったんだと後悔した。

 もし仮に子供が出来たとして、それでもお母さんが結婚を許してくれなかったらと思うと自分はなんてことを口走ってしまったんだ。

 いや、多分お母さんはそんなことではナギとの事を許してくれないだろうな。

 最悪の未来しか見えない。


「ゴメン、今日の私変だ。さっき寮母さんにも駄目だって言われてたしね。帰る」

 恥ずかしさと自己嫌悪から、居ても立っても居られず一刻も早く部屋を出ていきたかった。

 するとナギが腕をつかみ、私をソファに押し倒した。

 視線が交差したかと思ったら、ナギの唇が私のそれに重なる。

 すぐに離れたかと思ったら「口、開いて」と囁かれた。

 それが何を意味してるかわかって、気恥ずかしさはあったもののいう通りに軽く口を開いた。

 ぬるりとした何かが口の中に入ってきた。

 ナギの舌だとすぐに気づいたけど、不快じゃない。

 何度か二人の舌が絡み合う。

「ん、ちゅ……っ」

 このままこの先までしちゃうのかなと思ったら、ナギは名残惜しそうに唇を離していった。

「……えっちなキスだ」

 今までとはまるで違う、激しいキス。

 驚いたけど嫌じゃない。

 むしろあんなに熱く求められてると思うとちょっと嬉しい。

「初めてしたけど、すごく……えっちなキスだね。大人のキスって感じ」

 気恥ずかしさをごまかす為にあえてそんなことを言う。

 ナギは私の唇を愛おしそうに撫で「嫌だった?」なんて聞いてくる。

 もう一度あのキスをするのかと思ったら、誰かがナギの部屋をノックした。

 彼はちょっとだけ不快そうに「すぐ開ける」と言い、私から離れていった。

 ドアの角度からいって見えないとは思うけど、私も慌てて体を起こす。


 声からすると加賀宮さんのようだ。

 なんとなく、ナギ以上に機嫌が悪いみたい。

 2人で何かを話してるみたいだけど、言葉の内容は聞き取れない。


 すぐに話は終わったようで、ナギが車の鍵を片手に「終電が無くなってもこれで送ることが出来る」と言った。

 加賀宮さんが車を持っていても不思議じゃないけど、ナギが免許を持っていたのは意外だ。

 帝都に住んでいると基本的に車は使わないで生活が出来るし、彼は車を使ってどこか遠出するようなタイプではないだろうに。

 仕事の兼ね合いで免許を取って練習もしてるらしい。

 まだまだ私はナギの事を知らないんだな、と改めて思う。

 それを言ったら私も彼に隠してる事はあるけど。


 もっとここに居たいけど、これ以上は離れがたくなるから帰ると告げる。

 ナギも私の所に来て帰る時にはこんな気持ちなのかな。

 明日は平日だからお互い学校と仕事があるから長居できない。

 差し伸べた手をナギが取り、名残惜しそうに私の指輪を撫でてくれた。

 

 駐車場への道中でも色々と会話した。

 ナギの武術の先生の話は初めて聞いたなぁ。

 いつもナギは柔らかな微笑みを宿しながら私のなんてことのない日常の話だって受け入れてくれるけど自分からあまり身の上の話はしない気がする。

 勿論聞けば答えてくれるけど。

 海外に住むご両親の話とか。


 武術と言えば過去、護国機関の関連の式典などでもナギは日本刀でもって見事な居合術を披露していたこともある。

 特に他国の国賓からは絶賛されたという。

 私も動画を見たけど、彼が持つ凛とした雰囲気と合わさって神に捧げる神楽のようだった。

 神社で奉納演武を行うこともあるらしく、その動画も見たことがある。

 一般の人が撮った動画もかなりの数が出回っていて、そのどれもが「格好いい!!」と彼を賞賛していた。


 会話に出てきた蓮見さんって人が気になったけど「男の人? 女の人?」と聞くのも嫉妬してるみたいで辞めた。


 加賀宮さんの車の助手席に乗る。

 さりげなくドアを開けてくれたりとナギは気が利く。

 そういうところも好き。

 基本紳士なんだけど、そんな彼があんな熱烈なキスをするだなんて思いもしなかった。

 いや、成人男性だからそういう欲求はあるか。

 本当は私もそれ以上を答えてあげたいんだけど。


「あのね、今日は色々とありがとう。……えっちなキスをされるとは思わなかったけど」

「そういえばさっきお預け食らってたな」と、悔しそうな表情を浮かべるのがどことなく面白くて「しちゃう?」なんて言ってしまった。

 借りた車の中であんなはしたないキスをするのは加賀宮さんに悪いと思いつつ、ナギはすぐに誘いに乗ってきた。

「したい」


 掌を密着させ、彼の指と私の指を絡めながら、私たちはさっきよりも濃密なキスをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る