1章 俺の彼女は終わっている
彼女、嘔吐する
午前九時半。
物凄い眠気を我慢しながら授業を受けている。
油断すると今にも意識が飛んでしまいそうだ。
そんな俺は、なんとなく隣に座っている燐華さんを見た。
俺の視線に気が付いた燐華さんは、微笑んでくれた。
燐華さんが夜遅くに部屋に嘔吐物をまき散らし叩き起こされ、床に寝てしまった燐華さんをベッドへと運び込み、嘔吐物まみれになったカーペットの掃除をすることになっていなければ、そんな燐華さんを見て可愛いと思ったり癒されていたと思う。
十時。
またなんとなく燐華さんを見た。
何か様子がおかしい。
貧乏揺すりが酷いような気がする。
おそらく、タバコが吸えないことによるストレスが原因だろう。
今日は起きるのが遅くなってしまったため、大学に来る前にタバコを吸うことができなかったのだ。
十時半。
一限目の授業が終わった。
「燐華さん、大丈夫ですか......?」
心配になった俺は、燐華さんに声をかける。
「志永君、ちょっと私用事があるから」
真剣な表情でそれだけ言うと、燐華さんは教室から出ていった。
数分後、満面の笑みで教室に戻ってきた。
「タバコ美味しかったですか?」
なんとなく聞いてみた。
「私がタバコ吸ってるのは内緒で、ね?」
「あ、そうでした......」
小声でそう言われた俺は謝る。
家での様子や、酒、タバコを嗜んでいることは周りの人間には知られたくないらしい。
またうっかり酒やタバコのことを聞かないように気を付けることにした。
放課後、酒とタバコを買いたがっていた燐華さんのために最寄り駅の近くのコンビニに寄った。
「あのクソ教授地獄に落ちてほしいよー! なぁ、志永君!」
買った酒をコンビニから出てすぐ飲み、ベロンベロンに酔った燐華さんが言う。
家で酒を飲みたかったのにも関わらず、課題を出されたため怒っているのだ。
あまりにも酔っていて人や建物に衝突する可能性があるため、手を繋いで歩いている。
「クソー......。この瓶で頭ぶん殴ってやりてぇ......」
「まぁまぁ......。頑張ってやりましょうよ......」
人目が気になるので、燐華さんを宥めた。
そうしたら、少し落ち着いた。
「うぇ......。気持ち悪い......」
燐華さんが口を押さえる。
落ち着いた原因は、宥められたからではなく、吐き気を催したからだったらしい。
「ちょ、ちょっと大丈夫ですか......?」
「うーん......。無理......」
我慢できなかった燐華さんは、嘔吐してしまった。
しかも、駐輪場に止めてある自転車のサドルに。
「あーっ! 俺の自転車がー!」
背後からそんな声が聞こえてきた。
振り向くと、自転車の持ち主だと思われる高校生が立っていた。
「やばっ......」
男性は、早歩きで近づいてくる。
「ねぇ、お水頂戴......」
そんなのを気にもせず水を求め催促してくる燐華さん。
「燐華さん......! 吐いちゃったの謝ったほうが良いですよ......!」
「おい!」
遂に男性に話しかけられてしまった。
とりあえず俺は、頭を下げる。
「すみません! 燐華さんが自転車に吐いてしまって......! ほら、燐華さんも......!」
「うぇぇ......。すみま......おぇ」
「危ない!」
とっさに男性の手を引き、燐華さんから離す。
その後、燐華さんの口から再び嘔吐物が滝のように流れ落ちた。
離していなかったら、男性はズボンと靴から異臭を放ちながら家に帰る羽目になっていただろう。
「人の自転車にゲロぶっかけておいて謝りもせず今度は俺自身にも......。な、なんて女だ......!」
ドン引きする男性。
「そ、そんなことよりお前! 俺の自転車に」
男性が喋っている間に、燐華さんは、男性の横に立ち、肩に手を置いた。
「な、なんだ? もしかして、体で弁償するってか?」
(いや、あれは......)
大体察しが付く。
あれはそんなんじゃない。
次の瞬間、男性の口に酒が入った瓶の口を男性の口に突っ込んだ。
「まぁまぁ、とりあえず飲めよ」
男性の体内にどんどん酒が入り込んでいく。
俺は、酒を飲ませている燐華さんを止めた。
「ちょ、ちょっと何してるんですか!」
「人間の悩みなんて酒飲んだら全部解決するんだから飲ませてやったんだよ」
「だからってあんなこと......」
「ゴホッ! お、お前急に何してんだ!」
自転車を汚され、衣服を汚されかけた挙句酒を飲まされた男性の怒りは最高潮だった。
俺たちは地面に正座させられ、こっぴどく怒られた。
しかし、三十分ほど経過すると、男性の様子が変わった。
酔ってきたことにより、怒りは静まっていた。
「んーまぁ気分が悪かったなら仕方ねぇわなぁ! はっはっは!」
「そうだよねぇ。仕方ないよねぇ......」
そして、二人は肩を組み、仲良く飲んでいた。
二人はすっかり仲良くなっていた。
「まぁ今回は許してやるかぁ! 次は気をつけろよぉ!」
千鳥足で自転車に向かい、嘔吐物を気にもせずまたがる。
「姉ちゃん! 機会があったらまた飲もうや! じゃあな!」
燐華さんは、手を振って男性を見送った。
その後、携帯を取り出し、画面を数回タップし、耳元に当てる。
「もしもし警察ですかぁ? なんか酒飲んで自転車乗ってる人がいてぇ......。はい、木崎商事って会社の近くで......。自転車のサドルはゲロで汚れてて......。はい、お願いしまぁす」
仲良くなった男性を躊躇なく通報する燐華さん。
俺は、燐華さんのことを呆然と眺めていた。
「飲酒運転する悪を通報したことだし、家で酒飲むかぁ!」
燐華さんは、酒を飲みながら家の方へと歩き出した。
十分後、パトカーの音と男性の助けを求める声が聞こえてきたが、酔っている燐華さんは特に気にしていなかった。
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