第56話 全てが遅かった幼馴染は後悔に打ちひしがれる
【果子の視点】
走りながら、ウチは頭が真っ白になっていた。
ずっと気に入らなかった幼馴染。
その理由は勉強漬けで付き合いが悪くなったことと、ウチには素っ気ない癖に他の女にばかり気を取られて話しかけていたこと。
雑に言うとそんな感じだけど、一番はアイツがウチの事を見てくれなくなった事が、どうしても許せなかった。
だって、ムカつくでしょ。
ウチが勉強を聞いてるときに、アイツは他の女と楽しそうにしててさ。
それもウチとは真逆の成績の良い真面目ちゃん相手。
当てつけにしか思えなかった。
さっきだってそうだ。
ウチと二人でいるくせに、口を開けば例の女友達(笑)どもの話ばっか。
挙句の果てにはウチに言い応えまでするようになった。
七村や雨草とつるみ始めてから、どう考えてもウチに当たりが強くなったし、以前みたいにまともに話してもくれなくなった。
本当にムカつく。
全部、アイツが女好きなせいだ。
いつも誰か他の女に夢中で、ずっと一緒に居たウチには向き合ってくれない。
そんなところが嫌いだった。
それなのに。
「はぁ? どういうこと? 山吉と仲良くしてたのはウチのため? は? は?」
人気のない廊下で、ウチは頭を抱える。
この文化祭で人がいないところと言えば職員室のある特別棟しかないから、必然的逃げ場はここしかなかった。
ウチはその二階の廊下で立ち止まる。
筑紫は言っていた。
山吉に話しかけていたのは、ウチに勉強を教えるためだったと。
山吉もそれを聞いて、本気で鬱陶しそうな顔でうなずいていた。
アレが嘘だったとは思えない。
という事は、筑紫はあの時も実はずっとウチの事だけ考えて向き合ってくれていたという事になる。
ウチが嫌いだった筑紫とは、真逆の事実だ。
他の女にうつつを抜かしてウチに興味すら示さなかった筑紫なんて実はいなくて、本当のアイツはずっとウチの事だけ考えて、他の女に嫌われてもただウチのために必死に向き合ってくれていたらしい。
むしろウチが求めていた昔のアイツそのものだ。
だとすると、何これ。
さっきの話が真実なら、ウチは勘違いで筑紫を嫌っていたってこと?
ウチはずっと、山吉は筑紫に気があると思っていた。
筑紫も中三だったあの当時、ウチとの勉強中に山吉の話を頻繁にしていたし、正直ウチには二人がかなり近しい仲に見えていた。
もしかすると付き合っているのかもしれないと、そこまで想像してしまうレベルだった。
だからこそ、さっきあんな話になって動揺した。
今も会っているという話に、過剰に反応してしまったんだ。
ウチが山吉に釘を刺してから二人が一緒に居る機会は見なくなったけど、実はその避けているような態度がそもそも嘘で、秘密裏にコソコソ付き合っていたのかと、一瞬焦った。
あぁもうイライラする。
頭がぐちゃぐちゃだ。
それに吐き気が止まらない。
「うっ……あ、やば」
我慢できずに、女子トイレに駆け込んだ。
手洗い場の鏡の前でウチは呼吸を整えながら考える。
仮に、筑紫が中三の時にウチの事を一番に思ってくれていたのだとしたら。
ウチはそれから今まで、どんな八つ当たりをしてきたんだろう。
医者を目指し始めてからのアイツは嫌いだったけど、ウチのいじりがエスカレートしたのは間違いなくあの女との関係を見た時から。
え……?
なにそれ。
「なんで……? なんでアイツ、言わないの? 一言でもウチに勉強を教えるために、山吉に付き合ってもらってるって説明してくれれば、こんな勘違い起きなかったのに。いっつもアイツは言葉が足りないし、喋ってくれない。そういうところが馬鹿だって言ってるんだよ、このクソ雑魚無能ガリ勉っ」
そうだ。
悪いのは全部アイツだ。
じゃなきゃ勘違いなんかしなかった。
アイツが喋らないからウチのいじりがエスカレートしたのであって、じゃあそれは全部アイツの責任だもん。
何でウチが……後悔しないといけないわけ?
「これじゃ、全部ウチのせいじゃん。……きっしょ、なにそれ」
一人で勝手にキレて、ただ罪のない優しい幼馴染に八つ当たりしてただけの化け物じゃんウチ。
はぁ? なにそれ。
顔がぬるぬるしてきて気持ち悪い。
なんとなく、今は鏡を見たくない。
見たら数日寝込むくらいには落ち込みそうだ。
「あんたがウチに興味無さそうだから他の男とわざわざ付き合って見せつけたのに。……なんなのあんた、ずっとウチの事しか見てなかったんじゃん」
思えば、勉強してるとき以外、ウチと話してることしかないような奴だった。
そういう面白みのないとこもきしょポイントだったけど、全てがわかるとそれを馬鹿にしていた自分にも嫌気がさす。
◇
しばらくすると、トイレに人が入ってきた。
「かくれんぼしてる気分だったよ」
「……何の用?」
見ると、それは山吉文乃だった。
口の端に薄っすら笑みを浮かべているのが気に障る。
だけど、文句を言う気にはなれなかった。
「私に言いたい事があるんじゃないかと思って来たんだけど」
「はぁ? 謝罪が欲しいわけ? 勝手に勘違いしてアイツとの仲を疑ったりしたことを、今更謝れって?」
「違うよ。別にそれはどうでもいい。じゃなくて、私が枝野君と二人で何の話をしてるか教えなかったことを怒ってるかと思ってさ。ほら、私が果子ちゃんに説明しとけば、勘違いは起きなかったわけだし」
「……」
言われればそうだ。
それこそ、ウチが山吉に筑紫との関係を聞いたときに説明してくれればよかったんだ。
でも、コイツは何も言わなかった。
「なんであの時教えてくれなかったの?」
「ただの嫌がらせだよ? 勝手に勘違いしてこられて鬱陶しかったから、拗れてめちゃくちゃになればいいと思って泳がせてたの。ってわけで実はこっそり仕返ししてたからさ。今更謝られてもお互い様なんだよ」
いけしゃあしゃあと言ってくる女だ。
ここまで清々しいともはや毒気を抜かれる。
だけど一連の話を整理した後だと、嫌われて当たり前だと納得せざるを得ない。
だからウチはそれとは別にもう一度、二人きりのこの場で聞くことにした。
「何回も悪いけど、筑紫の事好きだったの?」
「それは違うかな。友達としては好きだったけど、ガリ勉って好みじゃないし」
「ふーん。……ガチでウチの勘違いだったんだ」
「そうだね」
その後少し間があって、山吉は再度口を開く。
「それと果子ちゃん、あの人とまともに話した方がいいんじゃない? 果子ちゃんがあの人の事好きだって、伝わってないと思うよ? というか何もわかってなさそう」
「はぁ? ウチがいつアイツのこと好きとか言ったの? キモいこと言ってくるなよ」
「私、そもそも中学の時は二人が付き合ってるのかと思ってたくらいなんだけど。本当にその態度でいいの?」
「……よくないけど。でも別に、好きとかじゃないから」
何回も言っているけど、勉強に取り憑かれてからのアイツは嫌い。
昔のアイツに戻ってくれるなら好きになってやってもいいけど、今までのが勘違いだったとしても、今のアイツを好きになる理由はない。
……まぁ逆に、嫌っていた大きな理由の一つもなくなったんだけど。
確かに山吉の言う通りかもしれない。
全部、すれ違っていただけ。
喋らないアイツと、勘違いしたウチ。
ちゃんと話し合ってお互いのすれ違いを正せば、今みたいな関係性は解消できるかもしれない。
絶縁寸前のこの状況は、ウチだって望んでないんだから。
そもそも、ウチもどんな顔でアイツと会えば良いのかわからなくなってしまった。
大丈夫、わかってくれるはずだ。
アイツは話は聞いてくれるし、今度は茶化さずに話そう。
このまま喧嘩別れをするのは、嫌だ。
山吉と話してすっきりした。
変に擁護もされなかったおかげで、向き合えた。
もう一度、筑紫と話したい。
だけどトイレを出たところには、もう既にウチの世界はなかった。
「でサー、その先輩がネ? アタシの執事服よりメイド姿の方が見たいって言い出してサ。それで三組の衣装を借りようとか、盛り上がっちゃっテ」
「いいじゃないか。似合うだろレイサなら」
「イヤイヤ、フツーにあの衣装は着たくない。恥ずかしいし」
「おい、凪咲が聞いたらキレるぞ」
「アハハ! まァキレ顔も可愛いからいいでしょ」
「確かに。意外と気が短いからな」
「ツクシも言うネ~」
廊下では、金髪の美少女とウチの幼馴染が楽しげに話していた。
それを見てとっさにトイレに戻る。
黙りこくるウチを見て、山吉は気まずそうに目を逸らした。
「ごめん……これは予想外」
「筑紫がねっ? 昔言ってたの。『後悔先に立たずとはよく言ったもんだよなぁ。後ろを悔いるから先行しないのは当たり前だが、いやぁ深い。先人の知恵には感心させられる』って。昔のウチは話半分に聞いてたけど、今ならよくわかる。……もう、遅いんだね。ガチ、アイツの言う通りだわ。……ざぁこなのは、全部ウチだったわ」
今更何を話せばいいんだろう。
完全に嫌われてしまった今、ウチの言葉は届くのかな。
もう、遅かったんだ。
気づくのも、後悔するのも。
「一人にさせて」
「……」
トイレを出て行った山吉が筑紫たちと会話する声を扉越しに聞きながら、ウチは泣いた。
あぁ、最悪。
筑紫のあんな幸せそうな顔、初めて見た……。
思いもしない形でわからせられて、胸が引き裂かれるような気分だ。
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