第15話 口論はロジックではない。腕力だ。

「日本人の言葉は理解できない」


最近では聞かれなくなったものの、一時は日本の社会的慣習が欧米人に困惑を与えていた。


元凶となったのはホンネとタテマエの存在だ。


個人主義が確立している欧米ではホンネを主張することでその人の存在意義が確立していると言ってもいい。


学校でもビジネスでもイエスとノーがはっきりしていて、そのイエス・ノーはそのままその人のホンネであり、それを曖昧にすることはその個人の存在意義を曖昧にすることに等しい。


一方で日本ではタテマエの裏にホンネを隠すという文化がある。


和を以って尊しとせよ___。


この言葉に代表されるように、集団の中でホンネを言いあまつさえ和を乱してしまった場合には、村八分などというペナルティを課せられるようなこともあるのだ。


日本人はタテマエの裏にホンネを隠す。


そして受け取った方もタテマエをそのまま信じることはなく、空気を読んで裏にあるホンネを理解する。


たとえホンネを言う場合でもかなり婉曲的な言いまわしをして、できるだけ争い事を避けるのだ。


そう、僕は日本人なのだ。


しかしダダ星人はある意味で僕よりも日本人であり、別の意味でやはり宇宙人だった。


*****


確かに僕はそう言ったかもしれない。


どっちかと言えばキレイなコよりカワイイほうがタイプだなー。


どういう文脈でのセリフかは忘れたが、それは純粋に僕の好みのタイプを語ったまでであり、それ以上の意味を含んではいなかった。


クリスマスが近いその日の夕刻、僕はファミレスにいた。


ダダはテーブルの向かいの席に座っていた。


ピンクハウスの服を着ていた。


フリルがたくさんついたピンクのワンピースだ。


僕: 「・・・。」


どうしろというのか。


さっきからダダは僕と、そのワンピースを交互に見ている。


ホメてほしいのだろうか。


しかし、いくら考えてもホメ言葉が見つからない。


とても似合ってはいないのだ。


スタイリストが見たら発狂するに違いない。


しかしダダは嬉々とした表情で、


ダダ:「今日のアタシ、いつもと違わない?」


いつもと違う、というより人間と違った生命体に見える。


僕: 「高そうな服だね・・・」


必死で考えた挙句、やっと出てきた言葉だ。


なぜこんな状況に追い込まれているのだろう・・・。


遡ること数十分前。


学校から帰るとマンションの前でその姿のダダが僕を待っていた。


ダダ: 「来ちゃった(照)」


僕にとっては、来ちゃった(号泣)、だ。


そのときに与えられた選択肢は3つ。



①.突き放して帰らせる。


②.とりあえず部屋にあげる。


③.とりあえず人目につかないところへ連れていく。


①は無理だ。きっと以前のように部屋の前あたりで座り込みを始めてしまう。


②もダメだ。最近のダダはよく「今日は遅くなってもいいの」とかワケのわからないことを言うことが多い。つまりそれは「今日も」の間違いなんじゃないかと思うんだが、あえて突っ込むのはやめている。


③。苦渋の選択だった。


僕: 「で、今日はなに?」


ダダ: 「うちのパパがね、今度●(僕)くんを家に遊びに連れてきなさいって」


うちのパパがね、今度●くんを家に遊びに連れてきなさいって___?


うちのパパがね、今度●くんを家に遊びに連れてきなさいって___??


うちのパパがね、今度●くんを家に遊びに連れてきなさいって___???


話がよく見えないんですが・・・


落ち着け、冷静になろう。


僕は無言のままコーヒーを手にとった。


ダダも無言のまま手元のケーキにフォークを刺した。


ダダが僕を見た。


ひとかけらのケーキを載せたフォークは、しかし、ダダの口元には運ばれなかった。


ダダ: 「はい、ア~ンして♪」


まだ小学校低学年の頃の話だ。


日々の仕事で疲れた父は日曜日には昼過ぎまで寝ていた。


しかしそういった事情も知らずに僕は朝から元気で、寝ている父相手にライダーキックの練習をしていた。


何回目かの日曜日、父は僕を叱った。


我慢するにも限度がある。と。


ここはハッキリ言ってやらねばなるまい。


「オレはオマエが苦手なんだ。」


しかしその声は喉元で止まった。


「今いくよみたいな格好したダダ顔の生物がファミレスで泣きだしたらどうする?」


という声が脳の片隅から聞こえてきたからだった。


やんわりと断るのが妥当なのかもしれない。


そう、従来の日本では、そして今でも日本の一部では、「先伸ばし、先送り」の技術が文化として残っているじゃないか。


人々が忘れた頃なら、ダメージは少ないはずだ。


僕: 「家に行くのはヤメとくよ・・・。(まったく)気が進まない」


ダダ: 「じゃあ来週ならどう?おじいちゃんいるし」


僕の話はちゃんと聞こえてる?


キミのおじいちゃんがいようといるまいとそれは関係ないんだよ・・・


「おお!キミのおじいさんがいるなら喜んで行くよ!!」と言うとでも思ったのだろうか。


僕だってたまには日経新聞くらいは読んでいる。


質問に答えているようで答えていない官僚の答弁や、会話を曖昧なものにすりかえる政治家の有り様も知っている。


僕: 「おじいさんて何してる人なん?」


ダダ: 「何年か前に定年退職したあとは畑仕事とかしてるみたい。うちの土地で」


僕: 「へー。うちのじいさんは定年したあとはゴルフばっかりしてるみたい」


ダダ: 「ホラ、うちって女のコしかいないから婿養子が欲しいみたいなんだ。後継ぎがほしいって。アタシは別にどっちでもいいんだけど」


僕: 「たまにおれのところに電話くれたりするんだけど、そのたびに一緒にゴルフ行こうって言うんだよ」


ダダ: 「やっぱりホラ、好きな人と結婚できれば何でもいいじゃない?」


僕: 「このあいだもハワイにゴルフ行くから付いてこい、とか。でもゴルフってルールが案外厳しくてよくわかんないんだよね・・・」


ダダ: 「・・・。」


僕: 「まあゴルフは年とってから必要になったらやればいいと思うんだよね」


ダダ: 「で、いつウチに来るん?」


まったく通用しなかった。


昨今盛り上がっているK-1やPRIDE。


空手出身者もいればキックボクシング出身の者もいる。


レスリングを得意とするものもいれば、相撲取り出身者、柔術出身者、あまつさえアメリカンフットボール出身者もいる。


スタイルが違う相手に勝つために重要なのは「自分のスタイルを貫く」ということなのだそうだ。


その意味でダダは自分のスタイル、すなわち「圧倒的なパワーで寄り切り」を崩すことはなく、正しかったといえる。


一方で僕は「和を以って___」という日本古来の文化に揺さぶられてしまい、ホンネを隠したのだった。


そして。


ダダ: 「ゴルフかあ、アタシもおばあさんになったら一緒にやってみたいかも♪・・・はい、ア~ンして♪」


ダダはタテマエの裏のホンネを深読みをしていた。


そして、学習能力もなかった。

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