第8話 サザンオールスターズ


人の感情とはつくづく不思議なものだと思う。


ここでいう「感情」とは「理性」とは正反対に位置するものだ。


理性が司るのはロジカルな思考であり、それは正しければ万人に、そしていつでも、納得させうることができる。


理性的な思考においては価値基準は一般化されているのだ。


一方で、感情が司るのは喜怒哀楽に象徴される心の動きである。


それは十人十色で、同じ人間でさえ状況によっては導かれる感情の動きは異なることさえありうる。


なぜなら感情の動きは端的にいって「好き」か「嫌い」かに依存するもので、そこには何ら一般化された価値基準やルールがないからである。


同じ一つのモノゴトにしても、それをする人間が誰であるかによって導かれる感情は異なったものになるのだ。


僕は、ダダ星人がまったく好きではなかった。


*****


その年の祇園祭の日、木屋町通りで僕はダダ星人に捕獲されてしまった。


そしてそのままバーに連行されてしまったのである。


たいして盛り上がる会話があったわけではなく、黙々とグラスを空けた結果、僕は少し酔ってしまった。


ダダ: 「ねえ、●君のことダーリンて呼んでもいい?」


東京ではそんなに有名ではないが、関西では有名なTVレポーターがいる。


特に、食べ物に関するレポートは一流で、どんな味の食べ物に対しても的確かつ失礼のない言い回しで食べ物の紹介をしている。


タージン。


僕は好き嫌いがあるほうではないが、やはり奈良漬とか臭豆腐とかドリアンとかクセのある食べ物は苦手だ。


でもむしろ「タージン」と呼ばれるほうがマシだ。


僕: 「いや、いいよ・・・」


ダダはミニの浴衣を着ているのだが、それは明らかに目に毒だった。


ダダ: 「ねえ、今から線香花火しにいく?」


僕: 「いや、いいよ・・・」


ダダ: 「じゃあ今度花火大会行く?そしたら二人の恋の花火も、どか~んと打ち・・・」


僕: 「上がらないと思う」


ダダ: 「今度バイト代入ったら何かプレゼントあげる」


僕: 「え?いいよ、別に・・・」


ダダ: 「サザンが好きなんやったっけ」


僕: 「ああ、まあ、・・・」


ふと気がつくとダダとの距離が狭まってきているようだった。


先ほど50センチほどあったイスとイスの間隔が今は30センチ程度になっている。


このへんが限界だった。


・・・。


*****


友達が待ってるから、といって半ば無理矢理バーを抜け出した祇園祭の数日後。


郵便受けに封筒が入っていた。


ダダからだった。


開けてみると一枚のCD-Rが入っていた。


僕: 「CD-R?」


パソコンで編集したのだろうか。


一枚のメモもついていた。


『がんばって作っちゃいました、テヘ』


テヘ?テヘって何?テヘラン?


治安の悪化が懸念されるイランの首都?行くの?


とりあえずCDを聴いてみることにした。


CDケースのINDEXには手書きでサザンの有名な曲のタイトルが10個くらい並んでいる。


太陽は罪なやつ、みんなのうた、勝手にシンドバッド、・・・。


新旧とりまぜて、僕が好きなアップテンポな曲ばかりが中に入っていた。


僕: 「フ・・・、なかなかやるじゃないか・・・」


サザンオールスターズは普通、一年に一枚、多くて二枚程度のシングルしかリリースしない。


一枚一枚の曲にはその当時の思い出が鮮明に詰まっているものなのだ。


ああ、この曲が流れていたときは、あのコのことが好きだったんだよな・・・。


そんな感傷にひたりながら、思わず僕はそのCDに聴き入っていたのだった。


最後の曲は「チャコの海岸物語」だった。


僕: 「カラオケでよく歌ったなあ・・・」


前奏が始まって、そして終わり、歌に入り・・・。


え?


桑田佳佑の声ではなかった。


INDEXには「チャコの海岸物語(Original)」とある。


原由子か?原曲は原由子だったっけ・・・?


いや・・・。


違う、ところどころ音が外れている。


それに奇妙なエコーも聞こえる。


そして、それはサビの部分のことだった。


ここっろかぁらー好きだよー、●くん、抱ーきーしめたいー♪


やめてーーーーーーーー!!!!!


最初原由子かと思ったのは、ダダ星人の声だった。


中学生だったか、高校生だったか、あるいは6年間ずっとだったか。


文化祭のあとでは必ずといっていいほど、カラオケ合コンがあり、そして必ずといっていいほど僕は「チャコの海岸物語」を歌っていた。


もちろんサビの部分では合コン相手の中でも一番かわいいコの名前を叫んで。


しかしそれは第一印象をよくしようという意味合いしかない。


ダダ星人は僕と同じようで違うことをしていた。


恋愛は格闘技だ。


ゆえに「間」というものが重要になるのではないか、そしてそのために距離感に応じた策略が必要なのではないか、と思うのだが、ダダの手段はまるで「飛び道具」だ。


僕: 「・・・。」


きっとダダ星人は最後の一歩として、すなわち、「ありがとう、僕も心から好きだよ、抱きしめたい」という返事を待つものとしてこれを送ってきたのだろうが、とんでもない話だ。


僕は静かにCDを取り出し、ケースに入れた。


後に残った静寂は、とても痛々しかった。


外ではセミが夏の到来を告げていた。


僕のサザンへの思い入れに、一つキズが加わってしまった、そんな日だった。


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