後編
アザゼルを抱きかかえて、テレスと隣町の境目まで来た。この小高い丘は、お姉様とわたしの思い出の地。嬉しいときも、悲しいときも、星々はわたしたちを見てくれている。
「……よし」
わたしはアザゼルを切り株に寝かせて、その隣に魔法具を置いた。このお
王族の長男であるアザゼルは、十二歳の春、学校を卒業する年度の終わりに、異世界へと旅立つ宿命を背負っている。これを“修練の繭”の儀式という。この“修練の繭”の儀式から帰還した者は、必ずミカドの座につく。今はお父様の兄にあたるビレト様がミカドだけども、ビレト様はクライデ大陸史における正式なミカドとは言いがたい。ビレト様は次男であり、長男のカミオ様はお戻りになられていないからだ。我が一族の中でビレト様は、あくまで留守を預かっているようなもの。
仮によその分家筋の長男がお戻りになられたら、ビレト様はミカドの座をただちに譲らなければならない。
我が一族として、男児の誕生は悲願だった。うかうかしていたら、他の長男が帰ってきてしまうかもしれない。そうなれば、我が一族の王族の中での権威は、相対的に下がってしまう。お父様が、ミカドの居城のあるテレスに、冒険者たちを束ねる『ギルド』を設立したというのに、その管理者としての権限を他の一族に奪われかねない。クライデ大陸でミカドになるということは、すべての統治権を得ることと同義だ。となれば、創設者はただの創設者に過ぎない。
だから、お父様もお母様も、お姉様も、アザゼルを宝として扱う。わたしが異端なのだ。アザゼルを、大事にしなくてはならない者である、というのは理解しているつもりだが、納得はできていない。
「ミカドに至るための試練と思いなさい」
アザゼル(と、自分自身)に言い聞かせる。わたしに悪意はない。そう思い込む。ただ、お姉様にお世話されているアザゼルのことが、気に入らない。それだけのこと。
わたしは妹として、お姉様に愛されていた。わたしにはお姉様しかいない。そして、お姉様にはわたししかいない。アザゼルが生まれてくるまでは、いつでもふたりはいっしょだった。この子さえいなければ、お姉様は、また、わたしに戻ってくる。
「さようなら」
わたしはアザゼルの小さなからだを、丘の下へと放り投げた。丘の下には背の高い木々が生い茂っていて、根元には雨の翌日に体毛が虹色に輝くレインボーディアが生息している。レインボーディアは非常におとなしい生き物だが、彼らの肉を狙うゴブリンは
初代ミカドの子孫たちの中で、男児のみがドラゴンの姿に変身できる。それも、長男だけが完全なドラゴンになり、次男以降は一部分のみしか変身できない。研究者によれば、ドラゴンの姿こそが本体であり、人間の姿は仮のもの、だというが、いずれにせよ女児はドラゴンになれず、継承権もない。
わたしは、間違っていると思う。王族の女性にも、ミカドになる権利はあっていい。特に、わたしのお姉様だ。
お姉様はとてつもなく優秀で、学校を飛び級で卒業できてしまうほどの才能を持っている。三年目ですべての魔法を習得し、四年目には、本来であれば卒業後に進級して専門的な教育を受けねばならない『治癒魔法』を学び始めていた。飛び級の試験を受けなかったのは、わたしと学校に通いたかったからだ、と言っている。
大陸一の魔法使いであるメーデイア様は「男であれば」とおっしゃっていた。メーデイア様は他の者が言い出しにくいことをおっしゃる。クライデ大陸は『過去に類を見ないほどの平和な時代』と称されるほどの天下太平の世を維持しているが、これを盤石のものとするのはお姉様のような天才だ。わたしは、メーデイア様のお力を借りて、お姉様をミカドにしていただけるように交渉していく。メーデイア様ほどの魔法使いであれば、クライデ大陸の歴史に新たな一ページを
『――
「!?」
伝達魔法。クライデ大陸での、連絡手段。指定した人間の脳に直接メッセージを送り込む。学校では一年目に学ぶ、生活に必須の魔法だ。しかし、対象を間違えてはいないだろうか。
「気のせい、よね」
わたしを『姉様』と呼ぶ存在はいない。年に一度か二度、お姉様とわたしとを見間違える(お姉様とわたしとは双子であるため、顔つきは似ている)者はいるが、伝達魔法でそのような取り違えは起こりえない。
なんだか寒気がしてきた。ぞわぞわとする。風邪でも引いただろうか。とにかく、この場を離れたほうがよさそうだ。
『姉様。帰られるのですか?』
先ほどよりも音量が大きくなった。丘のほうを振り返れば、そこにはアザゼルが宙に浮かんでいる。
「ひぇっ……!」
わたしは尻餅をついた。浮遊魔法だ! ……け、けど、まだ立ち上がりもはいはいもできないような赤ん坊の使う魔法ではない! 現ミカドのビレト様が得意としている、文字通り『対象を浮かび上がらせる』魔法……!
「だっ、だれかっ!」
そのままわたしは後ろに下がっていき、アザゼルとの距離を取る。こんなのあり得ない。教えても、教わってもいない魔法を使うなんて!
「――ハッ!」
助けを呼んだところで、魔法具の効果がある。わたしがここで叫んでも、誰も近寄れない。わたしと、この、得体の知れないドラゴンの子孫のみ。口ではあーうーしか言えないのに、わたしを『自身の姉』と認識して伝達魔法で話しかけてくるなんて、恐ろしすぎる。
どうしよう。
『姉様』
「ごっ、ごめんなさい! ごめんなさい!」
わたしは頭を下げることにした。ひたいを地面にこすりつける。
『姉様。
「ごめ、……ふぇ?」
『姉様は“試練”と』
「……」
『ミカドに至るべく、ボクは鍛えねばなりません。姉様は、ボクのためにこのような場を設けてくださったのでしょう?』
わたしを疑っていない。
わたしは、あなたを打ち捨てて帰ろうとしていたのに?
『違うのですか?』
のどが干上がりそうだった。ここにいるのは赤ん坊なのに、わたしには、体長二十メートルほどの黒いドラゴンに見える。ただの幻。違う。これが本来のお姿。そもそもが人間ではない。
「わたしは、その、あなたに、お姉様を盗られたような気がして」
ウソはつけなかった。本当のことを言わなければ、かつてクライデ大陸にあったとされる都市国家を壊し尽くした炎が、わたしの身に降りかかってくるような……。
『ふむ』
「あなたがいなくなれば、お姉様はわたしに戻ってきてくれると」
『そうかそうか』
「わたしの愚行を、許していただけるでしょうか……?」
わたしだって、学校を卒業した。一通りの魔法をマスターしている。だが、攻撃して打ち負かせるような敵ではない。わたしは、この子を、ミカドになるべくして育てていかねばならない。敵ではない。この子は、いずれ、ミカドとなる存在。排除できない。しようとしてはならない。
『上の姉様には、ボクからも伝えておこう』
「!」
『姉様も、自分の思いを伝えておきなさい』
「は、はい!」
『では、戻ろうか』
場所が、小高い丘からテレスギルド本部の前に変わった。移動魔法だ。……移動魔法!?
「ウソでしょ」
ぷかぷかと浮かんでいた赤ん坊は、わたしの腕に抱かれて眠っている。今はドラゴンではない。
わたしは移動魔法を使っていないから、このアザゼルが使ったのだ。わたしと自身のふたりぶんを、瞬時に、移動させた。信じられない。
「……お姉様に、教えなきゃ」
話したいことがたくさんある。お姉様には、全部聞いてもらおう。お姉様は天才だから、わかってくれるに違いない。
サザンクロスが輝いて 秋乃光 @EM_Akino
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