現実編03 回想

涼真の名前を見た瞬間──

美桜の胸の奥で、遠い記憶がそっと目を覚ました。


ランドセルがまだ肩からずれそうだった頃。

転勤で一時的に暮らしていた、あの田舎町。

彼女は、そこで彼に出会った。


馴染めない教室。話しかけてくれる子もいない昼休み。

逃げるように迷い込んだ、小さな図書館。


──そこに、彼はいた。


光の差す窓辺で、本の塔に埋もれていた少年。

透けるような肌、伏せられたままの目元。

けれど、その声だけは、なぜかまっすぐだった。


「君も、図鑑じゃなくて、こっち来るんだ」


差し出されたのは、児童書ではなく、難解な科学の本。


「……物理とか出てくるやつじゃん」


思わず引きかけた美桜に、彼は微笑んで続けた。


「これね、地球の裏側で起きてることが、光でわかるって本なんだ。星ってね、声みたいに震えてるんだって」


──宇宙語しゃべってる……。


そう思ったのに、なぜかずっと、聞いていたくなった。


それから毎日、二人は並んで座った。

彼が教えてくれる不思議な世界に、美桜は少しずつ引き込まれていった。


「美桜は太陽みたいだ。見てると、あったかくなる」


その言葉は、子どもの彼女には少し恥ずかしくて、意味がよくわからなかった。

けれど──


彼は、ひとりだった。


誰とも目を合わせず、集団の中に居場所を作らず、

そっと逃げるように図書館へ通っていた。


「どうして、ひとりなの?」


問いかけると、彼はしばらく黙って、ぽつりと答えた。


「誰かといると、すごく疲れる。考えてることが、少し違うみたいで……でも、美桜とは、平気なんだ」


それは、子どもなりに伝えた「君だけは違う」というサインだった。


──でも、その夏は終わった。

再び父の転勤で、美桜はその町を離れることになった。


連絡先も知らないまま、彼と別れた。

残されたのは、あのやさしい声だけ。


それが今、また──逢ってしまった。


(涼真くん……やっぱり、あなただったんだ)


制服姿に変わっていても。

声が低くなっていても。

冷たい目をしていても。


あのときと、何も変わっていない。


やさしくて、静かで、少し寂しげな彼。


(……私、ちゃんと届いてたのかな)

(あのやさしさに、なれていたのかな)


胸の奥に滲んだのは、懐かしさなんかじゃない。


それは、もう一度始まりそうな──

恋の予感だった。


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