第16話「創造の谷へ」

「あれが創造の谷か...」


レインが前方に広がる光景を見渡した。険しい山々に囲まれた巨大な円形の谷。谷底には青々とした森が生い茂り、中央には巨大な湖が広がっている。湖の中央には島があり、そこに白い神殿が聳えていた。


「始まりの神殿だ」シルヴィアが島を指さした。「核のかけらはあそこにある」


私たちは亡者の谷を後にしてから五日間、ほぼ休みなく旅を続けてきた。闇のかけらで見たビジョンの恐ろしさが、全員を駆り立てていた。


「きれいな場所...」リーフが谷を見下ろして呟いた。


確かに、創造の谷は神秘的な美しさを持っていた。山々が谷を守るように取り囲み、谷底の森は豊かな緑に包まれている。湖の水は透明で、太陽の光を受けて輝いていた。


「どうやって降りるの?」私は険しい崖を見て尋ねた。


「ここに古代の道がある」シルヴィアが地図を確認した。「『創造の階段』と呼ばれる道だ」


シルヴィアの言う通り、崖の端に階段の入り口があった。石で造られた階段は、ジグザグに谷底へと続いている。


「この谷には危険な生物はいないの?」リオンが周囲を警戒した。


「伝説では、創造の谷は全ての生物にとっての聖域とされている」シルヴィアが説明した。「ここでは争いが禁じられているという」


「それは助かるわ」マリアが安堵の表情を見せた。


しかし、私のセンスエンハンスは警告を発していた。谷には確かに平和な気配があるが、同時に...見えない緊張感も漂っている。


「でも油断はできないわ」私は言った。「何か...違和感がある」


「影の賢者たちがすでに来ているのかもしれない」シルヴィアも警戒を緩めなかった。


階段を降り始めると、不思議な感覚に包まれた。まるで時間の流れが変わったかのような感覚。一段降りるごとに、世界がより鮮やかに、より明確に見えるようになる。


「不思議な場所ね...」マリアが周囲を見回した。「魔力が濃密すぎて、魔法の詠唱が難しくなりそう」


「ああ」シルヴィアも同意した。「ここでは基本に忠実に行動するのが賢明だろう」


谷底に近づくにつれ、森の匂いが強くなってきた。豊かな土の香り、花々の甘い香り、そして水の清々しい香り。全てが調和し、素晴らしいハーモニーを奏でている。


「この谷、本当に美しい...」リーフが感嘆の声を上げた。


「まるで...世界の原型のような」リオンも同意した。


階段を降り切り、森の入り口に立つ。巨大な木々が天に向かって伸び、その間から太陽の光が差し込んでいる。鳥のさえずりや小動物の気配も感じられた。


「湖までどのくらい?」レインが尋ねた。


「地図によれば、森を抜けると湖岸だ」シルヴィアが答えた。「そこからボートで島に渡る必要がある」


「行きましょう」


森の中を進む。不思議なことに、道は明確に示されていた。まるで森自体が私たちを導いているかのよう。


「この森...生きているみたい」私は感じたことを言葉にした。


「創造の谷は意思を持つとも言われている」シルヴィアが説明した。「おそらく、私たちの目的を理解し、助けてくれているのだろう」


「すごい...」


森を抜けると、予想通り湖岸に出た。透明な水が広がり、中央の島と白い神殿がはっきりと見えた。湖岸には小さな桟橋があり、そこにはボートが数艘係留されていた。


「あのボートを使わせてもらおう」


私たちがボートに近づくと、突然、水面が波立ち始めた。湖の中央から巨大な水柱が立ち上がる。


「なっ...!」


水柱は徐々に形を変え、人型の姿になった。巨大な水の人間が、私たちを見下ろしている。


「水の精霊か?」シルヴィアが警戒した。


水の精霊は私たちを見つめ、そして声を発した。その声は水の流れるような、穏やかでありながら力強い声だった。


「かけらを求める者たちよ」精霊が言った。「汝らの目的は何か?」


シルヴィアが一歩前に出た。「私たちは核のかけらを求めています。深層に囚われた人々を救うために」


精霊は静かに頷いた。「汝らは八つのかけらを集めたのか?」


「はい」私は八つのかけらを取り出した。それらは互いに共鳴し、柔らかな光を放っていた。


精霊はさらに水面から浮上し、近づいてきた。「かけらの力を正しく用いる者のみが、始まりの神殿に入ることを許される」


「私たちは正しく使います」私は誓った。「行方不明のプレイヤーたちを救うために」


「しかし、すでに他の者たちも神殿に向かっている」精霊が警告した。「彼らの目的は、世界の再構築」


「影の賢者たち...!」


「彼らもまた、かけらを八つ集めたのか?」シルヴィアが尋ねた。


「否」精霊は答えた。「彼らは力ずくで神殿に侵入した。しかし、核のかけらはそう簡単には手に入らない」


「私たちを渡してください」レインが懇願した。「彼らより先に核のかけらを確保しなければ」


精霊は沈黙し、そして少しずつ水に溶けていきながら言った。「行くがよい。だが覚えておけ—核の力は創造と破壊、両方の可能性を秘めている」


精霊が完全に消えると、湖面は静かになった。


「急ごう」シルヴィアがボートを指さした。


私たちは二艘のボートに分乗し、島に向かって漕ぎ出した。水面は鏡のように静かで、漕ぐのは容易だった。


「影の賢者たちがもう神殿にいるなんて...」リーフが不安そうに言った。


「しかし、まだかけらは手に入れていないようだ」シルヴィアが言った。「間に合うかもしれない」


島に近づくにつれ、神殿の荘厳さがより明確になってきた。純白の大理石で作られた神殿は、古代ギリシャの建築を思わせる柱が立ち並び、頂部には黄金のドームがある。その周りには美しい庭園が広がっていた。


「すごい...」


ボートを岸に着け、神殿に向かって歩き始める。庭園には様々な花が咲き乱れ、小鳥たちが飛び交っていた。平和な光景だが、私たちの心は緊張で一杯だった。


「あれは...」レインが神殿の入り口を指さした。


入り口には数体の黒い人影が倒れていた。影の賢者たちだ。


「彼らは...死んでいるの?」リーフが恐る恐る尋ねた。


シルヴィアが確認すると、「気絶しているようだ。おそらく神殿の防御機構に阻まれたのだろう」


「影の王は?」私は周囲を警戒した。


「見当たらないな...」


「中にいるのかもしれない」マリアが言った。「急ぎましょう」


神殿の入り口に立つと、その巨大さに圧倒された。入り口のアーチは高さ十メートル以上あり、扉には複雑な模様が刻まれている。


「どうやって開けるの?」


私が扉に手を触れると、突然、八つのかけらが共鳴し始めた。それぞれのかけらが強く光り、そして扉に向かって飛んでいった。


「なっ...!」


かけらたちは扉に埋め込まれた八つの窪みにぴったりとはまり込んだ。すると、轟音とともに扉がゆっくりと開き始めた。


「扉が開いた...」


「かけらが鍵だったのか」シルヴィアが言った。


扉の向こうには広大なホールが広がっていた。床、壁、天井のすべてが白い大理石で造られ、柱には黄金の装飾が施されている。そして、ホールの中央には...


「あれが...核のかけら?」


円形の台座の上に、眩い光を放つ結晶体が浮かんでいた。他のかけらとは違い、これは純粋な白銀色で、中心に虹色の光が渦巻いている。その美しさは言葉では表現できないほどだった。


しかし、私たちが驚いたのは、その光景だけではなかった。台座の前には一人の男が立っていた。長い黒いローブを纏い、顔は深い闇に隠れている。


「影の王...!」シルヴィアが警戒の声を上げた。


影の王はゆっくりと振り返った。その顔は依然として闇に包まれていたが、薄く笑みを浮かべているのが感じられた。


「よく来たな」彼の声は低く、響くような質感を持っていた。「私はお前たちを待っていた」


「核のかけらに触れるな!」レインが剣を抜いた。


「剣を収めよ」影の王は穏やかに言った。「この神殿では争いは禁じられている。そして...」彼は振り返り、台座を見た。「私はまだかけらを手に入れられずにいる」


「何故だ?」シルヴィアが尋ねた。


「見たまえ」影の王は台座を指さした。


よく見ると、核のかけらの周りには透明なバリアのようなものが張られていた。そして、台座の側面には八つの窪みがある。


「なるほど...」シルヴィアが理解した。「八つのかけらが必要なのか」


「その通り」影の王は頷いた。「だが、今やそれらは扉に埋め込まれてしまった」


「でも、なぜあなたはかけらを集めようとしているの?」私は尋ねた。「深層に投入して世界を崩壊させるつもりなの?」


影の王は不思議そうに首を傾げた。「崩壊?いや、違う。私が望むのは再創造だ」


「再創造?」


「このゲーム世界は不完全だ」影の王は説明した。「創造者たちが途中で放棄したプロジェクト...だからこそ、深層という欠陥が生まれた。私はそれを修復し、理想の世界を作り上げようとしているのだ」


「でも、深層に囚われた人々は?」私は食い下がった。「彼らを犠牲にするつもりなの?」


影の王は沈黙し、そして静かに言った。「犠牲なく世界は変わらない」


「許せない!」レインが前に出た。


「待て」シルヴィアが彼を止めた。「ここでは戦えない。別の方法で」


「賢明だな」影の王は言った。「では、交渉しよう。お前たちは八つのかけらを持っている。それを台座に配置すれば、バリアは解除される」


「そして?」


「核のかけらを誰が手に入れるか...それは運命に委ねよう」


緊張が高まる中、私はセンスエンハンスを使って状況を探った。影の王には強大な魔力を感じる。しかし、何か別の存在も...彼の内側に潜んでいるような。


「どうやってかけらを取り戻すの?」マリアが尋ねた。


「扉を閉じれば、自動的に外れるだろう」影の王が答えた。


シルヴィアは全員を集め、小声で相談した。「選択肢は限られている。彼と戦うことはできないし、かけらを取り出すには扉を閉じる必要がある」


「でも、扉を閉じれば私たちは閉じ込められてしまうわ」リーフが心配した。


「かといって、このまま膠着状態を続けても意味がない」リオンが言った。


「私には...考えがある」私は言った。「彼の言う通り、かけらを取り戻し、バリアを解除する。そして...」


「そして?」


「正当な方法で核のかけらを手に入れるの」


「どういうことだ?」レインが訊いた。


「信じて」私は微笑み、みんなに向かって頷いた。


相談を終え、私たちは影の王の前に立った。


「決断したようだな」彼は言った。


「あなたの提案を受け入れます」シルヴィアが言った。「扉を閉じ、かけらを取り戻します」


影の王は満足げに頷いた。レインとリオンが扉を閉め、重い音とともに神殿が封鎖された。直後、八つのかけらが扉から外れ、宙に浮かんだ。


「さあ、台座に配置するんだ」影の王が促した。


私たちはかけらを回収し、台座の周りに立った。八つの窪みにかけらをはめていく。水、風、火、土、雷、氷、光、闇。すべてがはまると、かけらたちが輝き始め、互いにエネルギーの糸で繋がり始めた。


「核と繋がろうとしている...」マリアが驚いた声で言った。


バリアが薄れていき、やがて完全に消えた。核のかけらが宙に浮かび、回転し始める。


「いよいよだな」影の王が一歩前に出た。


「待って」私は彼の前に立ちはだかった。「私たちも同じ権利がある」


「確かにな」彼は頷いた。「では...どうする?」


「この神殿は争いを禁じている」私は言った。「だから...別の方法で決めましょう」


「何を提案する?」


「センスエンハンス」私は答えた。「私のスキルと、あなたの力...どちらがかけらに相応しいか、かけら自身に判断させましょう」


影の王は沈黙し、そして笑った。「面白い提案だ。受けよう」


私と影の王は、核のかけらを挟んで向かい合った。私はセンスエンハンスを最大限に引き出し、これまでの旅で得た全ての経験を呼び覚ます。


「始めるぞ」


私たちは同時に手を伸ばし、かけらに触れた。その瞬間、神殿中に眩い光が広がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る