双刃のアリア ~感覚だけが頼りの異世界冒険譚~

@anzuapricot

プロローグ

「フルダイブ開始まで、あと10秒」


冷たい機械音が耳元で響く。私——佐倉アリア(23歳)は、ベッドに横たわったまま深呼吸をした。


「緊張しすぎよ、私」


自分に言い聞かせるように呟く。初めてのVRMMO。友人たちの間で話題沸騰中の『エターナル・セイジ・オンライン』、通称ESOの世界へ、今から飛び込もうとしていた。


「フルダイブ、開始」


視界が暗転し、次の瞬間、無数の光の粒子が渦を巻いた。体が宙に浮いているような感覚。そして——


「ようこそ、『エターナル・セイジ・オンライン』へ」


優しい女性の声とともに、私の目の前に広がったのは、青空が広がる中世ファンタジーの街並みだった。石畳の道、木造の家々、遠くに見える城塞。まるで絵本から抜け出したような世界。


「これが、VR...」


思わず声が漏れる。想像以上のリアリティに圧倒された。風の感触、太陽の暖かさ、遠くから聞こえる市場の喧騒——すべてが本物のように感じられた。


「佐倉さん、ついに始めたんですね!」


背後から声をかけられ、振り返ると、会社の同僚・鈴木がいた。彼女はESOの熱狂的なプレイヤーで、私を誘ってくれた張本人だ。


「鈴木さん!ええ、やっと重い腰を上げたわ」


「リアルの名前はやめてくださいよ〜。ここでは『クリスタル』ですから」


彼女——クリスタルは笑いながら言った。確かに、彼女の姿は現実とは違っていた。青い長髪に、輝く銀の鎧。まるで氷の女神のような出で立ちだ。


「そうだった、ごめんなさい。私はまだキャラメイクもしてないの」


「そうでしたね!じゃあ、まずはキャラクターを作りましょう。あ、でもその前に...」


クリスタルは私の姿をじっと見つめ、くすりと笑った。


「鏡、見ました?」


言われて初めて気づく。私は透明な半球体の中に立っていた。そして、その壁面に映る自分の姿は——


「え...これ、私?」


そこに映っていたのは、灰色の制服のような服を着た、ありのままの私だった。黒髪のボブカット、少し疲れた表情の目、会社帰りそのままの姿。


「最初はリアルの姿がベースになるんです。これから好きなように変えられますよ」


クリスタルの案内で、私はキャラクターメイキングの部屋へと移動した。


「髪は...もう少し長くて...色は...」


試行錯誤を繰り返す。現実では決して手に入らない理想の姿を求めて。最終的に選んだのは、肩まで届く淡い銀紫色の髪と、少し大きめの紫紺の瞳。身長は現実より少しだけ高く設定した。


「職業選択ですね。ESOには十種類の基本職があります。戦士、魔法使い、僧侶、盗賊...」


クリスタルが説明する間、私は各職業の映像を眺めていた。重厚な鎧の戦士、杖を掲げる魔法使い、弓を引く狩人...どれも魅力的だ。


そして、目に留まったのは「双剣士」の映像。二本の剣を自在に操り、風のように素早く敵を翻弄する姿。


「これ...」


「双剣士ですか?手数が多くて難しいですよ?初心者には——」


「決めた。これにする」


直感的な決断だった。なぜか惹かれた。二刀流の軽やかさ、舞うような動き。


「本当に?まあ、アリアさんなら似合いそうですけど」


「ここではアリアでいいわ。敬語もなしで」


「わかった、アリア!」


キャラクターメイキングを終え、初期装備を身につけた私は、ウィンドガルド——初心者の街へと降り立った。腰に下げられた二本の短剣が、微かに風を切る音を立てる。


「まずは基本操作を覚えよう。移動は実際に歩くだけでいいんだけど、メニュー操作とか戦闘とか...」


クリスタルの説明を聞きながら、私は不思議な感覚に包まれていた。これは確かにゲームなのに、体の動きは現実と変わらない。むしろ、現実よりも身体が軽く感じられた。


「あ、そうそう。このゲームの特徴なんだけど...」


クリスタルは少し声を落として続けた。


「ESOには、レベルやステータスの表示がないの」


「え?RPGなのに?」


「そう。開発者の理念らしいんだけど、『数値に頼らない冒険』がコンセプトなの。自分がどれだけ強くなったかは、感覚でしか分からないの」


私は戸惑った。RPGと言えばレベル上げが醍醐味。数値で成長を実感するものだと思っていた。


「じゃあ、どうやって強くなったって分かるの?」


「体で覚えるの。剣が振りやすくなった、魔法が唱えやすくなった、敵の攻撃が見切りやすくなった...そういう感覚的な変化で」


不思議な仕組みだと思った。でも、どこか新鮮でもあった。


「試しに、あそこの的でちょっと練習してみる?」


クリスタルに勧められ、街外れの練習場へ向かう。木で作られた人型の的が並んでいた。


「じゃあ、攻撃してみて」


言われるまま、腰の短剣を抜き、的に向かって斬りかかる。


「っ!」


予想外の重さに、最初の一撃は空を切った。現実の感覚と違う。もっと軽いと思っていたのに。


「最初は誰でもそう。慣れるまで時間がかかるわ」


クリスタルの言葉に頷き、再び構える。今度は剣の重さを意識して。


二撃目、三撃目...徐々に感覚を掴んでいく。五撃目には、的の胸部に確かな手応えを感じた。


「いいじゃない!初めてにしては上出来よ」


クリスタルの声に、少し誇らしい気持ちが湧く。


「でも、まだまだね。本物の敵はこんなに大人しくないわ」


「そうね...あ、もう時間だ」


現実世界の時計を確認すると、もう夜の10時を回っていた。明日は仕事だ。


「今日はここまでにするわ。また明日」


「そっか、お疲れ様!また明日ね」


ログアウトの操作をし、現実世界に戻る。


ベッドに横たわったまま、天井を見つめる。手首を動かすと、まだ剣を握っていた感覚が残っていた。


「感覚で分かる、か...」


呟きながら、私は微笑んだ。数値に頼らない世界。それは不安でもあり、新鮮でもあった。


明日からの仕事は忙しい。システム開発の締め切りが迫っている。でも、今日から私には別の世界がある。数字とコードに囲まれた現実から離れて、感覚だけを頼りに冒険できる世界が。


「明日も、行こう」


そう決意して、私は目を閉じた。夢の中でも、二本の剣を握る自分の姿が見えた気がした。


これが、佐倉アリアの、双剣士としての第一歩だった。

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