実録!あったか漫画クラブ

深海くじら🐋文フリ東京41完売御礼💕

希望の轍

「千川千織さん、この度は鋼弾社マンガ大賞のグランプリ受賞、おめでとうございます。今のお気持ちをどなたに真っ先にお伝えしたいですか?」

「そうですね。……やはり、ともに切磋琢磨してきたクラブのみんなに……」


 続きを聞こうと思ったら、画面がぷちりと音を立てて消えた。振り向くと、膝を組んだマユリが片手持ちの構えでリモコンをこちらに向けていた。


「さ、仕事に戻るよ」


 五脚の作業椅子をくるりと回して背を向けたマユリに抗議の声を上げる。


「まだ見てたじゃーん。千織先生の言葉、終わってなかったのにィ」

「んなこと言って、あんたあと何枚残ってると思ってんの。ゴムかけの途中っしょ!」


 ぐうの音を漏らす間もなく封殺された私は自分のデスクに振り返る。左袖にはケント紙の山が積み上がったまま。たぶん、五十枚くらい。


「祐里先生も、いいかげんデジタル覚えてくれたらいいのにね」


 そう愚痴りながらもマユリの背中はリズミカルに揺れている。彼女の横にも、私のよりは少し背の低い紙束が乗っている。

 顔を上げ、ぐるりと部屋を見回した。鉢巻きしたりヘッドホン付けたり逆立てたりぼさぼさだったりの様々な頭が、教室サイズの部屋に向かい合わせ二列になった机に向かってがしがしと作業をしている。ひとつ溜息をつき、私も消しゴムかけの作業を再開した。



 ここは『あったか漫画クラブ』。いまをときめく本邦一のマンガ工房だ。

 十数年前に東北の片田舎の大学で産声を上げたこのクラブは、いまや漫画界のあらゆるジャンルに人材と作品を送り込み名だたる漫画賞を総ナメする、いわば漫画の国の総本山と化している。この十年でここからデビューしたマンガ家、マンガ原作者は二十人近く、うち五名はベストセラー作品を複数モノにしている。アニメ化、映画化も、企画進行中を含めると二桁に及ぶ。

 三年前に廃中学をリフォームして建てられた、ここ大泉学園本部ビルは、総勢五百人の漫画家およびその予備軍を抱える一大産業基地となっており、それ以外に全国五か所に支部を持つ。在宅で作画する一部の神様や末端の作業員も加えた構成員の総数は五千人を優に超すらしい。


 かく言う私も、そのクラブに入りたいという一心でルーツの大学に入学し、その足で本入会を果たした。最速だと思っていた私の直前に入会届を出していたのがマユリだった。

 大学の漫研としては破格なくらい機材や資料の揃った部室でがっつりとマンガ漬けになっていた私たちは、夏休みの大半を費やすことになる四週間連続合宿にも当然のように参加表明をした。そうして今、合宿と称したインターンシップの名目でここに寝泊まりしているのだ。


 大泉学園本部ビルがっこうに缶詰になって今日で九日目。その間のお出かけ回数は二十六回。その行き先のすべては正門前にあるコンビニだ。締め切りを抱えた現役マンガ家先生が目に付いた木っ端メンバーを掴まえてパシらせるのだ。そのことを彼らは兵站配達ロジデリと呼んでいる。

 最初のロジデリは、ここについて二日目の朝だった。五階レディースフロアのリラクゼーションルーム(要は雑魚寝部屋)を出た私とマユリは体育館を改装した大食堂に向かっていた。


「すごいね。ここに貼られてるの、全部クラブ出身作家の複製原稿じゃん。これ見れただけでも本部来た甲斐があるってもんね」


 階段や廊下に飾られた表紙用のカラー原稿や写植が入る前の印刷原稿の複製に感動する私は、マユリの言葉にうんうんと大きく首を振っていた。まるで企画展のような通路を少し進んでは立ち止まりしていた私たちは、真後ろに立っていた人影に気づかなかった。

 肩を掴まれぎょっとして振り返った先にはゾンビがいた。恐怖の余りに口もきけなかった私たちだったが、よくよく見るとゾンビは祐里先生だった。コミックスの作者近影で被っていたベレー帽に見覚えがあったのだ。


「祐里先生……ですよね」


 落ち窪んで濁ったふたつの目はたしかに私を見ているはずなのだが、どこにも焦点が合っていない虚無の色を映していた。

 祐里先生(らしき人)は私たちの目の前に手を差し出した。ひっと後ずさるマユリの前で開かれた手にはくしゃくしゃに重なった二枚の一万円札が現われた。


「……これ。正門前のコンビニ……で、一番強い黄帝液……半ダース買ってこい。今すぐ!」


 最後だけは力強かった命令に喉からの空気音だけで返事をした私たちは、先生の所望品を手に入れるべく脱兎の如く走り出した。

 カップラーメンやエナジージェル、栄養ドリンクがめったやたらに豊富なそのコンビニはロジデリの御用達で、普通の店とは品揃えがまったく違っていた。

 夜に昼に明け方に徘徊する先生ゾンビたちの所為で、私たちは廊下もおちおち歩けない。


 合宿参加の初日に、必修として描いた六十四ページのネームを提出したのだが、それについてはまるっきりのなしのつぶて。最初のオリエンテーションを除いて一切の講義等が開かれないまま、私たちは朝から晩まで消しゴムかけをやらされている。きら星の先生たちによる生原稿に感激したのは最初の一日二日で、あとはもう、ひたすら惰性である。



 腕を横に振りながら足の曲げ伸ばし~♬


 二時間に一度差し込まれる十五分休憩の冒頭で、館内放送のスピーカーから小学生時代にお馴染みになった音楽が流れてくる。席の後ろに立ち上がった約半数の作業員(それ以外は机に突っ伏している)に倣って、手首の外側部分が薄黒くなった白ジャージ姿の私もヤル気の無い屈伸運動を行なう。


「いつになったらペン握らせてもらえるのかな」


 私のつぶやきにマユリが冷たく返してきた。


「なぁに甘いこと言ってんのよ。ネームも返してもらってないくせに」

「え? マユリちゃん、戻してもらったの?」

「あたしは……まだだけど、西の方の大学から来た秋犬さんは返されたって言ってた。なんか、真っ赤っかだったって」


 そうなんだ。返された人がいるってことは、ちゃんと読んでもらえてるんだ。


「スロ男さんっていったっけ。ベタ斑に回された中のひとり。そのひとなんか、夜中にこっそり自分の描いてるんだってさ」


 そっかあ。ヤルひとは自分の時間削って努力してるんだ。にしてもベタ斑、いいなあ。ゴムかけよりずっと上な気がする。


「でもそのひと、隠れて描いてたのになんでわかっちゃったのかな」

「廊下に立たされてたんだって。『許可無しに、隠れて自分のマンガを描いてました』って反省文の厚紙を首からぶら下げて」


 うひゃー、キビシィー。


「ゴムベタ三年、アシ八年。それでようやく一本立ちって聞いてるよ」


 背中を伸ばす苦しげな声で吐き出すようにそう言ったあと、体勢を戻したマユリは苦笑いしながらつぶやいた。


「ま、語呂合わせだろうから話半分だけどね」


 ただ、と言って顔を引き締めたマユリは、私の目を見て言葉を続ける。


「この国を動かす花形の産業なんだから、そのくらいの心構えは当然っちゃあ当然だよね」


 そうなのだ。

 そもそも私はマンガを愛しているのだ。そして愛するマンガで、あふれでる私自身のイメージやリビドーを爆散させたいのだ。世界に誇るこの国のコンテンツのひとつとして。

 秋の国会の目玉とされている大型補正予算も、コンテンツジャパンへの追加が最大の争点だという。国策を担う最右翼の勢力を自認する『あったか漫画クラブ』も、作家先生のみならず、シンパの議員やタレントをフル回転させてより多くの賛同を得る活動を行なっている。

 この国の未来は、私たち『あったか漫画クラブ』がつくっていくんだ。いまの消しゴムかけが、未来の明るい希望となって読者と国民たちを照らすんだ。

 そう思ったら、身体中に力が湧いてきた。

 あと二週間半の合宿に全力を賭けて、私、がんばるゾォッ!!

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