雑煮

 幼さが残っていた学生服を脱ぎ、進学した結子には女性らしい丸みが備わっていった。結子は毎日飽きずに米粉を混ぜてドーナツを作る。


「お母さん食べてみて!今日のドーナツは花丸だから!」


 失敗して落ち込み、上手にできれば喜び飛び跳ねる。そんな姿を我は側で眺め続けた。


 我はにこにこ楽しそうに生きる結子の上を揺蕩いながら、毎日結子を眺めるのが気に入りだった。 


 だが、穏やかな日々は続かず。結子の母親が亡くなり、結子はついに独りになってしまった。


 我は人を眺めるのを好む。結子は我に全てを捧げた身だが、我の影響のないところで自由に笑っていればよかった。我は人間と関わりあうには、あまりに強い力を宿し過ぎているからだ。


 けれども、葬儀の場で独りすすり泣く結子を見ていてはどうしようもなかった。


「……っ、お母さん」


 眺めるに徹してきた我は気がつけば結子の前に姿を現してしまっていた。何かしたい想いに突き動かされた我は顔を完全に隠し、魅了を抑え込むことで結子の隣に座った。


 我は結子が独りすすり泣くのを透明で見ているだけでは、耐えられなかったのだ。


 我が人間に、自ら姿をさらすのは初めてだ。


 最初は取り乱した結子だが、我に隣を許し、我の隣で泣くようになった。人の悲しみを長いこと見てきた我はいつか涙が尽きるのを期待した。どの人間もいつか涙が尽きる時がきた。


 だがその期待は、我が、切り取った彼らの人生を覗いているに過ぎなかったことを思い知らせた。

 結子は本当に長い時間、哀しみに暮れたのだ。

 長かった。


 結子が泣けば泣くほど、我の持つ時間が流れるのは遅く、結子が泣き疲れて眠るまで、我には何もできない苦い口惜しさだけが募った。感情に味があるなど知らなかった。時間がこんなに残酷なほど長いとは知らなかった。我は人間の感情を知った気になっていただけだった。


 魅了の力を駆使すれば、結子の涙を強制的に止める術はいくらでもあった。けれど、それは結子の意志を奪うことで、意味がないことだとも理解していた。誰の支配も受けず自由で、朗らかに笑う彼女こそに意義がある。


 我はすべてを支配する力を持ちながらも、結子にしてやれることがなかった。何が最古の付喪神だ。何が何でも思い通りにできる力だ。それに何の意味があるのか。


 動かざること天のごとしと言われ続けたこの我が、自ら何かできることを探す衝動に駆られた。


 結子の母親がよく作った雑煮を、母親を真似て我が手で作ってみた。今思えば生煮えのごみのような味だ。けれど結子はそれを食べて、泣きながら笑ったのだ。


「ふふっ、ツクモ君、励ましてくれてありがとう……すっごく嬉しいよ。私がんばれそうな気がしてきた」


 不甲斐ない我とは違い、結子はしなやかに強かった。我が知っていた人間の生涯の時間よりも長い時間を泣き続けた結子。彼女は我が雑煮を作る腕をゆっくり磨くのと同じように、少しずつ笑みを取り戻していった。


「ツクモ君、一緒にドーナツ屋さん、やってくれる?私の近くに座ってくれてるだけでいいから!」


 結子が笑顔を取り戻し、母親との夢である店を持つことを諦めない姿には瑞々しい生命力が溢れていた。結子は我に毎日たくさん話しかけてくれて、拗ねたり笑ったりしながら日々を生きる。


「ありがとう、ツクモ君。お雑煮、とっても美味しい」


 我は結子に雑煮を作り続け食事を共にし、ドーナツを食べて、結子の話に耳を傾けた。誰かの側でこんなにきちんと姿を現して交わり、共に暮らしたことはなかった。


 姿を隠して眺め続けるだけでは決して手に入らなかったこの多幸感を、我はもう手放せない。結子との暮らし。誰をも魅了できる我こそが最も──魅了された。


 開けっ放しのカーテンから月明かりが差し込む。我は結子の寝顔を見つつ、蔵面を静かに外した。我の魅了の顔には月の光も劣る。


 我は結子を見つめ、豊かな睫毛の瞬き一つで結子に魅了をかけた。約束した対価をいただこう。


「結子、あの日の契りを思い出して欲しい。我と結子の始まりの日。我にとってあの時は至極、尊いのだ」


 結子の記憶に我が直接干渉しては、結子に強すぎる害があるやもしれない。遠回りだが結子のために、違う方法を取った。どこかである言葉を聞けば、その記憶の靄が晴れる。


 その日を我は、楽しみに待つ。

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