顔(かんばせ)

 鳥居をくぐると一気に祭りの雰囲気が押し寄せる。神社の中にも提灯が灯り、人がごった返す参道を淡い光が照らす。参道の両端に出店が立ち並び、おいしい匂いが立ち込めた。


 たこ焼き、フランクフルト、かき氷、りんご飴、ベビーカステラと枚挙にいとまがない。出店に目移りしているとツクモ君が歩調を落としてくれる。


 ツクモ君の姿は誰にも見えていないはずなのに、なぜか私の右側に立つツクモ君を人が避けて歩く。私は注目を浴びないようにコソッとツクモ君に身体を寄せて小声で聞いた。


「ツクモ君、何を食べたい?私が買ってきてあげる。人がいないところで分けっこしよ。見つからないように上手くやろうね」


 私が悪戯するようにワクワクを抑えきれずにツクモ君を見上げる。


「我は結子の望むものを望む」

「いいの?じゃあ、たこ焼きが」


 私が参道を戻ろうと勢いよくふり返ると、左肩が誰かとぶつかってしまった。


「あ、すみません」

「痛いなぁ!どこ見て歩いてんねん!しっかりせえ!」

「ご、ごめんなさい」


 あまりに勢いよく怒鳴られて目を剥いた。ぶつかったのは無精ひげでやや禿げたおじさん。とても酒臭い。おじさんの汚れた薄青の作業服には「環境安全課 北川」と名札が付いていた。


 村役場の人のようだ。酒臭い北川さんに顔を寄せられて、舐めるように上から下まで観察される。私を視線で舐め終わった北川さんが参道の真ん中で大声を出した。


「アンタ、あの怪しい店の店長やな!呪いのチラシを配りまくってくれてどうもやで!アンタの呪いのおかげで無事に不法投棄が増えたわ!」


 参道を行き交う村人たちが北川さんの罵声に立ち止まった。


「なんぼ片づけても山が汚れてしゃあないなぁ!」


 関係ないと言い返したいのに、怯んで声がでなかった。北川さんはげぷっと酒臭いゲップをしてからまだ大声を出し続けた。


「こっちは毎日全身汚れて片づけてるのに、不法投棄は止めへん!アンタは綺麗な格好して男漁りか?!チャラチャラ歩いてアバズレやないか!ええ御身分やなぁ!」


 止まない言いがかりに私は拳をぎゅっと握りしめた。目の奥が熱くて痛いけれど、身に覚えのないことで泣きたくない。


 チャラチャラなんて評されてショックだが、可愛い浴衣で浮かれてしまっていたのは事実だ。言い当てられてしまったのが恥ずかしくて、顔を上げられない。参道の石畳を見つめてしまう。


 俯く私の隣で、ツクモ君の声が響いた。その声は、私に向いていなかった。


「我の結子が、他の男など漁るわけがなかろう。凡夫の戯言で耳が穢れる」

「変わった面付けた兄ちゃんやなぁ?ハッハー?すでに男漁りは終わってたわけや?」


 私が顔を上げると、北川さんと漆黒の蔵面をつけたツクモ君が言葉を交わしていた。北川さんにツクモ君が視えている。周囲の野次馬たちも二人に注目している。ツクモ君がみんなに認識されていた。


 北川さんが私に向き直り、またゲップをしてから吐き出した。


「ええか?!アンタが来てからロクなことがないんや!誰もアンタの店なんか行かんで!はよ出て行って欲しいってみんな言うてるわ!」

「結子を愚弄することは許さん」


 私が呆気に取られてまばたきを繰り返していると、ツクモ君が蔵面に手をかけてぐるりとズラす。淡い祭りの灯に照らされて、ツクモ君の顔が右半分だけ露出した。


 私は食い入るようにその顔の半面に惹き付けられる。


 翡翠のような冷ややかな透明感の肌は夜気の中でもほのかに淡く発光しているかのよう。瞳は深い緑に金を沈めたような色。ツクモ君の目は切れ長で端正なラインを描きながらも目尻にかけてわずかに上がる。その角度が意志の強さを感じさせ、まっすぐに刺す視線には、見つめ返すことをためらわせるほどの力がある。


 その顔立ちはまるで細工の極まった宝玉のように、研ぎ澄まされた存在感を放っていた。


 まるで翡翠の魂がこの世に宿った奇跡のように、彼は美しい。


 あまりの美しさから、私は無意識に目を逸らして俯いてしまった。北川さんはまだ私に向かって何か叫んでいたのに、急に、喧騒が消えた。


 私の世界から音が消えて、ツクモ君の低い声だけが私の耳の中に直接響いた。


「結子、我を見よ」


 半分だけ蔵面に隠れたツクモ君が私に問う。顔を上げようと思っていないのに、私の顎が私の意志に関係なく、持ち上がる。その言葉に命令されて抗えず、体が勝手に動いた。顔を上げると視界が彼の破壊的なまでの美で満ちた。


「我は結子の望むものを望む。この愚鈍に対して、制裁を望むか?いかようにもしてやるぞ」


 ひやりとする言葉に私は喉から声を捻り出した。


「の、望まない……私をここから連れてって」

「……望みのままに」


 不満そうな声のツクモ君が私を引っ張って歩き出す。北川さんは横をすり抜ける私に何か言っていたのだけれど、聞こえなかった。


「追うことは許さぬ。結子の温情がなければ首が飛んだぞ。小童」


 ツクモ君に手を引かれた私は北川さんを置き去りにした。北川さんは追いかけて来られないようだった。


 私が歩くたびにチリンチリンと鈴の音だけが聞こえた。人がひしめく参道なのに、ツクモ君が参道の真ん中を歩けば人垣が避ける。

 これが神様の歩く道。


 参道の一番奥、境内の前までやってくると人波が薄れ、手を繋いだツクモ君が振り返る。私はやっと息を思い出した。聞こえるはずの祭りの喧騒がまだ聞こえない。そこかしこに人はいるのに、耳の中は無音だ。


 振り返ったツクモ君が蔵面に半分隠れた顔で私を見つめる。半分だけなのに、それでも息を奪われるほどの美貌。私は動けない。私は私の自由を全て失っていた。怖くはないけれど、神様の強い支配を感じる。


「先ほどは見惚れて答えられなかったのだが」


 無音の世界に、艶のある低い声だけが波打つ。


「結子」


 私の名前。耳が痺れ、軽い目眩を覚える。


「愚者の言う事に心傾けることはない」


 どこかに遠くへと永遠に連れて行かれて、私という存在が消し飛びそうなほど優しいツクモ君の瞳に釘付けだ。


「結子の浴衣姿は……とても尊く、愛い」


 全身の血が一瞬で煮え立った。


 顔も首も身体も指先も、隅々まで血が奔り抜けて燃え上がる。頭が揺れてふらついた私をツクモ君の手が強く支えてくれた。体内の血が煮立って目が回り、どこから生まれたのか突然「ツクモ君のものになりたい」という欲求で自分を見失いそうになる。


『私の浴衣姿、可愛い?』


 あんなこと安易に聞くものではない。時間差の回答で自我が滅ぶところだ。

 ツクモ君が蔵面を貫く理由を、私は今、身に沁みて理解した。


 彼の美貌には、私が想像できないほど凄絶な、支配力があるのだ。 

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