男子中学生の来店
梅雨に入っても、店では閑古鳥が鳴いていた。
またしとしと小雨が降って来たので、私は立て看板を仕舞うためにカラカラと玄関の引き戸を開けた。すると、古い楠の木材に小さなドーナツ屋さんと彫り刻まれた立て看板前に、一人の男の子が立っている。
白いシャツに黒い学生ズボンを履いているところを見ると、中学生のようだ。立て看板をジッと見つめているので小さなドーナツ屋さんに興味はあるのだろう。私は彼にそっと声をかけた。
「雨が降って来たので、良かったら入っていきませんか?」
急に声がかかって驚いた彼はビクリと肩を震わせた。
「え、あーなんか、その、えーっと」
細い目をパチクリさせてから、彼は奥歯に物が挟まった物言いをする。
「呪われたりせえへん?」
「し、しませんけど……」
「お姉さん、普通の人間?」
「もちろん」
怪訝な顔で私を疑う彼の視線は居心地が悪い。先日、私の画伯チラシが村で噂になっていると聞いた。小さな村の噂だ。彼の耳にも届いているのだろう。男子中学生はうーんと首を傾げたあと、一歩店に向かって踏み出した。私は人間判定されたようだ。
「いらっしゃいませ」
「すげー建物古いから、どんだけ汚い店かと思ってたんやけど……中めっちゃ綺麗やん。和カフェって感じ?」
男子中学生は店をきょろきょろ見回す。興味津々な様子が幼くて可愛かった。
「あんな、お姉さん。俺がなんで村中で恐れられてるこの店に来たかっていうとな」
正面のカウンター席に座った彼は聞いてもいないのにペチャクチャ喋り出した。
「この前、松浪のおばちゃんがくれた米粉ドーナツをうちのおかんが気に入っててな。俺ももう一個食べたかったけどちゃんと我慢しててん。やのに、ドーナツが消えてん!帰ったらお前食うたやろ!ってめっちゃキレられて!自分で買いに行ったら呪われるからお前買って来い!って家追い出されてん。ほんまマジ謎やで」
カウンターに身を乗り出して弁明する彼は真剣だ。彼は不憫なのだろうが、私は私の画伯ぶりが招いた結果に慄くばかりだ。ドーナツを買いに行くと呪われる店だと認知されているらしい。
「ドーナツが消えるなんて不思議なこともあるんですね」
「ホンマそれ」
全部言いきってスッキリしたのか、やっと男子中学生の注文を聞いて私は米粉ドーナツを揚げ始めた。なんと米粉ドーナツ二十個の大量注文だ。男子中学生君のお母さんが気に入ってくれたというのは本当らしい。
男子中学生君はカウンター向こうから私がドーナツを揚げる様子をじっくり見ている。このじゅわわと誘う音と、魅惑の香りに惹きつけられるのだろう。
「めっちゃうまそう。できたて、ここで食べてもええ?」
「もちろんです」
素直な彼が可愛くて私はつい笑ってしまう。ふと視線を感じてカウンター最奥席を見る。いつも通り袷を着こなしたツクモ君がカウンターに肘をついて、拳に顎を乗せたスタイルで座っている。
「結子、我はこの男が気に入らん」
「え……?」
客にダメ出しし始めた王様に私は緊張した。蔵面の奥の視線が痛いのは気のせいだろうか。男子中学生はスマホで揚げている最中のドーナツと、私の写真を何枚も撮り始めた。
「写真、クラスの奴らに見せてもええ?」
「この店に来ても呪われたりしないと、言ってくれるならいいですよ」
「否」
ツクモ君は男子中学生には見えなくて、会話に入っていない。だが、私には聞こえる。全拒否である。何事だ。
「言う言う。可愛いお姉さんと和カフェコラボヤバいこれは流行るって言う」
「可愛いなんて情報を盛ってもらえて助かります」
「結子が可愛いのは自然の摂理だが、小僧がそれを言いふらす権限など我が与えるわけがなかろう」
ツクモ王様の発言をスルーしつつ、私は宣伝を優先する。宣伝の大事さを松浪姉さんに懇々と説かれたばかりの私は、店の酷評が回復するならと快諾した。
「え、お姉さん普通に可愛いで?」
「わあ!今時の中学生ってそういうこと言えるんですね!」
「ホンマやって、可愛い、カワイイ」
「チッ……!」
聞き慣れない音に思わず振り向いた。ツクモ君が舌打ちした。私がギョッとしてツクモ君をまじまじ見つめると、カウンター最奥、さらに蔵面の奥からツクモ君の視線が突き刺さる。
「その小僧、消す」
「何を言いだしたの?!」
ツクモ君の声が地を這う低さと真剣みをおびるので私がつい口に出すと、男子中学生が目を丸くする。私はハッと口を塞いだ。
「え、あー今ちょっと嫌なことを思い出して、ごめんなさい」
「わかったで?お姉さん不思議っ子やな?」
「いえ、普通です」
ツクモ君発信の肩に乗った空気がズンと重い。重力が増したような圧だ。ツクモ君がこんなに露骨なご機嫌斜めを訴えてくるのは初めてだ。
わかった。私が可愛いと言われてつい浮かれたのを嗜めているのだ。調子に乗ってごめんなさい。
不満を示すツクモ君の視線を受けつつ、ドーナツを揚げ終わったとき、カラカラと玄関の引き戸が開く音がした。まさか、またお客様だ。
三和土に現れたのは二足歩行の猫型付喪神、鈴姫ちゃんだった。ニタリと笑っている。私は鈴姫ちゃんにすぐ行くとアイコンタクトしてから、男子中学生君に揚げたてドーナツを三つ提供した。
「どうぞ食べてくださいね。これ非売品ですけどオマケでどうぞ」
苺アイシングをトッピングした、ころんと小さいドーナツが並ぶのが可愛い団子串ドーナツをお皿に添える。
「え!太っ腹やな!ラッキー!」
私はキッチンを出て、三和土で待つ鈴姫ちゃんの元へ移動した。男子中学生君が「なにこれモッチモチやばいんやけど!」と吹き抜けに響く大声で喜んでいるのを聞きながら、鈴姫ちゃんにコソッと話しかける。
「今、人が来てておもてなしできないんですよ」
「何言ってるの、結子!あの子が私の持ち主の、和也よ!私がドーナツ横取りして食べて、やっとここに連れてきたんだから」
二足歩行猫の鈴姫ちゃんが肉球のついた前足を胸の前で組んで、フンと偉そうに笑う。
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