ハレの日
「合格やわ。中深煎りの抽出めっちゃうまいことできてる。腕のええ人に淹れてもらって、うちの店の豆が喜んでるわ!ありがとうな、結子ちゃん!」
手放しの明るい声と大きな笑顔に褒めてもらって、私はほっと胸を撫でおろした。
「まず冷めても飲めるってのが美味しいコーヒーの大前提やけど、結子ちゃんのはオールクリアや。この店、推せるわ。私に任せとき。しっかり宣伝したるからな!」
「あ、ありがとうございます!」
ニッと笑い自信満々に言い切る松浪さんに、私はしっかり頭を下げた。だがほっとしたのも束の間、松浪さんは神妙に口を開いた。
「ところで結子ちゃん……」
米粉ドーナツを食べると口が素直になる。
私しかり、鈴姫ちゃんしかり。なぜかみんな、話しにくいことを話してしまう。松浪さんはカバンからあるものを取り出して見せた。
「これは何や!」
松浪さんが見せたのは私が手描きした小さなドーナツ屋さんの宣伝チラシだった。松浪さんはチラシに描いた絵を指さして、急にマスカラバッチリの目をキッと厳しくつり上げた。
「なんやコレ!小さなドーナツ屋さんってコンセプトは最高やのに、なんやねんこのバケモンみたいな絵は?!」
「え、米粉ドーナツの絵ですけど?」
「どこがやねん!この店に行ったら呪いを食わされるて村で噂されてるで!」
「え?!会心の出来の絵なのに、どうしてそんな誤解が?」
「結子ちゃん!目、どないなっとんねん!画伯やないか!」
「高校の時から画伯って褒められてきました」
「褒めてへんわ!下手やって皮肉ってんねん!」
「そ、そうなんですか?!」
私は衝撃の事実に呆気にとられた。まさか「画伯」が下手、の意味だなんて。誰か言ってよ。
「ブッふ」
私はハッと最奥カウンター席、ツクモ君をふり返る。笑った。私が視線を向けると、漆黒の蔵面が何事もありませんでしたを装っている。だが、ツクモ君の肩が微妙に震えているのを私は見逃さなかった。小花ちゃんは現在ソファ席を攻略中だ。
珍しくツクモ君の笑い声を聞けて嬉しいやら悲しいやら、情けなかった。ツクモ君も画伯だって思っていたなら、教えてよ。前衛的、なんて感想ではわからない。ピカソだって前衛的ではないか。
「結子ちゃん、初っ端からこれはマズいで。店のイメージがマイナススタートて!」
松浪さんに宣伝チラシのダメ出しを延々と受けながら、私はしゅんと肩を落とす。
ダメ出しの最中だが、店中の椅子を冒険中の小花ちゃんがついにツクモ君の指定席に迫っていた。
私の目は釘付けだ。ツクモ君、どうする気だろう。席を譲るのかと思ったが、小花ちゃんがツクモ君専用椅子に座ってもツクモ君はどっしり動かなかった。
「我の席ぞ、童」
ツクモ君専用椅子に座った小花ちゃんはツクモ君に触れられないようだ。ツクモ君の体を貫通して椅子に座っている。でもその様子、私の目にはまるでツクモ君が小花ちゃんを膝の上に乗せているように見えた。可愛い合体セットだ。
さすがに小花ちゃんにまで足先に額を擦りつけさせる不遜な挨拶を要求はしないようで安心した。可愛いセットにほっこりしてしまったので、先ほどツクモ君が私を笑ったことは水に流そう。
「聞いてんか!結子ちゃん!経営ナメてたらあかんで!」
「はい!ご指導ありがとうございます!」
「結子ちゃんは大事な友だちの娘やけどな。私はプロの経営者や。商品の出来がイマイチやったらやんわり見守るぐらいにしとこうと思ってたんや。でも、ようわかった。結子ちゃんが作る味は本物や。この松浪姉さんがかわいがったるから、しっかりついておいで」
もう絵を描かないとしっかり約束した後、松浪姉さんは頼りがいのある快活な笑顔を見せてくれた。経営が不勉強な私に、頼もしい先生ができた。
「近所に配るから米粉ドーナツ三十個お持ち帰りで。あとコーヒーおかわり」
「がんばって揚げます!」
松浪姉さんの大量注文に応えて作業している間。小花ちゃんはなぜかツクモ君の膝の上でウサギさんのお絵描きを続け、松浪さんはノートパソコンでお仕事をしていた。米粉ドーナツが油を揺蕩う音が響く店にゆったりした時間が流れる。なんともおっとり丸く、豊かな時間だった。
帰り際、見送りに出た私に向かって松波姉さんがニッカリ笑った。
「結子ちゃん、この店は大丈夫や。このまましっかりやっていき」
「ありがとうございます……そう言ってもらえてすごく安心しました」
パワフルな松浪姉さんは片手に米粉ドーナツ30個とノートパソコン、片手に小花ちゃんを抱っこして帰って行った。
テキパキはきはきハンサムな女性で、憧れた。
店のキッチンに戻った私は片づけをしながら、小花ちゃんとのセットが可愛かったツクモ君に声をかける。
「松浪姉さん、カッコ良かったね。私も経営者の端くれだからあんな風にビシっとバシっと強く言えるようにならないと」
ね!と同意を求めてツクモ君を見つめる。
「あの女に結子が劣るところなど、一つもないが?」
「ふふっ、ツクモ君って優しいよね」
洗い物をする手も軽い。『商品の出来がイマイチやったら』という松浪さんの言葉を思い出してまた顔がニヤけた。米粉ドーナツの出来が良かったおかげで、松浪姉さんとの濃い縁が生まれたのだ。お母さん見てくれてたかな。
「まーるいドーナツ、まーるいご縁」がこんなにわかりやすい形で現れるなんて。なんて幸せだろうね、お母さん。私、米粉ドーナツを頑張って作ってきて、良かった。
「ツクモ君、今日は米粉ドーナツで初めてお金を稼いだハレの日だよ!」
「夕飯は豪華にだな。結子の好きな物を作ろう」
「やったー!じゃあ、あさりとプチトマトの丸餅雑煮と、手毬寿司がいい!」
「手が足りんな。ナギを呼ぶとしよう」
ツクモ君がちらりと蔵面を顎まで捲る。すると風呂にでも入っていたのか、泡だらけの赤蛇ナギ君が現れた。
「わぁ!お取り込み中だった?!」
「顔ナシ様ぁ!自分プライバシーとか、プライベートとかないんですか!?」
「無い」
呼びつけられたナギ君とツクモ君に腕を振るってもらい、私はハレの食事を頂いた。
初めて米粉ドーナツが売れたハレの日を、私はずっと忘れない。
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