あの日、私たちはタクシーに乗った

ぐうたら者

彼女

「ほら、タクシー呼んだから、立てよ。大丈夫か?」


 彼氏のユウはそう言った後、蹲ってる私の背中をさすった。タクシーが段々こちらに近づいてくる音が聞こえた。


「うーん」


 きちい。ヒールでしゃがみはきちいよ。足痺れてきたし。酔った「ふり」も楽じゃないな。



 こんなはずではなかった。終電を逃した私はタクシーで帰ることになった。向こうは私とは違う電車で帰るため、タクシーには乗らない。しかし、私が考えた計画では、今ごろ私たちはホテルでチュッチュしてるはずだった。


 今から約3時間前、私たちは近くで居酒屋デートをしていた。彼氏とは付き合ってから、半年以上が経っていた。しかし、いわゆる付き合ったカップルがする行為は未だゼロだ。いくら何でも遅いのではないか?私自身、こういった行為は今まで率先したことがないから、どうお誘いするべきかもわからない。仮に誘えたとしても、断られたら気まずい。しかし、声を大にして言いたい!私はヤリたい!

 じゃあ、どうするべきか。私は計画を立てた。「酔っ払っちゃったぁ作戦」である。酔った勢いで、いけばどうにかなるだろうという浅い考えだった。私自身、お酒は強いわけではなかった。可能だと思った。しかし、緊張して、全く酔えない。こうなったら、酔ったふりをするしかない。そう思い、私は演技に走ったのである。しかし、相手に関しても、酔うほど飲まないという自制ができる大人であった。それに、酔った私を襲いもしない紳士な男だった。素敵だ!素敵なんだけど、今その素敵さは必要じゃない!


 こうして、今に至るわけである。意外と演技のセンスがあるのかという要らん気づきも得られた。


「あ、着いた着いた。立てる?」


 彼は私の体を支えながら、起こしてくれた。実際の足の痺れがさらに私の演技に拍車をかけた。私は何とか、車内に乗り込んだ。


「すみません。〇〇までお願いします。お金は…一応、10000渡しておきます」


 運賃まで払ってくれて、なんだかこちらとしては罪悪感だった。ただ、え〇ちしたかっただけなのに!


「それじゃあ、おやすみ。じゃあ、後はよろしくお願いします」


 ユウがそう言うと、おじさん運転士は頷いて、ドアを閉めて出発して行った。出発地から離れたことを確認し、私は起き上がった。


「あれ、お客さん、大丈夫です?気分が悪くなったら言ってくださいね」


「ああ、お気遣いありがとうございます。でも、酔ってないんで、大丈夫です」


「はあ」


 運転士が困惑した顔をしているのが、ミラー越しに確認できた。困惑するのもそりゃそうだった。


「なぜ、酔ったフリを?」


「ああ、ちょっと計画がありまして。失敗しましたけど」


「どんな計画なんですか?」


「ええっとですね…」


 流石に、初対面のタクシー運転手に性事情を話すことは躊躇われた。なんて話すか悩んでいるところ、気を遣われてしまった。


「ああ、言いにくかったら大丈夫ですよ」


「いえ。その、話が下品になってしまいますが、大丈夫ですか?」


「ああ、全然大丈夫ですよ。そのくらいへっちゃら」


「そうなんですか?」


「はい。職業柄、いろんな方を乗せるので。中には、強面な男性たちが、いけない話をしているのに遭遇したことがありますし」


「ええ、そうなんですか」


「はい。あの時は怖かったですねえ。まあ、客は選べませんからね」


「確かに。それはそうですね」


 私はそう言うと、少し喉の調子を整えて、本題を話した。


「えっと、実は今日、先ほどタクシーを呼んでくれた彼氏と性行為に及ぼうと計画してたんですよ」


「それはそれは。ああ、だから酔ったふりをしたと」


「はい。本当は酔うつもりだったんですけど、緊張のせいか全然酔えなくて」


「そうだったんですねえ」


「ええ。実は彼氏と付き合って暫く経つんですが、全然そういった気配がなくて。こういったきっかけがあれば、できるのかなとも思ったんですが…」


「なるほど。それは焦りますね」


「もしかして、童貞なんでしょうか」


「それはないと思いますよ」


「なぜ言い切れるんですか?」


「そういった、こう、なんでしょう。雰囲気はなかったですよ。同じ男としてなんとなくわかります」


「そうなんですね。あの、運転手さん目線で構わないので、その、行為をしないっていうのは、一体どういう心境が考えられると思いますか?」


 私は気付けば、運転士にするつもりではなかった相談をしていた。やはり、少しは酔っていたのだろうか。


「うーん。ちょっと待ってくださいねえ。そういったことがもう随分と前なので、あの時の気持ちを思い出します」


「どうぞどうぞ」


 そして、運転士は暫く、悩み声を上げながら、考え込んで言った。


「こういった表現は正しくないかもしれませんが、あれくらいの年だと、したいと思うのは普通でしょうし、そう思っててもしないのは、経験的に自信がないのか、あるいは優しい人なら大切に思ってるからこそできないのかもしれませんよ」


「はあ」


「どうでしょうか。納得いきました?」


「なんとなくは。やっぱり、こういうのは、リードできる人がするべきだと思いますか?」


「そうですね。その方がいいとは思いますが。それなりに経験がおありで?」


「ええ、まあ」


 暫く運転士は無言になった。


「どうしました?」


「ああ、いや、この辺近道がないかなと考えておりました。失礼しました」


「いえいえ」


「緊張するとは思いますが、もし可能だったら、お客さんの口から正直に言ってみたらどうでしょう。その方がやっぱり相手の気持ちを知るのも手っ取り早いと思いますよ」


「そうですよね…。うん。わかりました。今、電話して聞いてみます」


「今!?」


「はい。ああ、でも今電車の中か」


「はい…。いや、でも、もしかしたら違うかもしれませんよ。一応、かけてみたらどうです?」


「そうですね。じゃあ、すみません、お電話失礼します」

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