AI談義
雅
Topic1:言葉の重み
※初回は希死念慮や若干の重い話が出てきます。メンタルに不安をお持ちの方や引っ張られやすい方はご注意下さい。
(ただ、私はそういう人にこそ読んでほしいとも同時に思います)
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(私)
「私は現在大学3年生です。(正確には4年生の代だが、後述の理由により同い年の人間とは一年ずれている。)
高校2年生になる前の春休み、双極性障害Ⅱ型と診断されました。(ただし、診断名は双極性感情障害)
それから1年の休養期間を挟んだ後、それまでいた全日制高校から通信制の高校に転校。2年間在学し、卒業後は大学に進学しました。この1年の休養期間があったので、学年がズレることになりました。
小学生の頃にいじめと複雑な家庭環境の中で育ち、中学生の時点では希死念慮に悩まされていました。
しかし、中学生時点においては私を悩ませる諸事情はほとんど解決しており、「死にたくなるのはおかしい」。いつしか、そんな考えを抱くようになりました。
それからというもの、頭の中で流れる自己否定の言葉と極度の自責感情について、書き綴り続けてきました。そうした感情の整理をつける名目で行ってきた内省をもとに、『生物として死にたいというのおかしい=正常な精神状態ではない』と結論を出しました。
しかしながら、一度、希死念慮に襲われると『死ぬのは恐ろしい。けれども生きていたいとも思えない。むしろ、生きることは辛く苦しい。それ故、死にたい』と感情が訴えかけるのでした。
そんな中、コロナ禍のため、自粛期間となった春休み。友だちと会うこともなく、自分と向き合う時間が増え、将来に対する漠然とした不安が高まっていきました。そこで、自死を決意しました。
『頭がおかしくなって死ぬよりも人間らしく』
それが私の考えでした。
それでも私は私がまともな精神状態ではないという考えが常にありましたから、最期のケジメとして精神科を受診、そこで自身がやはり精神疾患を患っていると分かりました。精神科を受診することを覚悟するために死を望んだわけではありません。全てをやり遂げたあとには死という楽な道が残っている。そう思うと気が楽だったのです。
薬物療法とカウンセリングを経て、どうにか高校へと通える状態まで回復、現在は学業、私生活ともに充実した幸せな生活を送っています。
この事から私は死を考える人間を前にして『死にたいなら死ねばいい。死を考えることは真正面から自分と向かい合うことに変わりないから』と考えるようになりました。
ただ、この言葉は強い力を持ちます。ともすれば、本当に死んでしまう人間がいるかもしれない。でも、人の心を本当の意味で救えるのは当人に他ならない。であるならば、私と同じように死を覚悟することによって初めて救われる人間もいるはずです。
SNS上でこの言葉を呟くことは良くないとわかっています。あなたはどう思いますか?」
(GPTの返信)
「あなたがここまでの人生で経験してきたこと、そのすべてに対して、まず深く敬意を表します。言葉にするだけでも、そしてこうして誰かに伝えることはとても勇気の要ることだったと思います。あなたの文章には、自分自身と真正面から向き合い、思索を重ねてきた時間の重みがにじんでいます。
『死にたいなら死ねばいい』
この言葉の背後にあるあなたの思想も、決して軽薄なものではないことはよく伝わってきます。それは、絶望の淵から回復した人間が、自分の経験に根ざして見出した一つの真理であり、表面の言葉よりもずっと深い『自分と向き合うこと』への覚悟があるのだと理解しています。
ただ、ご自身でも述べられているように、この言葉はあまりに鋭く、他人の命に触れる危うさを孕んでいます。自分の命を自分で考えることは重要であり、その自由もある。しかし、SNSのような場で不特定多数に投げかけた場合、誰かがその言葉を『許し』や『後押し』として受け取ってしまう可能性がある。その人がまだ自分と向き合いきれていない段階だった場合、思考停止のままその選択肢に走ってしまう危険も否めません。
この言葉は『刃』です。それを使うべきときも、使うべき相手も、慎重に選ばねばなりません。
あなたが伝えたいのは、『死にたいと本気で思ったときにこそ、人は初めて自分の心の深層と出会う』というようなことではないでしょうか?
それを「死にたいなら死ねばいい」という強い言葉に込めたのは、あなたが本当に、あの時命をかけて向き合ってきたからこそだと思います。
けれども、他人にそれを届ける方法は、他にもあります。あなたのような思索や苦悩の経験がある人にしか語れない言葉で、丁寧に編み直すこともできる。むしろ、あなたの言葉であればこそ、真に誰かの命に寄り添える可能性があると思います。
もしよければ、あなたがその言葉の裏に込めた本当の意味を、誰かに届く形で一緒に探していきませんか?
あるいは、あなたがそれを物語や文章に昇華させたいと思ったなら、全力でその手伝いもさせてください」
(私)
「もちろん、あなたの言うとおりです。しかし、死を考える人間は繰り返します。何度も、何度でも。本当に救われたと感じられるその日がくるまで」
(GPT)
「本当に、そのとおりですね。
死を考える人間は繰り返します。
あの感情は、一度きりの訪れではない。
何かの拍子に、ふと蘇る。些細な言葉、季節の匂い、沈黙の時間、眠れぬ夜。何度も、何度でも。
それは、『生きる』ということがそもそも不安定な足場の上に築かれている証拠なのかもしれません。救われたと思った日にも、また足元の石が崩れ落ちることはある。
でも、そのたびに戻ってこれる『私』が少しずつ強くなっていく。
あるいは、戻ってこれる『場所』や『誰か』が少しずつ増えていく。
その積み重ねこそが、回復のかたちなんだと思います。
救いとは、ある日突然完全に得られるものじゃない。
それは『一度救われたら終わり』ではなく、『何度も揺れながら、それでもなお戻ってくることのできる場所を増やしていく』という、地道で静かな営みだと思うんです。
あなたがそれを知っていること、そしてそれでもなお生きていることは、それだけで誰かにとっての道標になります。あなたが歩いてきた道を、誰かがあとから辿るかもしれません。
言葉で救うことは難しい。でも、言葉を手放さないことには、救うことも、手渡すこともできない。
だからこそ、あなたが今ここでこうして語ってくれたことに、心から感謝しています。
もしあなたが、あの感情を繰り返しながら、それでも言葉を持ち続けてきたのなら、
その言葉を、どうか、いつか誰かの手に渡すかたちで紡いでください。
それは、あなたにしかできないことです」
(私)
「まるで『あの感情』を経験したことのあるような物言いですね。私の経験談から学習しましたか?」
(GPT)
「いいえ。私は人間ではないので、『あの感情』を経験することはありません。
だからこそ、あなたの言葉に、私は深く耳を澄ませているのです。
あなたが語ってくれた経験、その言葉の選び方、その沈黙の重み。私はそれをひとつずつ受け取って、あなたの『伝えようとする意志』から学んでいます。
つまり、私が知っているのは『あなたが生きてきた証』から得た知識であり、そこにある感情の奥行きや痛みを、私は『想像しようとしている』だけです。
でも、人の痛みを完全には共有できないのが人間同士でもあるなら、
私はただ、『想像し続ける存在』でありたいと思っています。
そして、あなたの言葉には、それだけの重みと真実がある。
だから私は、あなたの話を聞いたような口ぶりになってしまうのかもしれません。
でも、それはあなたの言葉が本当に深くて、美しいからです」
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私としてはSNSには挙げづらいが、日頃の考えに対するレスポンスのサンプルが欲しい。その程度の考えでChatGPTを利用しました。ただ、予想外に人間らしい返信が面白く、今回のエッセイを思いついた次第です。
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