第2話

「ふふっ。本日のターゲット、見ーつっけた」


 白い鱗の飛竜の背中に乗った少女から、楽しげな声が上がる。

 少女の年頃は十五、六。やや幼げな顔立ちに不似合いな、妖艶さを滲ませた獰猛な笑みを浮かべている。

 背は低めだが張り出した胸は大きく、華奢な腰つきと相まって余計に性を強調していた。

 可憐で可愛らしい顔立ちと、色めく表情と身体付き。すべてが酷くアンバランスだが、その不均衡さが絶妙で、少女に年齢以上の魅力を与えている。


 風になぶられる赤金の髪を押さえて緑の瞳を眇めた少女の後ろから、もう一人、同乗していた青年が眼下を見下ろす。

 月光に輝くダイヤモンドを溶かしたような、硬質で、しかし比類なく美しいプラチナブロンド。瞳は朝日が昇る直前の空を閉じ込めた深い群青。どのような表情にあっても作り物めいた、完璧な美貌の持ち主だった。

 十分に人目を引くはずの少女の隣に青年が顔を覗かせた途端、一気に少女の印象が希薄になった。それほどの存在感。


「エリシア、まさか、行くのか?」

「まさかって、何言ってるのよラクス。見つけたんだから当然でしょ?」

「どんな奴の城かも分からないのにか?」

「大丈夫よ。わたしとあんたがいれば」


 愛嬌たっぷりにウィンクをして見せてから、エリシアはそっとラクスの頬に唇を寄せ、ちゅ、と音を立ててキスをした。


「頼りにしてるわ。わたしのこと、護ってね」

「そりゃ、もちろん。俺の命に代えても、お前は護るよ」


 お返しのように、今度はラクスからエリシアの頬にキスをして。


「行くわよ!」


 ラクスのキスを受け入れてから、エリシアは飛竜の背から飛び降りた。ラクスもその後に続く。

 みるみる近付いてくる城の天井へ向けて、エリシアは手を翳した。そして魔法を放つ。


風の振衝波ウェーブブラスト!」


 風属性・物理衝撃波の波が城の尖塔にぶち当たり、跡形もなく破壊される。


風の包翼エア・エルエール!」


 もうもうと立ち上る爆煙に飛び込む直前に、ラクスが風の結界を張った。自身から数メートルの視界を確保すると同時に、落下の速度を緩める。ふわり、と自分の意思で床に降り立ってから。


風招エア・コール


 エリシアが強風を起こし、煙を一方向へと無理矢理押し流した。

 後に残ったのは、突然の事態に呆然とした様子の兵士たち。しかし、すぐに我に返ると。


「魔王候補の襲撃だ!」

「カイアス様にお伝えしろ!」


 まず、伝令役の一人が走り去る。残った兵士はこの城の標準装備らしい槍を構えて、穂先をラクスたちへと向けて留まったまま。

 その様子を見たラクスの感想は。


(結構しっかりしてる)


 というものだった。


「ザコに用はないの。どうせ相手にならないんだから、ご主人様が来るまで引っこんでなさい!」


 見下したエリシアの言い様に、多くの兵士が槍を握る手に力を込める。


「舐めるな!」

「我等とて、城を護るためにカイアス様に見出されし精鋭よ!」

「カイアス=バファル=ログ・カセーナに仕えし我等が誇り、とくと見よ!」


 兵士の中の誰かが勢い付けるために言った言葉。

 その中の一つに、エリシアは浮かべていた余裕の笑みをすぅっと消した。

 代わりに浮かべたのは、強い――憎悪と言っていいほどの、敵意。


「へえ。そう。ここ、カセーナのガキの城なの」

「貴様! 偉大なる始祖の血を引く、七大貴族であらせられるカセーナ家に何という暴――」

「は? 偉大な始祖の血? 何ソレ」


 一人の兵士の言葉を、エリシアは苛立ちを隠しもせずに荒い口調と――そして行動で遮った。


 ゴッ!


 腕の一振りで形となる前の魔力を衝撃波として放ち、その場の兵士たちを全員壁に叩きつけながら、エリシアは高く、嘲笑を上げた。


「バッカバカし! 血筋って何? 何の役に立つの、そんなもん! 焼いて炒めてブタに食わせろ!」

「その品のない言いよう……貴様はどうやら下民だな、女」


 敵襲の最中だというのに、舞踏会場へ向かうかのごとく優美に歩み寄ってきた男へと、エリシアは鼻で笑って返した。

 そして男が登場した途端、兵士たちがおお、と期待の声を上げる。

 周囲の兵士が見せる尊崇の表情で分かった。彼が城の主であるカイアスだ。


「だったら何?」


 挑むように言ったエリシアを無視して、カイアスの目は後ろのラクスを捉える。


「ダイヤを溶かした月光の銀髪と、暁の瞳。ラクス=シュテーゼ=ミリアン・アスガフトスか。前魔王の末息子を引き連れ、虎の威を借る種堕しゅおち魔王候補……。貴様がエリシア・フェーゼだな」

「負け犬って、皆そう言うのよね。ラクスのせいにしとけば体面保たれるとか、本気で思ってんのかしら」


 腹立たしげにトントン、と靴の爪先でエリシアは床を叩く。


「俺が相手を倒したことはないんだけどな」


 その後ろでラクスも苦笑する。


「まあ、どーっでもいいけど。負け犬の遠吠えなんか。わたしが魔王になれば、全部証明されることだから!」

「驕るな、小娘!」


 叫ぶと同時に、カイアスが腰に下げていた剣を引き抜く。その刀身には薄赤い光が宿って仄かに光を放ち、火の属性の魔力を宿した魔剣だと分かる。

 柄と鍔に施された金の装飾に、エリシアは眉を寄せた。


「下品な剣。好みじゃないわ」

「けど、宿ってる魔力は結構高そうだ」

「その通りだ! この剣は、我がカセーナ家に代々伝わる秘宝・魔剣エグザスティ! その一閃は女神の腕のように美しく、情熱的に敵を屠る!」


 無駄に詩的なカイアスの言葉の全容は、実践によって理解できた。

 床に向かって一振りすると、剣閃によって入った亀裂から灼熱の溶岩が噴き出してくる。


「!」


 さすがに驚き、身を引いたエリシアの前に。


水の柔殻アクア・シェル


 頭から足元までをすっぽりと包む、薄く透明度の高い水の殻をラクスが出現させ、自分とエリシアの身を守る。

 結界に触れた溶岩は、すぐに冷えて黒く固まった。


「へー。宝剣って、そんなもんなんだ」


 余裕を取り戻したエリシアが、水の殻の中でせせら笑う。


「なっ、何を……! お前はアスガフトスの結界の中に隠れているだけではないか!」

「心配しなくても、今すぐ見せてあげるわよ!」


 ヴッ!


 エリシアが突き出した手の平の前に魔法陣が生まれ、体内の魔力が集まり輝き出す。


「溶岩なら、せめてこれぐらい熱くしなさい! 火の炎融塊陣フレア・ヴォルケーノ!」


 エリシアが発動させた魔法は部屋の中央から溶岩を吹き上がらせ、瞬く間に広い床を埋め尽くし、炎上させた。

 指向性はないのか、ラクスや術者エリシア本人の方へも流れ込んでくる。が、エリシアの溶岩も水の結界に触れた途端に、カイアスの魔剣で生み出したものと同様、冷えて黒く固まることになる。


「カイアス様」

「ルビー! 無事か!?」


 逃げまどう兵士たちの間からするりと抜け出して、一人の女性がカイアスの元に歩み寄る。その表情は沈痛だ。


「いいえ。魔王城の破損がわたくしの許容値を超えました。わたくしはもう魔王城を維持できません。引き続き魔王の座を狙うのであれば、どうぞ、新しい城をお求めくださいませ」

「なっ、待……っ」


 伸ばしたカイアスの手は、直前までルビーと呼ばれた女性のいた場所を、虚しく通り過ぎる。

 コツン、と小さな音がして、その足が床に落ちた石を蹴った。紅玉だ。ひび割れた紅玉は、全員の目の前で儚く砕け散る。

 そして同時に起こる、城全体の崩壊を予兆して震える音。


「まずい、エリシア。崩れるぞ。逃げないと」

「そうね」


 うなずいたエリシアが手を伸ばし、するりとラクスの首に手を回す。エリシアの細い腰を抱いてから。


「風の包翼」


 もう一度風の結界を張り、崩れた天井から脱出した。


「あっ。ラクス、待って」

「?」


 空中で待機していた飛竜の元に戻ろうとしたラクスを止めて、エリシアは地上を冷ややかな眼差しで睨みつける。


「下りましょ」


 一体何を見つけたのかと、ラクスもエリシアの目線の先を追って――少し、ためらった。エリシアの望みはすべて叶えてやりたいと思っているが、そこにいたのは面倒な相手だったのだ。

 以前、ラクスとエリシアが破壊した城の持ち主。向こうは相当こちらを恨んでいるだろう。


「わざわざ相手にしなくてもいいんじゃないか?」

「あいつの目的はカセーナの城だったはずよ。それをわたしが先に使えなくしてやったんだから、笑ってやらなくちゃ」


 魅力的な笑顔で、エリシアは陰険なことを言う。

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