第6話 ストラップ

 現在の時刻は18時30分。


 僕は夕ご飯を作っている。


 前述の通り、料理は僕の趣味のひとつであり、朝と晩の食事は基本的に自炊をしていて、調理そのものにはかなりの慣れがあるのだ。


 今僕が作っているのは、肉じゃがである。


 中鍋に牛肉を入れて炒め、表面に焼き色がついたところで、ジャガイモ、人参、玉ねぎを加える。具材全体に軽く火を通したら、出汁とお酒を注いで、落とし蓋をして──あとは、じっくりと煮込みに入る。


 そして。煮上がるまでの間に、僕はだし

巻き卵の調理に取りかかる。


 その合間、ふと手を止めて、リビングの様子を窺った。


 ひーちゃんは、クッションにもたれかかりながらスマートフォンをいじっていた。


 その姿は、寝転がったままスマホを操作しているという、世間がイメージする“星月 光”とはかけ離れたものだった。テレビに映る星月 光の凛とした佇まいを知る人間が今のひーちゃんを目にすれば、あまりのギャップに驚くだろう。


 「……あ」


 と、僕の視線はひーちゃんのスマートフォンへと向いた。

 いや、正確には、それに取り付けられていたストラップに目が留まったのだ。


 なぜ、そのストラップに視線を引かれたのかというと、


 「ひーちゃん、そのストラップ……やっぱり、付けてくれてるんだね」


 「うん。もちろん。だって、これはたけくんがくれた大切なものだから」


 そう。

 ひーちゃんが言うとおり、そのストラップは、僕がひーちゃんに贈ったものなのである。


 もっと詳しく言うと、ひーちゃんが高校を卒業し、海外へ旅立つ直前、餞別のつもりで手渡したプレゼントだった。


 その携帯ストラップのデザインは、一見するとシンプルな金属製のチャーム。

 けれど、よく見るとささやかな仕掛けが施されていて、左右で対になるペアデザインになっている。

 刻まれた模様は一見すると抽象的な図柄だが、二つを並べることで、初めて意味が浮かび上がるようになっているのだ。


 僕も、ひーちゃんとまったく同じストラップを持っていて、今もスマホに付けている。

 そう。ここまで言えば、もう察しがつくだろう。


 ――僕とひーちゃんのストラップは、“ペアルック仕様”になっているのだ。


 さらに、ふたつのストラップをぴたりと並べると、裏面に刻まれた文字が繋がって、ある英文が浮かび上がる。


 ──「Even if we’re apart, we are together.(たとえ離れていても、僕たちは一緒だ)」


 今でも僕は、このストラップをプレゼントに選んでしまったことを、後悔している。


 というのも――。


 あのとき、ひーちゃんが海外に行くと聞いて、僕は何か形に残るものを餞別として渡したいと思った。

 そして、何気なくネット通販で「#お別れ」とハッシュタグ検索をして、出てきた候補の中に、そのストラップがあったのだ。


 当時の僕は、それを見て「オシャレでかっこいい」と素直に思った。


 今思えば、完全に厨二病だったんだろう。


 二つのストラップを組み合わせると、一つのメッセージが現れる――そんなギミックに、僕はすっかり心を掴まれてしまい、商品説明もろくに読まず、そのまま注文をした。


 そして、空港での見送りの日。僕はそのストラップの片方を、ひーちゃんに手渡した。


 ひーちゃんは驚いたように目を見開き、やがて涙を浮かべて笑ってくれた。僕はその

反応に満足し、「いい贈り物ができた」と

安心していた。


 ――けれど、それが間違っていた。


 大学に入ったあと、何気なくその話を友達にしたときのことだ。


 その友達が言ったのだ。


 そういうプレゼントは普通、カップル同士でする物だと。

 ついでに、今時、ダサいとも。


 それを聞いた時、僕は恥ずかしいやらひーちゃんに対して申し訳ないやらの気持ちでいっぱいになった。


 ひーちゃんにとっては迷惑なプレゼントだったかもしれない、そんな思いに駆られて、僕は衝動的に電話をかけた。


 そして言ってしまったのだ。


 「新しい別の何かを買うから、そのストラップ、捨てていいよ」



 ……あの時のひーちゃんの怒り方は、今でも忘れられない。


 電話の向こうで、泣きながら叫ぶひーちゃんの声。

 どうにかして宥めようとしたけれど、全然聞いてくれなくて――

 本気で怒っているのが、声の震えからひしひしと伝わってきた。


 今思えば、完全に僕が悪かった。


 たしかに、一般的に見れば変なプレゼントだったのかもしれない。でも、ひーちゃんはあのストラップを心から喜んでくれていた。

 それを、僕は自分の都合で、否定してしまったのだ。


 結局、僕は何度も何度も謝って、ようやく許してもらった。

 そのとき、ひーちゃんから出された“許すための条件”が、二つ。


 「絶対に捨てないこと」


 そして、


 「お互い、スマホに付け続けること」


 ……その約束は、今もちゃんと守っていおり、そして、今に至っているのだ。


 「あの時は本当にごめんね。まさか、ひーちゃんがそのストラップをそこまで大事に思ってくれてるなんて、知らなくて」


 「それはもう言わない約束。私もあの時は、つい、感情が昂っちゃったから。あとで冷静になって、怒りすぎたって、反省したんだ」


 「いや、でもあれは僕が――」


 「その話はやめよう?もう、終わった事だし、お互い庇い合っても意味ないよ。どっちにも反省点があった。それでいいじゃん」


 ひーちゃんは、少し照れたように笑ってそう言った。


 「……うん。確かに、ひーちゃんの言う通りだ。この話は、ここで終わりにしよう」


 「うん、そうしよ。それより、たけくんの料理は、もうそろそろできそう?」


 「うん、あともう少しってところかな」


 「ホントに手伝わなくて大丈夫?」


 「大丈夫だよ。ひーちゃんはクッションに埋もれて、お腹空かせて待ってて」


 「はーい。お腹空かせて待ってまーす」


 ひーちゃんは、楽しそうにそう返事をして、またスマホの画面に目を戻した。


 そんな様子に笑顔を見せながらも、僕は

ストラップのことを考え続けていた。

 ひーちゃんは、優しさで「お互い様」と言ってくれたけど、やっぱりあの時、悪かったのは僕だ。


 だからこそ、今回は失敗しない。


 僕は今回、ひーちゃんにプレゼントを用意してある。

 あの時の反省を踏まえてのプレゼントだ。


 今度こそ、絶対に間違いのない贈り物をして、ひーちゃんに喜んでもらう。

 そんな決意を胸に、その時を僕は待つのであった。



 ――ちなみに、これは僕自身が知らないことだが、


 ひーちゃん、つまり「星月 光」がスマホに付けているそのストラップは、一時期、世界中で話題になっていた。


 当然と言えば当然だろう。今、世界で最も勢いのある女優が、いつも持ち歩いているストラップなのだ。

 しかも、ペアルック仕様。


 テレビやネットでは「秘密の恋人がいるのでは」と噂され、ストラップの意味を巡って憶測や考察が飛び交った。


 実際、光はインタビューでもその件について質問されたことがある。

 しかし、光は、ただ微笑んだだけで、何も答えはしなかった。


 その沈黙が、さらに、ファンの想像をかき立てた。


 仮にその「相手」が存在するとしたら――世界中の男たちは、その謎の男に嫉妬と怒りを燃やした。


 けれど、その“謎の男”である武――つまり僕は、そんな事など露知らず、幼馴染であるひーちゃんの為に料理をするのであった。

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