第15話 心臓




 テントが立ち並ぶ小さな国の『暁星ぎょうせい』にて。




 何だろうなあ。

 逃げた罰なのかなあ。

 殺したと思っていた愛しき人が生きていた。

 その事実に安堵する暇もなく絶望に打ち負けて。

 否、絶望と闘う間もなく、即刻白い旗を持った両の手を高々と上げては完全降伏、瞬く間に絶望に染まって、はい、逃亡。

 情けなすぎて涙がちょちょぎれる。

 情けない罪ではい逮捕。


(………何を、考えてん、だか。俺は、)


 大きな地震は僅か五秒で治まった。

 被害は出ていないのだろう。

 やあ大きかったなあ、なんて、のんびりとした声があちらこちらで聞こえて来た。

 慌てふためく声は皆無。

 流石は地震が頻発に起こるこの国に住んでいる者たちだ。

 地震なんてそうそう経験した事がない紫宙しそらにとっては、たかが五秒、されど五秒。心臓が分裂しては身体中から飛び出したのかと錯覚するくらい驚愕した出来事であった。


(大丈夫だって。言って。やりたい。のに、)


 地震が起こった瞬間に、肩に甚だしい痛みが生じた。

 肩から地面に激しく倒れ込んだのかと思ったら違っていた。

 狼の姿に戻った琉偉るいが強く紫宙の肩を噛んでいた。否、喰い千切ろうとしていた。骨も好みなのだろうか。噛み砕こうともしているようだった。

 地震により入ってしまったのだろうか。

 生き延びる為に食糧を確保しようスイッチが。

 正直、アルコール依存症の骨肉など美味くもないだろうに。

 いや、アルコール塗れだからこそ、骨肉がいい具合に醸造されていたとか。


(………ああ。だめだ。おちゃらけた感じが抜けねえ。あれか? 死に際の苦痛を和らげようスイッチが入ったのか?)


 琉偉が紫宙の肩を噛んだ時に注がれた猛毒。

 理性が働いておらず本能剥き出しで注がれた猛毒は、紫宙が初めて琉偉を吸血した時の比ではなかった。

 まさに、即死。

 けれどそれは前もって琉偉の猛毒を吸血していなかったらの話。

 即死は免れた。

 ただ、欠落は生じ始めている。

 まずは、味覚。

 次に、視覚。

 今は、触覚。

 辛うじて生きているのは、聴覚と嗅覚。


(大丈夫だって。言ってやりたいのに、)


 目が見えなくとも聴覚が生きているので琉偉がどこに居るのか、紫宙がどんな状態に在るのか分かっている。

 紫宙は足を綺麗に折り畳んだ状態で地面にうつ伏せ状態。

 瑠衣は傍らで座って紫宙の名前を泣き叫んでいる。

 よほど混乱しているのだろう。

 紫宙のタイロッケンコートの背面を両の手で強く掴んでは、上下左右に大きく揺さぶり続けている。


(死ねばいいと思ったけどよ。坊ちゃんの猛毒で死ぬわけにはいかないんだよ。俺は子どもに甘いんだよ。坊ちゃんに殺害。なんて、最悪の経験をさせるわけには、いかないんだよ。大丈夫だ。大丈夫。大丈夫って念じ続けたら大丈夫になる………はず、なんだけど。なあ)


 こちらに向かって一直線に駆け走る羅騎らきの足音が聞こえて安堵したのも束の間。

 覚えた違和感の正体を素早く掴んで、これも運命かと半ば投げやりになりそうになった。

 人間の姿の羅騎の足音ではなかった。

 狼の姿の羅騎の足音だった。

 もしかしたら間違っているのかもしれない。

 羅騎の足音ではなく、どこぞの犬の足音かもしれないが、何故か、間違いではないと確固たる自信があった。


 よもや人狼にとって地震は満月と同じ作用があるのか。

 それとも琉偉と羅騎だけが特別なのか。

 地震が狼の姿に戻させ、理性を取っ払っては本能を剥き出しにさせ、凶暴化させる作用を生じさせてしまったのか。




「うそつき、ですね。君は、」




 刹那、紫宙は心臓が抉り取られたような感覚に陥ったのであった。











(2025.4.30)



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