第10話 不足




 テントが立ち並ぶ小さな国の『暁星ぎょうせい』にて。


 幌馬車へと戻る羅騎らきを見送ったのち、琉偉るいからもらった唐辛子ジュースを飲んだ事でまた口と喉の感覚がなくなっては、言葉を発する事ができなくなった紫宙しそら。自分は今どうやって呼吸を可能にしているのだろうとぼんやりと思いながら、琉偉の言葉を待っていると言われたのである。

 実は兄様とぼくは血の繋がりがないんです。


「兄様はぼくと血の繋がりがあると思っています。思い込んでいます」

「………」

「百年前。兄様を診察したふじさんがぼくが必要だと判断したんです。兄様にとっての安定剤が、兄様が他の事を考える必要がないほどに溺愛して守るべき存在となる弟が必要だと。兄様ができるって。ぼくは嬉しかったです。すごく。猛毒が身体に流れているぼくは両親からも兄弟から仲間からも疎まれてずっと独りぼっちでしたから。ぼくの面倒を見てくれていた藤さんはずっと誰か彼かにかかりきりで、独り占めはできませんでしたし。ぼくはぼくを独り占めしてくれる兄様に、ぼくに独り占めさせてくれる兄様に、すごく。すごく感謝しているんです。兄様に幸せになってほしいんです」

「………」


 紫宙は隣で立つ琉偉の横顔を見下ろしながら、琉偉の言葉に耳を傾け続けた。

 琉偉はまっすぐに幌馬車の方を、羅騎が居る場所に視線を注ぎながら言葉を紡いだ。


「兄様がぼくと紫宙さんを二人きりにしたのは、ぼくが紫宙さんに好意を寄せていると考えたからだと兄様自身は思っていると思いますが、ぼくは違うと考えています」


 琉偉は目を伏せて、口を一旦閉じた。


(本当はこのままずっと二人で、二人きりでも。ぼくはよかった。兄様とぼくと二人きりの世界でも、ぼくは幸せだった。兄様も。小さな小さな箱庭の中で平和に暮らしていける。わけじゃない。の。かも。いつかきっと、綻びが生じる。ぼくは兄様を守れない………ぼくじゃあ、役者不足)


 刹那、常ならば頭の片隅に居る藤が中央に陣取ったかと思えば、色濃く存在を主張し始めて、琉偉は眉尻を下げた。


(ぼくじゃあ、役者不足)


「紫宙さん。百年前に吸血した子どもの事を覚えていますか? あなたが唯一吸血した子どもです」


 琉偉は二人きりになって初めて紫宙を見上げた。

 紫宙は真顔だった。

 驚愕も恐怖も表に出していない。感情を奥へ奥へと押し込めて、冷静になって琉偉の言葉を聞いている。


(………怖い、なあ。怖い。ぼくは、兄様を失うん、だろう、なあ。なんて。身勝手な事を考えている場合じゃない。よね。ぼくは。たくさん。たくさん。たくさん与えてもらった。与えてもらって。ばっかり。返さなくちゃ)


「兄様が。羅騎が。その子どもです。紫宙さんが殺した子どもは、生きていたんです」











(2025.4.27)



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