第9話 混濁





















『大丈夫か? 安心しろ。おまえの弟は無事だ』

『………弟? 弟。私に。弟など、居ない。はず』

『意識が混濁しているだけだ。安心しろ。ゆっくりここで身体を休ませて。体力が回復したら。自由自在に身体を動かせるようになったら。弟と一緒にまた旅に出るといい。ゆっくり。ゆっくりとだ。焦らなくていい。思い出せるのなら思い出せばいいし。思い出せないなら思い出さなくてもいい。弟と一緒に今の自分を形成していけばいい』

『………弟は。どこに?』

『ああ。別の部屋で眠っている。おまえもまだ眠っていろ。まだ睡眠が必要だ』

『………はい』




















 テントが立ち並ぶ小さな国の『暁星ぎょうせい』にて。

 幌馬車に戻り金継の看板を出してそのまま店番をしているので少しの間二人で楽しんできなさい。

 羅騎は世界一辛い唐辛子、キャロライナ・リーパーを丸ごと一個ココア粉で揚げた「チィティ」を食べては無言を貫く紫宙しそらと、紫宙に唐辛子ジュースを買おうとしている琉偉るいにそう言っては、琉偉が手伝いますという前に、お土産を楽しみにしていますと言葉を紡いだ。

 琉偉と二人きりにするなんて何を考えてるんだ。

 そう、目を見開いて訴えて来る紫宙を無視しては、羅騎は腰を下ろして琉偉と目線を合わせた。


「琉偉。紫宙殿を幌馬車まで無事に連れて来てくださいね」

「金継の宣伝をします」

「いいえ。幌馬車に戻ったらたくさん働いてもらいますので、戻って来るまでは仕事の事は忘れて、紫宙殿に色々案内してあげなさい。迷子にならないようにしっかりと手を繋いで目を離さないようにしないといけませんよ。紫宙殿はこの国は初めてなのですから」

「………兄様も一緒だったら、もっと楽しいです」

「ええ。そうですね。それはそうでしょうとも。私も残念無念ですが。金継の腕前が高い私を待っている方が居ますから、その方の気持ちに応えないといけません」

「………兄様の嘘つき。本当は兄様が早く金継したいのでしょう?」

「流石は私の愛しき弟。私の気持ちなどまるっと全部お見通しですね」

「兄様の事は全部分かっています」

「ええ。私も琉偉の事は全部分かっていますよ」

「………兄様の好きな物、いっぱい買ってきます」

「ええ。楽しみにしています」


(………ゲロ甘い)


 羅騎と琉偉の濃厚な二人だけの世界を間近で見ていた紫宙は、口の中の激痛が少しずつ和らいでいっては、消滅していた口と喉の感覚が戻ってきたように感じたのであった。


(しかし。兄ちゃんは何を考えてんだ? 坊ちゃんと二人きりにするなんて。あれか? 結局聞かずじまいだけどよ。兄ちゃんが牙を喰い込ませて俺の身体に注いだよく分からない薬? みたいなもんが、俺の吸血衝動を抑えるって自信があるからか? なんか。酒への欲求もなくなったし。何だ? アルコール依存症は治ったって事でいいのか?)


 ついぞ紫宙には絶対に見せないような慈愛に満ち満ちた微笑を浮かべる羅騎の横顔を見ながら、肩を竦める紫宙であった。











(2025.4.23)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る