第3話 約束




 地に垂直に立てた十字架に縄で縛られた身体に力が入らないながらも眠りに就けた紫宙しそらは、けれどおよそ二時間後にやおら目を開けた。

 身体が燃えるように熱かった。十字架に接している背面が特に。


(なん、だあ? 禁断症状、か? けど、酒が欲しいとは。思わない。あいつら。この十字架に遅効性の特殊な聖水でもかけていたのか? あの兄ちゃん。俺が弟の血を吸った事にえらい腹を立ててたしな。一生を懸けて罪を償ってもらうって言ってたけどよ。それは弟の手前そう言っただけで。弟の目が届かないところで俺を殺そうとしてんじゃねえだろうなあ………はあ。まあ。いい。かあ。別に。このまま死んだところで。生きていたって酒に溺れるだけだし。悲しんでくれるやつも居ないし。藤は。怒る。だろうな。自力でアルコール依存症を治してこいって言われたしなあ。はあ、)


 未練があるとしたら、医者の藤に対してのみである。

 藤はきっと、自分が戻って来ると信じて疑わないだろう。


(………悪いな。藤。俺はここまで、)


「兄ちゃんに怒られるぞ。坊ちゃん」


 このまま焼死してもいいと目を閉じようとした時だった。

 紫宙の視界に淡い金色がちらついたのだ。

 まさかと思いつつ瞼を半分だけ開けたら、果たしてそこには琉偉るいが立っていたのである。

 時刻は丑三つ時、といったところだろう。

 月も星もない闇夜だったからか。

 琉偉の淡い金色の髪の毛が鮮烈に煌めいて見えた。


「坊ちゃんはねんねしてる時間だろ」

「………吸血鬼の弱点は十字架だって、兄様が言っていました。身体に触れさせていると、力が入らなくなると言っていました」

「そうそう。力が入らない。けどそれだけだ。心配してきてくれたんだろ。ありがとな」


 琉偉が自分を心配しているなど、自惚れでよかった。

 心配なんかしていないとむきになって去ってくれたら猶の事よかったのだが、紫宙の意に反して琉偉はその場に留まるばかりか、頭を深く下げて、ごめんなさいと謝罪の言葉を口にしたのだ。


「兄様。ぼくの事になると、頭に血が上って、周りが見えなくなってしまうのです。ぼくも兄様に反対できない臆病者です。本当にごめんなさい。今、下ろします。下ろしたらどうぞ逃げてください」


 少年の姿から、淡い金色の瞳、目がとても大きく、耳の先端が少し折れ曲がっている半立ちの耳であるコックドイヤー、美しくしなやかな骨の形が際立ち、足と腕がとても長く、手足が大きく、毛はほとんどなく、灰と紫を混ぜた肌色、紫色のマントで全身を覆い隠す人狼へと変化した琉偉に、紫宙は待ったをかけた。


「いいいい。このまま七十二時間、だっけか? 次に兄ちゃんとおまえが迎えに来るまでこのままでいい。俺が猛省すべきなのは事実だしな。勝手に吸血するなんて。牢屋行きも辞さない罪だ。それに俺を逃がしたらそれこそ兄ちゃんの全身の血管が切れちまって、おっそろしい形相になった兄ちゃんは地の果てまで追いかけて来て、俺に死ぬより辛い責苦を与えそうだからよ」

「でも。本当に大丈夫なのですか?」

「大丈夫じゃねえよ。酒がほしくてほしくてもう辛い。あ。持ってこなくていいからな。酒を飲んだら余計に辛くなるからよ」

「………ごめんなさい。ぼくの血に猛毒が流れていなかったら、あなたに血を吸ってもらえたのに」

「いいいい。俺、血が嫌いだし。あの時は禁断症状が出てて。おかしくなってたんだな。うん。おまえが責任を感じる必要はないんだ。これっぽっちもな」

「でも、」

「ん~~~。なら。俺が十字架から解放されたら、おまえの好きな物をご馳走してくれ」

「ぼくの好きな物、ですか?」

「そうそう。俺は雑食だからな。唯一だめなのは血だけ。な。いいだろ?」

「………分かり、ました」

「うし。じゃあもう坊ちゃんは戻って眠れ」

「………はい」


 物言いたげな表情を浮かべながらも小さく頷いた琉偉。人狼の姿から少年の姿へと変化して再度深く頭を下げてのち、しずしずと紫宙に背を向けて元来た道を戻って行ったのであった。


(………兄ちゃんの思惑がどこにあるか分からねえけど。死ぬわけにはいかなく、なった。なあ。俺って。子どもに。甘いから。よ)











(2025.4.10)



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