キング&クイーン
京野 薫
マネジャーと消毒
セットの中を照らす暴力的な光と音。
そして、対照的に光を最小限に落とした反対側に立ち並ぶテレビカメラ。
フロアの中をクッキリと分ける光と暗闇には未だに慣れることができない。
僕はそんな事を思いながら、フロアの袖でセットの席に座っている彼女……
彼女の僅かな変化も見逃さないように。
そして、もし何らかの変化があったら収録後、すぐに対応できるように。
何せ、涼香は我が事務所「クイーンズ・アベニュー」最大の稼ぎ頭だ。
そのため、うちの自社ビルは他社からは嫌みと羨望を込めて「涼香ビル」と呼ばれている。
そんな彼女の体調やメンタルに何事かあれば、それはすなわち我が事務所の破滅に直結する。その時は彼女のマネジャーである僕……
三十歳にして首になるだけでも最悪だが、その後も間違いなくこの業界で仕事はできない。
それどころか、違約金まで発生するかも……
そんな妄想が浮かび、目をギュッと強く閉じるとより集中して彼女を観察した。
冗談じゃない。
そんな事になったら、
そんな涼香は今、収録中のバラエティ番組で司会をしている人気お笑いタレント、
そして、彼女がしゃべり終わると榎本さんが言った。
「じゃあ、今度は涼香ちゃんに主題歌を歌ってもらおうかな! えっと……『海と風の鏡』だったっけ?」
榎本さんの言葉に涼香は、ニッコリと微笑むと首を横に振った。
「ちょっとだけ残念でした。『空と風の鏡』ですよ」
「あ、そうだった! 間違ったな。じゃあ、間違えたと言うことで……ドラマの中で……あれだっけ? 涼香ちゃんのやる役の『ほのかちゃん』主人公の娘役か? その子が主人公にお説教をする時にする例の奴……やってもらおうかな!」
榎本さんが急遽台本に追加した台詞に対し、涼香は同じく台本に沿ってビックリした様な表情を作ると、少しの間戸惑った後に榎本さんの頬を両手で触ると「パパ、そんな悪いお口は……こうするよ」と言って、彼の両頬をさすった。
「これこれ! これをして欲しかった! ファンの奴ら、ざま見ろ! 炎上しても悔いなし」
そう大げさな身振りで大声を上げた直後、スタジオの観覧席の人たちにADが合図を送ると、笑い声と拍手が響く。
これに後で音響室のスタッフがさらに音を被せて調整する事になる。
涼香も口を押さえて楽しそうに笑う「フリ」をする。
彼女は以前、榎本さんを「あの人、ロリコンだから嫌なんです」と言って嫌悪してたのに、そんな気配は微塵も見せていない。
そして楽しそうに笑った後、駆け寄ったADを視線の端で確認するとマイクを受け取った。
その後照明が切り替わり音楽が流れると、彼女は朗々とした声で歌い出す。
その美声と表現力にスタジオ内は静まりかえる。
流石だ……
前々からボイストレーニングを受けているとはいえ、あの美声と表現力は天性だろう。
そして、歌い終わると今度はADが指示する前に大きな拍手が響く。
6歳での子役デビュー以降、天性の演技力と見る物を惹き付ける美貌。
そして愛くるしい笑顔によって出演するドラマや映画で数字を上げ続け、13歳になった今では「ニッポンの妹」などと言う大仰な二つ名まで持つほどの知らぬ物は居ない女優。
瀬名涼香……本名、鈴木涼香はそう言う子だった。
●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇
「お疲れ様です、瀬名さん」
収録が終わって袖に引き揚げた涼香に、僕は彼女の好きな手作りの「生姜入りはちみつレモン」を差し出す。
僕が作っている物で、すぐに飲めるくらいの適度な暖かさと甘さにしてあるが、彼女はこれをとても気に入っている。
結構作るのが手間ではあるのだが、僕が他のタレントについてて不在の折、他の社員が作った時にあからさまに不機嫌になって飲むのを拒否したのでそれ以降、必ず僕が作る様になった。
何せ彼女のモチベーションが消えたら大事では済まされない。
僕ら事務所社員の年収など、涼香の叩き出す稼ぎの一月分にも満たないのだから。
「ありがとうございます」
涼香はニッコリと笑ってテルモスを受け取ると、美味しそうに飲んだ。
その横顔は歌い終わった直後な事もあり、メイク越しにも火照っていることが分かる。
だが、それも彼女の可愛らしさを損なうどころか、ますます引き立てている。
後数年したら、とてつもない美人になるだろうな……
今も充分可愛いけど。
そんな事を考えながら涼香の横顔を見ていると、彼女が僕を横目で見てドリンクの入ったカップを差し出す。
「どうです?」
「いや、大丈夫です。有り難うございます」
「でも、喉……乾いてるんじゃないですか?」
「そうですけど、瀬名さんの飲んでるのをもらうわけには行きません。誰かに見られたら……」
そう言うと、涼香はニッと微笑んだ。
「じゃあ……誰も見てないところならいいんですか?」
僕はギョッとしてながら慌てて言う。
「いや……そういう問題じゃ……」
そんな僕を見て、涼香は口を押さえて笑い出した。
「冗談ですよ。塚本さん、ほんと……可愛いですね」
可愛い……
三十過ぎの男に言う事じゃないだろう……まったく。
僕は内心ため息をつきながらも、ニコニコとした笑顔を作った。
「有り難うございます。瀬名さんにそう言って頂いて、かなりテンション上がりました」
「それはどうも」
そう言って歩き出したとき、僕らの前に榎本さんが歩いてきて涼香に笑顔で手を振った。
「あ、榎本さん。お疲れ様でした」
涼香はパッと花が咲くような笑顔で頭を下げる。
「お疲れ涼香ちゃん。さっきの歌、マジで凄かったね。ホントにエグかったよ」
「ホントですか! 嬉しい……榎本さんに気に入って頂けるかな、ってすっごくドキドキしてたんです」
「いやいやいや~ほんと、涼香ちゃんこれ……上手だね」
榎本さんは口の前で手を広げる仕草をしながらそう言った。
だが、言葉とは裏腹に顔はすっかりニヤけている。
その時、榎本さんの隣にマネジャーの女性が近づいてソッと声をかける。
「あの、榎本さん……そろそろ中央テレビの方に……移動が」
「ああ、分かってる分かってる。もう五分くらいいいだろ? ってか、台本は頭に入ってるんだから、スタジオ入りくらいちょっと遅らせてよ」
マネジャーの女性は一瞬表情をこわばらせたが、すぐに笑顔になって「分かりました。では向こうに連絡しておきます」と言って頭を下げた。
榎本さんは彼女の方を見もせずにヒラヒラと手を振ると、涼香をじっと見て言った。
「実は俺も今度、もしかしたら歌うかも知れないんだよ。番組の企画で他のお笑いタレントと一緒に」
涼香は驚いた表情で両手を口に当てた。
「えっ、嘘でしょ! 凄い……榎本さん、すっごく渋くてカッコいい声だから、絶対人気出ますよ。うわあ……お相手の方、羨ましい」
「出た出た、褒め殺し。でさ、良かったら今度俺にも歌、教えてよ。何だったらディレクターに言っとくからさ。俺に歌を教える企画とかどう? 番組に出してあげるよ」
「……嬉しい。有り難うございます……」
涼香はそう言って目を潤ませると、深々と頭を下げた。
僕も隣で「有り難うございます!」と頭を下げる。
目の端で涼香の頭を下げる角度を見ながら、彼女よりも深く頭を下げ、彼女よりも長い時間頭を下げておく。
「いや、そう言ってもらうと俺も気分上がるな。オッケー、俺に任せてよ。涼香ちゃん、もっと上に持っててあげるからさ。中央テレビの専務、ディレクターの頃から俺の相棒みたいなもんだから」
榎本さんはそう言うと、涼香の頭をポンポンと優しく叩いてマネジャーと歩いて行った。
それを見ながら、その姿が見えなくなると涼香は小さくため息をつき、僕に言った。
「行きましょうか。何かどっと疲れちゃいました」
「はい」
そう言った後、僕のスマホが鳴ったので確認すると、美雪から今夜の事でのラインだった。
「楽しみにしてるね♪」と言う言葉とスタンプ。
僕もついニヤけてしまう。
「面白そうな記事でもありました?」
涼香の声にハッと我に返ると、慌ててスマホをポケットにしまった。
「すいません。……仕事のメールをチェックしてて」
「……よっぽどいいお仕事中取ってくれたんですか? 凄くいい笑顔されてたから、今夜会うって言ってたお友達の事かと思いました」
「いや、あの……仕事のやり取りですよ。そっちじゃないです」
「そうなんだ、分かりました。ごめんなさい、変なこと言って」
それからスタジオを出た後、僕の運転する社用車のクラウンの助手席に座ると、涼香はスマホをボンヤリと見ていた。
そして僕の方をチラッと見ると言った。
「さっきの上書きしてくれません?」
「え?」
キョトンとしながら言う僕にニヤッと笑いながら涼香は続けた。
「頭、ポンポンしてください。榎本さん触られたままだと、なんかぞわぞわっとしちゃってて……」
僕は思わず周囲を見回す。
ガラスはスモークを貼っているが、フロントガラスはさすがにそうではない。
誰かに見られたら……
「大丈夫ですよ。今は居ないから」
「いや……でも……」
「いいですよね?」
ニッコリと微笑みながら僕の目をじっと見るその目は、拒否を許さない物だった。
僕は全身から冷や汗が吹き出すのを感じながら、そっと涼香の頭をポンポンした。
そして手を離すと、涼香はウンウンと頷いてシートに身体をもたれかけた。
「うん、消毒完了。じゃあ帰りましょうか。よろしくお願いします」
「……お願いします」
僕は心臓が破裂するかと思うくらいの緊張感の中で、車を走らせた。
涼香はしばらくボンヤリと窓の外を眺めていたが、やがて笑顔で僕を見て言った。
「そうだ! 事務所戻ったらお疲れ様会しません? 塚本さん、今日のお仕事スッゴク頑張って取って下さったじゃないですか。私も頑張りました! あんなロリコンさんのお相手込みで。だからジュースとかお菓子とか持ち込んだり……どうです?」
「え……いや……」
僕は言葉を詰まらせた。
冗談だろ。
スタジオ入りする前に、涼香に夜の予定を聞かれたので「今夜は友達と約束がある」って言ったはず……
実際は友達ではなく、同じ事務所で他のタレントのマネジャーをしている「
何より、涼香自身がついさっき「今夜会うって言ってたお友達」って言ってたのに……どうなってる?
お互い忙しくて、やっと合った貴重な時間。
楽しみにしていたので、流石に即答出来なかった。
僕の表情の変化に気付いたのか、涼香はニッコリと微笑んで言った。
「何か予定ありました? だったら大丈夫ですよ、無理しなくても。ご自分の時間も大事にして下さい」
彼女は分厚い台本も二度読み返すだけで頭に叩き込めるくらい記憶力は飛び抜けている。
僕の言った予定を忘れるはずがない。
わざと……なのか?
「もしかして彼女さんですか?」
「え? いや……」
涼香は笑顔のままポツリと言った。
「予定があるならあらかじめ教えて下さいね。私のメンタルケアもお仕事に入ってますよね? もちろん、そこは充分ご理解なさってるはずですが。後……お疲れ様会は社長とします……もう結構ですよ」
僕は冷汗が出ていた。
いや、だから予定あるって言ってただろ。
君も「そうなんだ。分かりました」って言ってたじゃないか……何で急に……
僕は内心溜息をついた。
ゴメン、美雪。
きっと詰め合わせするから……
「あの……友達と会う予定は来週でした。なので今から時間、取れます。ぜひやりましょう」
「……いいんですか? 無理してほしくないんですが……」
いや、そんな圧かけといて何を……
「本当に大丈夫です。僕も瀬名さんとゆっくり話したいですし」
「……了解です。じゃあコンビニで何か買って行きましょうか」
「あ……でもあまり甘い物ばかりは」
「分かってます、大丈夫ですよ。塚本さんがそう言ってくれるなら従います。ふふっ、楽しみだな……色々教えて下さいね。塚本さんの事」
僕は曖昧な笑顔で頷いた。
瀬名涼香。
彼女が僕の担当するタレント。
そして、やがて僕の生活……そして人生を大きく変えることとなる少女だった。
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