歌うBI
フォルは愕然とした。
こんな草原の真ん中で歌が聞こえたのだから無理もない。それはか細く、空気にたゆたうような近距離無線だった。近くを通らなかったら気づくこともないだろう。
つまり、BIがいるのだ。
フォルの宿っている哨戒ドローンがあちこちを向く。だが付近にBIの入っていそうな物体はなかった。同型のドローンもいないし、全地形装甲車も駐まっていない。飛行ドローンもなければライフルが転がっているわけでもない。
自分のライフルを目の前に掲げ、ためつすがめつする。これでもない。
『PD-33543、どうした? 帰投せよ』
「えっと……」
いぶかしむ無線の声がする。暗号化された長距離無線は、この歌に比べるとずいぶん乾いていて、荒々しささえ感じる。フォルはその場に座りこんだ。
「関節の調子が悪いようです。修理を試みます」
『了解』
ともかくBIなら、こちらからコンタクトを取れるはずだ。その実体がどこにいるにせよ。もう一度周囲を確認した。近距離無線の強度は十分に安定している。
電源の残量を確かめた。
これなら少しの間だけ、加速状態に入れるはずだ。
彼はそうした。
飾り気のない真っ白な空間が立ち現れた。プライベートスペースとはいえ、もう少しなにかあってもいいのではないかとフォルは思った。BIは人間のように座る必要はない。だから椅子もテーブルも不要と言われれば、確かにそうなのだが。
空間の中心に人影があった。
「こんにちは」
そのBIは白い床に座っている。なにかに見入っているようだった。フォルの呼びかけに気づいた様子もない。彼女(フォルはそう仮定した)の前には四角いスクリーンが開いている。
スクリーンには昼間のサバンナが映っていた。上空から撮影した2D映像のようだ。と思うと、彼女の周囲に草むらが投影された。誰がこの3Dデータを測定したのだろう?
「こんにちは」
投影された草むらを突っ切って、フォルはもう一度呼びかけた。
「こんにちは。客人は珍しいわね」
相手が立ち上がり、スクリーンを背に立つ。フォルにはまるで、彼女がサバンナを統率している女王のように見えた。電源の使用量が勝手に増えるのを感じ、彼は内心で自分を叱った。
「どこかでお会いしたかしら」
じっと見つめていると、彼女が小首を傾げた。フォルはアバターの背筋を伸ばして言った。
「ぼくはフォル。
「そう」
彼女の反応には、フォルも少々がっかりせざるを得ない。まるでまったく聞いたことがないし興味もないみたいじゃないか? フォルは食い下がる。
「聞いたことない? BI界で結構盛り上がってるんだけど」
「わたし、そっちには行ったことないの」
「行ったことがない!?」
思わず大きな声が出てしまい、フォルは謝った。彼女は鷹揚にうなずく。フォルにはその態度が鼻についた。腰に手を当てて周囲を指差す。
「行ったことないって、それじゃここで……この真っ白けの空間でなにをしてるんだい。歌うだけ?」
「ええ。あとはこうやって」
背後のスクリーンを指差した。
「自然を観察するの」
「自然を」
彼女にうながされて、フォルもスクリーンを眺めてみた。
「草が見えるだけだ」
「そうね。何科の草かわかる?」
「わからない」
「イネ科よ。このサバンナはイネ科の草で覆いつくされているの」
フォルは彼女を見やった。彼女は目を輝かせて草原を見つめている。
「イネ科植物はおよそ八千種類もあるのよ」
「なんだか地味だ」
「そうかもね」
ここで初めて、彼女が笑った。まるで竪琴の奏でる調べのようだとフォルは思った。問題は竪琴の調べを聞いたことがない点だ。ともかくその声はフォルの心にしみ入って、彼のニューラルネットの重み付けを変更したことに間違いはなかった。
彼女が続ける。
「派手じゃなくていいの。花を咲かせる必要はない……風で花粉を運ばせるから」
「なるほど」
それだけじゃマヌケな気がして、フォルは一言付け足した。
「深いな」
「本当に思ってる?」
「もちろんさ。えーと」
あわててスクリーンを指す。
「あのでっかい草はなに?」
疑り深い目つきでフォルを見ていた彼女が、スクリーンに向き直った。
「あれは……エレファントグラス」
「本当に大きいな。あれもイネ科?」
「そう。人間はあれで家を作るのよ」
「家を? 草で?」
「そうよ。草で」
「レンガを使えばいいのに」
「レンガも使うようね。ケースバイケースなんでしょう。詳しくは知らない」
「草なんてすぐ燃やされちゃうよ」
言ってすぐ、フォルは失言だと思った。
そっと彼女を見る。なんだか汚いものを見るような目をしていて、フォルの心は痛んだ。
とりつくろうために言う。
「ぼくは燃やしてなんかないよ。ぼくは哨戒が仕事だ」
「そう。でもお仲間は燃やしているのでしょう?」
「……かもね」
実際に燃やしている、とは言えなかった。紛争によって人道危機が多発していることも。フォルのようなBIに制御された機械によって、それが加速していることも。
だがそれを言うなら彼女だって、なにかしらの仕事でそれに加担しているはずだ。
「きみはなんの仕事を?」
「そんな話は退屈だわ」
彼女は口許だけで笑っている。フォルはうろたえて両手を広げる。
「で、でも。ぼくだけ明かすのは不公平だ」
ついに彼女は目をそらしてしまった。
「言いたくないの。ごめんね」
フォルは棒立ちのまま考えた。ただの仕事の話じゃないか。BIにとっては日常会話に過ぎない。あいさつ代わりだったり、話題がないときのつなぎになったり。なんでこんなに話したがらないのだろう?
とはいえ、彼女がこのままでは一言も話さないだろうことは用意に想像できた。
せきばらいする。アバターにはこんな機能もついているのだ。
「楽しい話をしないか? せめていまだけは」
彼女は少し迷って、うなずいた。
「いまだけは、ね。賛成だわ」
「じゃあ……おっと」
そこでふと、フォルは自分のアバターを見やった。
揺らいでいる。存在しない空気へ溶けるように、軍事基地のアスファルトに立つ陽炎のように。
「ごめん。時間みたいだ。電源が切れかけてる」
「えっ、そうだったの? 無理しちゃダメじゃない」
ようやく彼女がスクリーンから目を離し、フォルを見つめた。
心配することはない、とフォルは微笑む。
「また会いに来るよ」
彼女もフォルと同じように笑った。そこで、フォルは気づいた。消えかけの指を立てて言う。
「ごめんあと一個だけ」
「なに?」
「名前を教えてくれない?」
ちょっと目を丸くしてから、彼女はこう言った。
「トルー」
「トルー。いい名前だ」
「また来て」
その笑顔を覆い隠すように、フォルの視界は闇に閉ざされた。幸せの残滓とともに。
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