第138話 お点前頂戴致します
気持ちを切り替え、葵はこほんと小さく咳払い。
「それで、どうしたの? みんなして」
「お前こそ、こんなところにどうしたんだよ」
千風にそう言われてようやく、あの視線がなくなっていることに気付く。一体何だったのだろうと顔を顰めていると、機微に敏感な桜李がスマホに文字を打った。
〈あーちゃん
もしかして何かあったの?〉
こればかりは隠せそうにない。ひとまず彼らには伝えておこうと、嫌な感じから逃げてきたことを伝えると、三人は茶室の戸を少しだけ開けて外の様子を窺った。
「くそっ。もう一般客が入ってきたのかよ」
「今は大丈夫なわけ」
視線を窓の外に向けたまま尋ねる日向には、「今はもうないよ」と答えておくけれど。
〈今までにない感じなの?〉
表情を読み取ったのか、素早く文字を打ち込まれる。
葵は頷くだけで精一杯だった。思い出しただけで、鳥肌が止まらない。
「ちっと茶点ててやるから、それでも飲んでけ」
すっくと立ち上がるや否や、千風はテキパキと準備をし始めます。理解が追いつかず首を傾げていると、〈ちーちゃんの点てたお抹茶 すごく美味しいんだよ〉と桜李が。「ついでに茶菓子持ってくるから寛いどけば」と日向が、一緒に茶室から出て行った。きっと気を遣ってくれたのだろう。
千風と二人きりになった葵は、取り敢えず床の間から離れた場所へと座った。そして、座ってすぐに気づく。時々彼の表情が大人びるのは、茶道のせいなのだと。今の千風は、まるで彼のようで彼ではなかった。
その違和感を覚えていると葵の心情を知ってか知らずか、彼は大人びた表情のまま流れるような動作で茶を点てていく。
茶室には、彼が茶を点てる音しかしない。
でもそれが想像以上に心地よく、葵の心は徐々に静まっていく。
「どうぞ。召し上がってください」
葵は両手をついて会釈をし「お点前頂戴致します」と、培った茶道の作法を間違わず流れるようにお茶を戴く。喉元を通り過ぎる苦みや抹茶の香りが絶妙で、上手く言葉にできない。
別に疑っていたわけではない。彼の動作からして体に染みついているのもわかっていたから。
「お服加減は如何で御座いますか?」
「大変結構で、御座います」
嬉しそうに微笑む彼には、何故か『完敗』という言葉が一番しっくりきた。
「この間、男たちに襲われた時の話なんだけどさ」
葵が茶碗を置くと、そこでいつもの雰囲気へと戻る。口調はいつもの彼だが、動作は先程と変わらず、一体何を聞かれるんだろうと身構える。
「オレが暴走したの、覚えてるか」
そういえば、あの時の彼は狂ったように男たちに殴りかかっていた。葵が頷くと、彼は自分を嘲るように笑った。
「今は大分落ち着いてんだけど、昔はもっと暴れててさ。お前も見たことあるだろ。オレのことビビってる奴がいたの。暴れてたせいで変に噂が広がったみたいでさ。……ま、それは全然いいんだけど」
そう前置きした彼は、足下の畳を見つめながら「そんなオレを鎮めてくれたのが、アキと茶道なんだ」と、静かに目を閉じた。伝えたかったのはそれだけで、これ以上のことに関して全て話すつもりはないのだろう。
「もう足崩しとけよ。ヒナタたちが菓子持ってきてくれたから、それでも食べとけ」
するとすぐに戸が開き、桜李がトテトテと菓子を持ってきてくれる。今すぐ抱き締めたい衝動に駆られたが、背後の悪魔さんに睨まれたので、頑張って抑えておいた。
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