幕間 そのころソドゴラは (別視点)
「なんだよいったい、おまえたちはっ?」
ソドゴラ王城、玉座の間にて。
入り口を蹴り破って
当然のことだろう、民草の目は血走っており、呼吸は獣の如く荒く、殺気立っていたのだから。
仮初めの為政者であるアトロシアは、それを玉座の横に立って
民衆の一人が叫んだ。
「食い物を寄越せ! 金も、酒もだ!」
「はぁ? どうしてぼくが
横柄に、小馬鹿にしながら反論したゾッドの顔面に。
掌ほどの石がめりこんだ。
「お、ま……洒落に、ならないだろ、これは……こ――ころしてやる……ころしてやるからな、おまえら……」
「うるさい! 元はといえばおまえの所為だろ!」
痛みに耐えかね、床に
民衆達の怒りの声が、降り注ぐ。
「アルカディア王をころしたのはおまえだ!」
「王様がいれば餓えることなんて無かった!」
「寒いのよ、子どもが凍えて死にそうなの!」
「もう奪うしかねぇだろ、こんなものはよ!」
困惑した眼差しで、ゾッドは一同を見渡し。
その表情が、すぐさま恐怖に染まる。
民が、手に手に凶器を取りだしたからだ。
包丁、
一つ一つは日常の道具でも、よりあわさればひとの命を奪う暴力と化す。
「ひっ」
悲鳴を上げて、ゾッドが逃げ出す。
民衆が追い立て、追い回す。
逃げて、追われ。
逃げて、追われ。
偽りの王が行き着いた先は、城のバルコニーだった。
そこから夜が迫る城下を見下ろし、彼は唖然となる。
「なんだよ、これ……」
「どうぞ、御覧下さい」
いつの間にかゾッドの横に立っていたアトロシアが、冷たく。
酷薄な言葉を紡ぐ。
「これが、ソドゴラです」
あちこちで火の手が上がっていた。
観光業で名を
大路では女子ども、老人連中が泣き晴らしており、これを男どもが殴り、蹴り、僅かな
家々に押し入って家財を強奪するもの。
老人が身につけた毛皮を引き剥がし、自分だけが寒さを
おかしくなってしまったように、ずっとケタケタ笑っている女と、その足下で動かない幼子。
地獄があった。
この世の醜悪を煮詰めたような光景が、そこに。
「ぼ、ぼくは知らないぞ、こんなの……ソドゴラは、豊かな国で……ぼくはその豊かさを奪いたくて」
「ええ、ですから奪われたのです。民を守るものも、育むものも、導くものもいない無政府状態。それがおまえたちが
「ぼくが、この光景を生み出しっていうのかっ!」
激高し、ゾッドは襲いかかる。
アトロシアを蹴り飛ばし、その懐に入っていた、亡き王の遺物。
万物を切り裂く短剣を抜きとって、目の前の女を殺そうとして。
「な――なんだよ、これぇー!?」
その場に、崩れ落ちる。
彼の右手が、緑色の炎で燃えていた。
否、彼だけではない。
ソドゴラ全土が、燃えている。
この地に住まう人々から、禍々しい緑色の
「〝呪詛〟と、言います」
ゆっくりと起き上がりながら。
アトロシアは冷酷に告げる。
「人間の情動を喰らい、その願いを叶える術。ある老婆から教わって、このアトロシアが、ソドゴラ全土へ種をまきました」
「なにを言って――あぎゃ!」
革命家が呻く。
彼の手は、まるで老人のもののようになっていた。
痩せ細り、骨に皮が張り付いているような有様。
まるで、肉がすべて燃えてしまったような。
「ゾッド、おまえはとくに呪詛と相性がよかったようですね。多くの願いを叶えました。王権を奪い、酒池肉林の日々を過ごし、民を弾圧し、他国への侵攻の準備を始め……けれど、もう燃えかすのようですね……?」
氷点下の眼差しでアトロシアが見下す先で。
ゾッドの身体が、急速に
「あ、ああああ、ああ」
燃料にされているのだ。
先送りされていた願いを叶える対価に。
彼の恵まれた肉体が。
そして、感情や、記憶さえも。
「いやだ、ぼくが、ぼくでなくなる……? なんで、消えていく、全部、酒の味も、肉の暖かさも、暴力の悦びも、あ、ああ、王様の――」
燃え尽きる。
ゾッドという人格を形成していた欲望が。
親より生まれ、今日まで生きてきた人生が。
よいと思ったこと、悪いと思ったこと、心動かされたすべてが、灰になる。
「あああああああああああああああああ……!」
絶叫。
収縮する肉体と自我の崩壊がもたらす、この世における最大限の苦痛が、とうとう彼を彼たらしめていた最後の砦、すなわち自我さえも打ち壊し。
あとに残ったのは。
「――こわい、こわいよぉ……」
大柄な身体は見る影もなく縮み、伸びていた背は曲がり、それは膝を抱き、指をくわえて、床に転がっている革命家の成れ果て。
まるで、瀕死の赤ん坊のようになった、ゾッドだったものが
「くらい、さむい、つらい、くるしい」
「それが、おまえへの罰です。安心しなさい、ソドゴラの他の者たちも皆、そうなりました」
アトロシアは町並みを
苦しみに呻き、しわがれ、萎び果て、のたうち回ることも出来ず、惨めに涙を流すことしか出来ないソドゴラ国民。
例外はない、誰もが変わり果てた姿となって、辛さに喘いでいる。
自ら達が犯した罪の味を、とうとう理解することなく、いま絶望に身を任せるものども。
これによって、呪詛が満ちる。
人々の心を糧に。
苦渋と絶望を啜って、肥え太る。
視線をゾッドへと戻し、アトロシアは言う。
「おまえは機を見て逃げ出すことすらしませんでしたが、それほどに愚かでしたが、もちろん
そうなれば、交通の要所として、他国への牽制として。
このソドゴラを奪い、蹂躙しに来る国家が現れるだろうとアトロシアは呟く。
「おまえたちは、そのとき相応に処分されなさい。いえ、そんな必要もありませんか。なぜなら」
アトロシアは国を見渡す。
あちらこちらから立ちのぼる呪詛の煙と炎は。島の上空にて合流。
やがてそれは、形を為す。
鉄槌のようなもの。
けれど大きさが段違い。
島全体を覆い尽くしてなお余りあるそれは、末端に緑の雷光を帯びていく。
「わたくしも、すでに願いました」
楽園の
アトロシアは
あるひとを想いながら。
願いを叶える魔法がかつて込められていたティアラへと手を当てながら。
「この国を、滅ぼすことを」
巨大質量と化した呪詛が、高々度から落下を始め、楽園を破壊せんとして――
「――ああ、やはりそう言うことだったのだな、アトロシア」
せめぎ合うように、何かと衝突して動きを止める。
どこまでも冷酷だったアトロシアの目が、いっぱいに開かれた。
彼女はその場に、跪く。
「帰ってきてしまったのですね、あなた……」
「当然だとも」
そこに、白き幼女がいた。
夜空のような黒髪と。
満天の星々の如き瞳を持ち。
いま、この島を破壊せんと迫る脅威を、結界にて押し上げ続けているその存在こそ。
楽園王アルカディア・ハピネス・アンリーシュ。
その人に、間違いないのだった。
凱旋した王が、
「王とは、国を、民を守るものだ」
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