第七話 楽園王の治政

 冗談のような光景だったが、プレゼントに埋もれたヴィルヘルム殿は危機的な状況にあった。

 なにせ、贈り物の大多数から、呪詛の光が立ちのぼっていたのだから。

 私は、それらを片っ端から弾き飛ばし、第三王子殿を救出する。


「た――助かった。アンリ嬢、感謝する」

「よいからさがっていたまえ」


 この呪詛は君に対して指向性を持つ。

 先ほどのような状態はもってのほか。

 中身を間違って使い続けでもすれば、お国の大事だ。

 ならば、この場で一つ一つあらため、処分するしかない。


 私は慎重に己の魔力を練り上げ、プレゼントの開封作業にかかった。


「これは……石鹸だな」


 呪詛の込められた石鹸。

 高級な油を用いているらしく、香りがよい。

 普段使いならば、きっと泡立ちもよく、肌をなめらかに仕立てるだろうが……呪詛がすべてを台無しにしている。


 その他にも、焼き菓子、陶芸品、反物たんものに書物、酒、絵画……おおよそ贈答品と呼べるものは軒並みあったが、やはり呪詛にまみれていた。

 問題は、どれも一級品であり、なかには破棄すると文化史に対して大きな瑕疵かしとなりそうなものがあったこと。

 仕方なく、私は対処を棚上げし、おいおい解呪するために預かるという名目で、収納空間にプレゼントのすべてを隔離することにした。


「今度こそ助かった。礼を言わせてくれ、アンリ嬢。だが、実のところ、課題がまだ残っている」

「……あまり気は進まないが、聞かせてもらおう」

「これより複数の貴族令嬢と会食をする予定が入っている。その恐らく全員が同じ状況だろう。同伴どうはんを願えるか?」


 否と言えるわけもなく。

 私は再び、メイドの衣装に身を包むのだった。


§§


 解呪は困難を極めた。

 なにせ直接触れて、指向性を帯びた大量の魔力で呪詛を追い出す以外の方法はないのだ。

 それを一介のメイドがやるとなれば、ほぼ不可能となる。


 第三王子付きのメイドだ。

 身分は保障されており、通常ならば貴族の第三子か第四子といったところ。

 当然、私は違うが、周囲はそう考える。


 だが、身分があるからこそ、第三王子の相手である貴族令嬢に、メイドがふれるという行為は不可能になってしまう。

 あまりに無礼、不敬であるし、お家同士の問題に発展しかねない。


 つい先日までなら、私の背後にはなにもなかったのだから、第三王子にすべての責任を負ってもらえばよかった。

 しかしいまや、私は辺境伯家の養子。

 とてもではないが、あの気のよい老夫妻に迷惑はかけられない。


 よって、ヴィルヘルム殿に接触してきた十数名の令嬢のうち、対処が出来たのは、ほんの三名に留まった。

 それでも彼に呪詛が及ばないよう立ち回ったことは、我ながら称賛しょうさんに値するだろう。


 そうして夜、政務も終えて私室へ戻った伊達眼鏡の君と、私は再び顔を突き合わせる。

 互いの顔には、疲労が色濃くあり、思わず苦笑し合った。


「さて、私は挨拶もそこそこに辺境伯閣下の元から飛び出してきてしまった。あとで詫び状と日程の調整を行うとして、その取り持ちを願いたい」

「極めていまさらでとがめもしないが、あなたは自分を殿下とは呼ばないな。にもかかわらず辺境伯のことは閣下と呼ぶのだ」


 今度はいささか苦みの勝った笑みを浮かべ、ヴィルヘルム殿は話を仕切り直す。


「本日のようなことが連発するのは避けたい。アンリ嬢、明日の舞踏会では、立派に婚約者を演じて欲しい」

「ここまできたのだ、付き合いはする。しかし、ここまできたからこそ、ひとつ確認しておきたいことがある」

「聞いてくれ、仮初めとはいえ、自分たちはパートナーだ」


 ならば、直裁的に訊ねよう。

 第三王子殿。


「君たち一派は、この国を、民を、どうしたいのか?」

「……難問だな」


 笑みを消して。

 代わりに怜悧れいりな表情を覗かせて、第三王子が己の信念を口にする。


「自分には、掲げるべき大義も明確な運営ビジョンもない。だが、いま苦しんでいる民を見捨てることを正しいと、看過する真似も出来ない。ゆえに、対処を行う」


 それがたとえ、場当たり的なものであったとしてもと、ヴィルヘルム殿は言う。

 信念の宿った、眼差しで。

 真っ直ぐに。


「事業として行われる国策、未来への投資計画は、兄上達に任せるさ。自分の仕事は、その治政を歪めないことだ」

「それが君の理想かね」

「ああ。あるいは楽園王の統治を、自分は後追いしているだけかも知れないがな」


 おっと、確かにいま思えば、私の治政は場当たりでしかなかった。

 ヴィルヘルム殿の口ぶりからすれば、さぞかしアルカディア・ハピネス・アンリーシュは悪王だったのだろう。


「……ハピネス王は、民に未来を与えず、今日の享楽きょうらくで目くらましをした愚かな王だったのだろうか。即物的な夢と魔法で、人々を支配する魔王だと」


 思わず、そんな言葉をこぼすと。

 伊達眼鏡の君は一度首をかしげ。

 カチャリと、眼鏡を押し上げる。


「仮説としては興味深い。楽園王が邪悪であったならか。自分ならば、こうするだろうというビジョンはある。まずは、己の私財、能力、すべてをなげうって、民へと与える」


 彼は身振り手振りで示しながら続ける。


「そして、己が民にとってなくてはならない存在、サービス、インフラとなって君臨。そこから出資者をつのる」

「出資者?」


 上手く飲み込めず訊ねれば。


「王を介することで儲けを得る人間たち。民から搾取さくしゅし、彼らに商品を与えるものだな」


 と、注釈を受けることになった。


「この出資者は、王を利用しているようでいて、瞬く間に王へと依存することになるはずだ。なにせ、お願い事をするだけで利益が担保される。このメリットを無視できる商業従事者はいないさ」


 そのフェイズに至ったら、王は別の手段をるだろうと。

 ひどく真剣な顔つきで、ヴィルヘルム殿は言う。


「出資者の事業に口を出す。自らに都合がいいようにコントロールする」

「なるほど」


 利益が出る以上、そしてそこに不具合が無い限り、出資者達は王を利用し続けるしかない。


「そうだともアンリ嬢。民を食い物にしていた出資者は、自分こそが搾取される側になっていると、気が付きもしない。否、気が付いたところで抜け出せない。そうだ、呼吸に必要な空気。楽園王はもはや、そういった概念に成り果てているのだから」


 だが、概念にまで至れば頭打ちだろう。

 それ以上のことなど、いくら王であっても出来るわけがない。

 民も出資者とやらも、いささか不便を強いられるに留まるはずだ。


「あなたはさとい。そして善良だ、アンリ嬢」


 彼が、私の頭に手を乗せる。

 この黒髪を、優しく撫でる。


「しかし」


 また、眼鏡の奥で、第三王子の瞳が、燃えた。

 義憤に。


「けれどもし、楽園王が真に邪悪であったのならば。出資者達がもたらすサービスに、そして民達へのほどこしに、一手間が必要なように手を加えるだろう。そう、王を崇拝しなければ、なにも出来ないという状況を作り上げる」


 ……彼がなにを言わんとしようとしているか理解した。

 それは、まさに邪悪の発想だ。

 彼は先だって、王の技を空気にたとえ。

 空気がなければ呼吸は出来ない。

 呼吸をしなければ、死ぬしかない。

 人々は必死で空気を求めるだろう。


「結果、あらゆるものが、王の奴隷となる……というのかヴィルヘルム殿?」

「そうだ。王はすべてをコントロールする。民がやるべき仕事の内容も、売り出される商品の値段も。そして、困窮こんきゅうしたものにこそ、苦しい仕事、粗悪な品が与え、意図的に格差を作り、己が支配を加速させるだろう……いまの我が国のことのようで胸が痛い限りだが、続ける」


 実際に顔をしかめながら、第三王子は語る。


「出資者達に改善の能力は期待できない。すでにシステムの一部だからだ。この、世界の全てをてのひらに載せて、際限なく搾取を行える機構の構築。楽園王には、それだけのことが可能だったと、自分は考える」


 ならば、やはり私は悪王。

 いや、そんな言葉では生温い魔王で――


「よって、アルカディア王が君主であったことは、証明されるのさ」

「え?」


 どういうことだ、ヴィルヘルム殿?


「なんて顔をしているんだ、アンリ嬢」


 クスリと笑うと、彼は告げた。


「どうもこうも……楽園王は可能でありながら、一度もこの悪行を行わなかったじゃないか」

「――――」

「この世の恵みが、彼を介して再分配されるなんてシステムはどこにもない。手を出しもしなかった。それがすべてだろう。かの賢き王について語るべきことはこれだけだ」


 私は。

 愚かな、この元王は。


「いいかい、幼いあなた。よく覚えておくんだ」


 膝を曲げ、腰を落とし、私に目線を合わせて。

 ゴートリーの第三王子は、理念を語る。


「強い力を持つものが、必ずしもそれを悪い方向に使うわけではないさ。重要なのは心の気高さだ。アンリ嬢、あなたはどうだろう。強き魔法を使う貴女は、その力で、なにを成すんだい?」

「私は……」


 答えが、言葉にならない。

 どうすればいいのか解らず、口をパクパクとしていれば。

 第三王子殿は再び私の頭を撫でて。

 話を、こう締めくくった。


「答えを出すのはまだ先でいいさ。なにせあなたは」


 まだ幼子なのだから、と。


 翌日、舞踏会は開かれた。

 そしてそこで、大事件が起きる――

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