第六話 それなるは呪詛士、世界を欺くもの

 結局だが、私は数日もの間、辺境伯家で面倒を見てもらうこととなった。

 その間、多くの知識を得て、また習いごとをした。

 これについて苦痛はなく、喜びでさえあって。

 明日にもゴートリーの王都へと戻るという頃。

 しかし、私は一つの異変と遭遇する。


 もはや日課となった着付け――という名の着せ替え遊びを終えて、ぐったりとしながら食堂へ向かう。

 すると、一人の老婆とすれ違った。

 印象に残らない顔立ちをした、無味無臭の存在。

 だからこそ、かすかな違和感があって。

 私は足を止め、振り返って、その老婆へと声をかける。


「失礼。以前、どこかでお会いしませんでしたか?」

「……ばあをからかうものではありませんよ。それは年頃の子女にかけるべきお言葉でしょう」

「ミルタ」

「…………」

「ブラム氏の家で、見かけたことがあった。そのとき、おまえはそう呼ばれていたな?」


 気取られぬよう臨戦態勢を取りつつそう問えば、老婆は愛想笑いを浮かべる。


「どうかお気になさらず。わたくしは端役はやく、あなたさまにとって、この世はすべて書き割りでございますので。どうぞ、お忘れくださいませ」

「忘れられるものか。その――濃密な〝呪詛〟のかおりを!」


 問いただした刹那、老婆の全身が燃え上がった。

 否、それは目の錯覚だ。

 噴き出した濃緑色の呪詛が、彼女の姿を偽る・・


 現れたのは、燃えるような緑の瞳を持つ、中性的な容姿の何者か。

 その姿さえも、薄暗いローブが空間から染み出るようにして現れ、覆い隠してしまう。

 反射的に、魔法を行使しようとして。

 〝それ〟が、わらった。


「よいのですかー? わたくしなどにかかずらって?」

「呪詛士の言葉は聞かないことにしている。おまえたちのすべてがペテンで、偽りで、虚言だ」

「まことあなたさまは賢い。賢明であらされるからこそ、最善を選択するよりほかないのですわね」


 聞く耳は持たない。

 この場で確実に身柄を拘束、無力化する。

 でなければ、辺境伯夫妻にも危難が及びかねない。


「ああ、それは無用なご心配。わたくし、この場におりませんので」

「……虚蝉エコーか」

「呪詛士が現場に現れるなど、とてもとても」


 これ自体は嘘ではないはずだ。

 彼ら彼女らは自らの肉体を強化する術を持たない。

 だが、ゆえにこそ嘘、ということもあって。


「おまどいですか? でしたら判断材料をお渡ししましょう。わたくし、辺境伯領に長く滞在する予定はなく、特定のどなたかを害するつもりもありません」

「…………」

「もうひとつ。あなたさまがおられないことで、ヴィルヘルム・ゴートリーさまは、いま無防備で――」


 最後まで語らせるほど私は甘くなかった。

 最上級の拘束魔法にて、〝それ〟の無力化を図る。

 だが、呪詛士は避けもせず、ただその場から煙のように掻き消えた。

 本当に、ここには実体がなかったらしい。

 私は即座にきびすを返し、辺境伯夫妻の元へ走る。

 顔を合わせるなり、手身近に事情を話せば、


さんじたまえ、アンリくん」

「ええ、行ってきなさいな、わたしたちの愛しい子」


 夫妻は、ただ送り出してくれた。

 呪詛士については知らない様子だったが、それでも万全の対策があるのだろう。


「ありがとう、おふたがた。私は、心より感謝を表明する」

「いいえ、嬉しかったのはわたしたちの方」

「退屈しない数日だったよ、アンリくん」


 彼らの言葉に胸が熱くなるが……いまは、ヴィルヘルム殿が心配だ。


 念のため、害意を弾く魔法の障壁を領地全体へ展開。

 私は、魔法を多重詠唱し、魔力の残りなど勘案せず、最高速で王都へと駆け戻り。

 そして、目撃したのだった。


「た、助けてくれ、アンリ嬢……!」


 大量の贈り物に埋もれた、伊達眼鏡の君。

 その……情けのない姿を。

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