第五話 辺境伯領での日々
「まあ! なんて愛くるしいのかしら、神さまの
年甲斐もない喜びようで、頬を紅潮させ飛び跳ねてみせる辺境伯夫人。
彼女の目前で、ドレスを取っかえ引っかえ着せ替えられている私。
なぜこうなってしまったのかと、思わず頭は抱える。
理由は明瞭だ。
近々王城で、舞踏会が予定されていたのだ。
そこには第三王子が出席し。
当然、婚約者役を仰せつかった私も出ることになる、なってしまうと予想されていた。
おかげで今日は、辺境伯夫人の手で、私に見合うドレスの試着会が開催されているわけだ。
……無論、体格差に無理があるだろうという私の懸念は、既定路線で動いている第三王子一派の前では無意味だった。
まあ、これは魔法でどうとでもなるわけだが。
とはいえ、だ。
もしも辺境伯領へやってこなかったのなら、このような機会はなかっただろう。
そういった意味で、誠に
「若いって素敵ね、どんな服でも似合っちゃう。モスリンたっぷりでもあざとくなく、刺繍やリボンを自然に着こなせて、鮮烈な赤色でも調和を乱さない」
「ありがたいのだが、辺境伯夫人」
「まあ、わたしはあなたの
「……
「まー! 愛らしい……!!!」
ギュッと抱きしめられ、頭をなで回される私。
気恥ずかしさと、なんとも言えない胸中のぬくもりを惜しみつつも、一端彼女を引き剥がし、告げる。
「舞踏会で、あまり目立つのはどうかと」
心からの言葉だ。
私は、目立つこと自体は嫌いではないが、着飾るのは苦手だ。
行動をした結果注目されるのは致し方がない。
しかし華美な格好をしてまで、人の目を集めようなど、いささか傲慢さを感じて仕方がない。
これで質素堅実をモットーとしてきた王なのである。
しかし、養母上はゆるゆると首を横に振られた。
「いいえ、今回の舞踏会は、あなたにとってデビューの日です。そこで印象づけ、他の相手を打ち払うには、きちんとした格好が必要です。いいですか、騎士にとっての剣、魔法使いにとっての魔法は、女性にとってのドレスとお化粧であると知りなさい」
ずいっと顔を寄せて真剣に訴えられれば、こちらとしてはガクガクと頷くほかない。
すると彼女は「よろしい」と笑顔で首肯し。
「では、次にお化粧の勉強をします。いい? チークひとつ、おしろいの乗せ方一つで、人の顔は化けるものだと、知りなさい」
どうして。
「なぜ、こんなことに……?」
化粧道具を持って迫る養母上を絶望とともに受け容れながら。
私は再び、世の無常を思うしかないのであった。
§§
「我々は辺境伯領をいま、離れることが出来ない。これは、北方に敵を抱いているからだ。解るかね、アンリくん?」
ドレスの試着が終わると、次に待っていたのは辺境伯閣下直々の講義であった。
簡単な地政学から、ゴートリー成立の歴史、辺境伯家の存在意義などを叩き込まれる。
やはり、この場を訪れなければ知ることのなかった情報であり。
ならばという形で、短期促成学習を受講させられているのだった。
「あー、ある程度だが、周辺諸国の事情は、理解しているつもりだ、閣下」
「パパと呼んでくれていいのだよ、アンリくん?」
「……
「素晴らしい。この外敵とは、長年小康状態にある。隣国といってもよいが、どちらかといえば漠然とした民族群と言い換えた方が正しいね。我々はこれを、竜の民と呼んでいる。ゴートリーの建国神話については?」
既に学んでいたため、私は
「遠い昔、この地に無敵のドラゴンがいた。ドラゴンは、木、岩、刃、乾いた物、湿ったもの、魔法のいずれによっても傷つかず、昼も夜も自分を殺すことはできないと宣言し、横暴の限りを尽くした。そのうち、人の中から英雄が現れ、鞘に収められたままの剣にて、乾かずに湿らない泡を纏わせることで、このドラゴンを倒し、その肉を振る舞い、売ることで財と人脈を築いた。これが後に、ゴートリー王家の始祖となるものである」
「重ねて素晴らしい。これはご褒美だ。ナイショだよ?」
そっと手に握らされたのは、飴玉だった。
私も王であったころ、よく民達にお菓子を配って回った。
……思えばそれは、本当の父母が、私にしてくれて嬉しかったことだったのだろう。
ああ、なんということば。
私は、辺境伯夫妻に、亡き両親の姿を見ている。
父と母が存命だったのなら、こうだったのではないかと。
……甘い夢だ。
飴玉と同じぐらいに。
お礼を言って、気持ちを切り替え、講義の続きを促す。
「意欲満点とはとてもよい心構えだ、アンリくん。ゴートリーの国章である、鞘に収められた剣に巻き付くドラゴンは、このようにして生まれた。同時に、外の敵をドラゴンと定める文化も」
さて、ここで問題になってくるのは、彼の言う敵だ。
たしかにゴートリーの北方には幾つかの部族があって、常に小競り合いが起きている。
だが、大国が脅威に感じるほどではない。
であるなら、この地に辺境伯が任じられている理由は、他にあるのではないかと邪推したくなるものだ。
そんな考えが表情に出ていたのだろう。
閣下は、くしゃりと笑った。
「我々はこの地を離れられない。なにせ、ドラゴンを封じているのだから」
「北方の部族を抑えている、というだけでの意味ではないと考えるが、どうだろうか」
「ドラゴンの卵、というものを知っているかな、アンリくん。あれらは、自らが今際の際になると、たとえ身籠もっていなくとも卵を残す。己が生まれ変わるためにだ。そしてその外見は、宝石の鉱石に似るという。本来は、ゴートリーの王城にて管理されている、同種の名前の宝玉がある。しかしいま、それはこの地にあってね。これは極秘裏な計画なのだが」
……待て。
待て待て。
その先は、部外者が聞いてよい話ではないのではないかな?
ああ、違う。
そうか、だから私を養子にしたのか。
ここまで含めて、戦力として巻き込むために。
「宝物殿を、後で見るかね?」
閣下のそんな申し出を。
私は全力で、丁重に、お断りするのだった。
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