第四話 楽園の島国が誰にも襲われなかった理由

 ゴートリー王都から一路、北へ。

 馬車ならば30日ほどかかる距離を、私は魔法によって数時間で飛翔する。

 とはいえ、第三王子殿の私室を出発したのが夕暮れ時。

 いまはすっかり、夜のとばりが降りていた。


 だが、それでも。

 目的地は、ずっと見えている。

 国境線を遮断するようにして築かれた巨大建造物。

 辺境伯領と、その北側に位置する国家を分断するためにつくられた城砦じょうさい都市とし

 通称〝北壁ほくへき〟。

 ここに、私がこれから会うべき人物がいた。


 正規ルートから町に入れば色々と面倒なことは解っていたので、魔法で姿を消す。

 それから探査魔法を発動し、彼ら――辺境伯夫妻を探せば、どうやら城砦の奥にある寝室で、既に横になっているようだった。


 好都合なため、私は隠密状態を解除せず、彼らの寝所へと忍び込む。

 あー、まったく自慢ではないのだが。

 ソドゴラが、どの国へ攻め入るにしても足がかりとして優位である要所でありながら、あらゆる国家から攻め入られなかった理由は、これに尽きる。


 すなわち、害意を向けた要人の寝所に、即日魔法使いが忍び込んでくるというパフォーマンスがあったからだ。

 我ながら、これはなかなかに怖い。

 知らない間に爆弾を枕元に置かれるようなものなのだから。


 ゆえに、正直なところをいえば、この〝訪問〟は穏当なものではない。

 辺境伯というのが、真実信用するに値する人物かどうかを調べるための試みでもあった。

 あったのだが――


「――どなたかな?」


 寝所に踏み入り、ベッドへと近づいた私へかけられたのは、そんな言葉。

 寝入っていたはずの老年男性が、まぶたを開けることもなく、こちらの気配を察してそう告げた。


 はっはっは。

 隠蔽魔法を解いていないのに、だぞ?

 さすが辺境伯、国の防波堤。

 気配に対しての感度が違う。


 私はその場で膝をつき、頭を垂れて、礼を取る。


「お初にお目にかかる。私の名は、アルカ・アンリ。本日は閣下へご挨拶のため馳せ参じた」

「……ほう。色よい返事がもらえなければ、妻もろともこちらを亡き者にしようと考えていたのかな?」


 それではまるで、昔話に名高い楽園王のようだねと。

 辺境伯閣下、ベッドから半身を起こした老境の男性は穏やかに告げた。

 彼の横では、寝ぼけ眼を擦りながら、同じぐらいの年齢の女性が起き上がる。

 どちらも飛び抜けた胆力の持ち主。

 まったく、舌を巻く限りだ。


「そんな意図はまったくない。あくまで挨拶。そして、なぜの言葉を突きつけに」

「なぜ。我々が、君を便宜的に、一時的とはいえ養子に迎え入れるのか、だね?」


 頷けば、辺境伯閣下は、見事な顎の髭をさすりながら、しばし考え。


「殿下をお支えするためだとも。そのこころざしをね」

「第三王子殿は、国が割れることを危惧しておられた。あなたがたもそうだと考えていいのかな?」


 問い掛けに、彼は頷かない。

 ただ曖昧な、笑っているのかそうではないのか判別のつかない、眠たげな顔を見せるだけ。

 代わりに、表情にそぐわない鉄の覚悟が飛んでくる。


「我々が間違えば、我が子が必ずただしに来るとも。そう育ててきた」

「ご子息が?」

「ああ、愛情を込めて育ててあげた一粒種だからね」

「では、なおさら私を養子に取るなど、馬鹿げたことでは?」


 本当に便宜上とはいえ、お家の相続問題にかかわりかねないだろうに。

 私の内心が十全に伝わったのか、あるいは否か。

 辺境伯閣下は、呵々大笑かかたいしょうされた。


「案ずることはないよ。我々は君を信頼している。殿下がお選びになったものに、間違いなどあるものかね」

「しかし」

「ああ、しかし。身辺をどこまで調べ上げても、まったく過去の経歴が出てこない娘など、いなくなっても誰も困らないのだからね」


 眠たげな目が、ゆるりと開かれる。

 細くあいた瞼の間からこちらを覗く瞳には、冷え切った合理ごうりの色。


「我々は信じているよ。だから君も我々を信じてくれたまえ。頼ってくれていい。国のために是非、全霊を尽くすことをおすすめしよう。そういった理解を、相互に得ていると考えているが、いかがだろうね?」


 薄っぺらい言葉だ、この人物が口にしなければ。

 ひどく重苦しい重圧を感じて、思わず生唾を飲む。


 違う、違うな、これは。

 前提を間違えていたようだ。

 彼らはまっさらな理由で、私に協力を仰いでいるのではない。

 まして、こちらの過去を看破したのでも、対処ができると高を括っているわけでもない。

 そんなお人好しの振る舞いは、この人物からはほど遠い。


 例えば、私が先ほど行った示威行為。

 如何なる人物の寝所にも忍び込めるという魔法使いの技を、辺境伯閣下は勘案していない。

 なぜか?

 そんなものが敵になったところで、国家の総力で踏み潰せばいいからだ。

 どれほど強大な魔法使いでも、数の前には勝利し得ない。

 その上で、この前提が間違っているわけだ。


 敵対するとか。

 第三王子殿の願いだからとか。

 なにひとつ、彼らは忖度そんたくするつもりがない。


 まず、第三王子派。

 つまり、ヴィルヘルム殿を担ぎ上げようとしている勢力に、私という婚約者の存在を突きつければどうなるか。

 当然、先ほどの対話にあった通り、素性を洗うだろう。

 しかし、私にそのようなものはない。

 となれば第三王子派はどう動く?

 決まっている、私というイレギュラーの排除だ。

 自分の勢力に第三王子を取り込みたい、利用したいというものにとって、アルカ・アンリは邪魔この上ないのだから。


 結果、なにが起きるかは火を見るよりも明らか。

 厄介な魔法使いは自衛のために戦い、勝手を働いた不埒者ふらちものたちと共倒れになる。あるいは自主的に姿を消す。消したことになる。


 ここまでなら、策としては凡庸ぼんようだろう。

 なにせ、私が野放しである点はなにひとつ考えられていないのだから。

 機動力のある魔法使いを放置すれば、当然しょうの首を取りに行く。


 だが、だがだぞ?

 そうなれば閣下達はなにを得る?

 極めて単純だ。

 政敵に対して、戦端を開く大義名分を手に入れるのだ。


 これは、私がどこにも所属していないという事実と一切関係が無い。

 好きな場所、好きな相手に対して、これはそちらの仕業だと一方的な因縁をつけ、叩く口実が手に入るのである。


 加えて言えば、紐のついている敵ほど便利なものはない。

 これからの私の動向を監視するだけで、芋づる式にすべては白日の下にさらされる。少なくとも彼らはそう考えているはずだ。


 笑えてくるな、なにが第三王子殿を信じるか。

 彼というコマを切り、最大限の成果を得ようとしているだけ――


「……?」


 と、そこまで考えて。

 私の脳裏を、強い違和感がよぎった。

 思考を高速で回す。

 先ほどまでの辺境伯閣下の言動を思い返し、盤面に上がっている情報を総ざらい。


 そうか、違う。

 違うな、本当に間違っていた。


 もしもここまでの一連の出来事を、ヴィルヘルム殿がすべて知悉ちしつしていたのなら?

 彼こそが、主導しているとすれば、どうだ。

 己の命さえ対価に掲げて、国を、民を守ろうとする王族の姿をいま、私は見せつけられているとすれば?

 辺境伯閣下は、これをほのめかしているからこその、誠実な挺身ていしん、信頼を求めているとすれば?

 自らの命を危険にさらして。


 はっはっは。

 怖ろしい国だ、ゴートリー、商業と食の国。

 獅子身中の虫に腹を食い破られてでも、なお敵をたいらげるつもりでいるとはな。


「委細承知した。私の全霊を持って、第三王子殿に協力すると誓おう」

「それは、神にかね?」

「まさか!」


 辺境伯閣下の言葉を私は笑い飛ばす。


「この私の名前に誓ってだとも」

「……では、我々は君を実の娘のように愛するとしよう。好きなようにやりなさい。しかし、一つ懸念がある。君の姓名は南方式だね? 我々の命名規則では、名前が前に来るが」


 ああ、なるほど。

 私の場合は、アンリが名前で、アルカが姓になる。

 彼らの養子になるとして、その家名を一時的に借り受けるに当たっては、ここに不便が出る訳だ。

 悩む辺境伯閣下。


「あら、簡単なことじゃない」


 すると、それでま横で話を聞いているだけだった奥方が。

 パンと手を打ち、ほがらかに仰る。


「そのまま、アンリちゃんで通せばいいのよ」

「つまり、妻よ。それは」

「ええ、我がロイス辺境伯家にちなんで、アンリ・ロイスちゃんってね」


 にっこりと微笑まれて、私は悟った。

 恐らくこの女性が一番手強い。

 なぜなら。


「ねぇ、そういうことだから、よろしくお願いね、アンリ・ロイスちゃん?」


 おまえの身分はいまこの瞬間から、アンリ・ロイスであると、断言されたのだから。

 つまりそれは、辺境伯家が責任を負い。

 なにかあれば責任はこの老夫妻が命であがなうのだからと。

 まあ、脅しつけられたようなものだった。


 いやはやまったく。

 貴族の腹芸とは、愉快極まるな。

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