幕間 そのころソドゴラは (別視点)

「火にべろ、どんどん焼べろ」


 南海の孤島。

 かつて楽園と呼ばれたソドゴラから、王が追放されて数日。

 島の中央広場では、連日連夜に及ぶうたげが続いていた。


 王がいなくなったことを祝う宴席えんせきである。

 目玉は、アンリーシュ王の私物を燃やすことであった。


 広間の中心で、轟々と燃える炎は、いまは亡き王が愛用した品物や開発した魔導具、一度でも触れたことがある品物などを、汚らわしいといって燃やしているのだ。


 主導しているのは、レジスタンスのリーダーでゾッドという優男。

 彼は王城の備蓄、その大部分を吐き出したことで、絶大な信頼を民から得ていた。


「みたか魔王。これがぼくの力だ、おまえとぼくの差だ!」


 浴びるように戦利品の酒を飲み、羨望を一身に集め、陶酔した様子のゾッド。

 彼は、口元をにやつかせながら、部下に持ってこさせた本を開く。


 ただの本ではない。

 力ある魔導書。

 手にしたものによっては、世界を変革しうる賢王の遺産。


 ゾッドは上機嫌な様子でページをめくり。

 すぐさま、顔色を変える。

 他の本を手に取り、読み解こうとこころみて、


「アルカディアぁああああ!」


 怨敵の名前を叫びながら、魔導書を炎の中へと叩きつけた。


「これも、これも、これもだっ」


 次々に開かれては、そのまま焚書ふんしょ処分されていく書物。

 彼は怒りにまかせ、全ての魔導書を火中へと捨ててしまう。

 その様子を、かつての王妃――いまは仮の指導者となったアトロシアは、冷ややかな眼差しで見詰める。


「読めませんか?」

「ああ、そうだね! このぼくがっ、読めない」

「文字も絵解きも教育されてきたはずです」

「けど読めないってこと。きっとあのアルカディアのクソ野郎が、死に際に呪いをかけたってことだろうさ。はん、そんなに自分の財宝を奪われるのが惜しかったのかよ、小心者めっ」


 呪いなどかかっていないこと、冤罪であることは、アトロシアには明瞭だった。

 ただ単純に、ゾッドの読解力が足りないのだ。


 算術に例えればわかりやすい。

 読み解くための公式を知らない人間が、膨大な量の数式を誇る証明問題に挑むようなものなのである。

 だが、ゾッドはそこまで考えが及ばない。


「くそっ。願いを叶えろと愚民どもは騒ぎやがるし、魔導書さえ読めば、ぼくにだって魔法が使えたはずなのに……結局、魔王は魔王ってことかよ。死んでまで人を苦しめるなんてな!」


 その魔王に取り入り、魔法を学ぼうとしたのはゾッドだと、アトロシアは知っている。

 王が親身になって、すべての知識を与えようとしたことも。

 結局、ゾッドは学ぶことに耐えきれず、三日で投げ出してしまったのだが。


「くそ、くそ、熱っ!?」


 怒りにまかせ、魔導書を叩きつけ。

 その拍子に舞い上がった火の粉が、ゾッドの肌を焼く。


「おい、誰か治療しろ! ぼくの一大事だぞっ」


 傲慢にわめけば、部下達がよってくるが、どうやって対処すればいいかわからない。

 火傷を冷やすということすら、彼らは忘れてしまった。

 これまではどんな傷も、どんな怪我も、偉大なる王が即座に癒やしてきたがゆえに。


 けれどその原動力となった力ある魔導書は、いま炎の中にあった。

 島外から押し寄せる病苦びょうくを、侵略者を跳ね返し。

 悪意を持って入国しようとするものを穏便に引き取らせ。

 作物を筆頭とした食べ物を豊かにみのらせ、工芸品を産み出す、そんないくつもの魔法が記載された書物。


 幼い日のアルカディア・ハピネス・アンリーシュが、世界を旅しながら探し、読み解き、修練を積んで、ひとつひとつ身につけていった叡智の結晶は、灰になって失われていく。


「ところでじゃ、リーダー」


 レジスタンスの中でも年寄りであるひとりが、ゾッドへとおっかなびっくりたずねる。


「本当にアンリーシュ王は魔王だったのじゃろうか……?」

「はぁ? いまさら疑うってわけ?」

「そ、そんなつもりはないんじゃが……」

「安心しろよ、あいつは最低最悪の魔王だった。これは事実だぜ」


 ゾッドは自信満々になって答えた。


「なにせ、あいつは自分で問題を起こして、それを自分の魔法で解決して、ぼくたちに恩を売っていたのさ」

「それは……なぜわかるのですじゃ? なにか証拠が?」

「証拠なんてない。けど、すぐに理解できたね」


 彼が意気揚々と拳を振り上げる。


「だってぼくは、偉大なるソドゴラの指導者だから!」

「おー!」

「そうだそうだ!」

「ゾッドさまは、おれたちはすごいんだ……!」


 次々に追従ついしょうし、喝采をあげる住民達。

 これを見て、ゾッドは気分よさげに頷く。

 けれど先ほどの老人が、


「しかし、やはり証拠が」


 そう口にした瞬間、彼の拳が振り抜かれていた。

 老人が悲鳴を上げて倒れる。

 その背中を踏みつけながら、レジスタンスのリーダーは熱弁をふるう。


「おまえ達はさぁ、ぼくの言うことを聞いてればいいわけ。従っていれば、それだけで甘い汁がすすれるんだからさぁ。そう、これからは気に食わないやつは殴りつけて従わせられる。抱きたい女を奪い、説教を垂れるジジイをこうやってたたきのめせるんだ。絶頂するぐらい、気持ちいいだろう……?」


 何度も何度も老人の背中を踏むゾッド。

 周りはこれを助けたりしない。

 我が身が可愛いからだ。


「まっ、死んでも困るし、このくらいにしておいてやるけどさ。二度と意見してくるなよ、じじい? それから、早くぼくを治療しろクソども!」


 怒鳴る彼。

 ようやくやってきた医者が手当てを施すと、礼を言うこともなくゾッドは周囲のものたちを押しのけ、再び大声を上げる。


「この国は、ぼくたちのものだ。ぼくたちはもっと豊かに、贅沢に暮らす。魔王とは違うやり方で、この力で……そうだろう?」


 彼は喧伝けんでんする。

 これこそが一番賢いやり方だと。


 だが、やはり彼は知らないのだ。

 この国で生まれ、この国で育ってきた彼は、邪悪を知らない。

 謀略ぼうりゃくを知らない。

 理不尽を知らない。


 だから自分の悪意こそが、誰よりも強く賢い武器だと考えている。


 たくましい肉体を誇示し、相手を威嚇いかくすれば、どんな言い分だって通せると。

 最悪、殺してしまえば上手くいくと信じ切っている。

 それで国家が運営でき、他国を侵略することだって容易たやすいと。


 おごたかぶり、酒をあおるレジスタンスのリーダー。

 これを冷ややかに、暗い眼差しで見詰めながら、かつての王妃アトロシアは、左手の薬指を撫でた。

 そこにはめられた魔法の指輪に触れながら、思う。


 偉大なる王は去った。

 彼が残した不吉を退しりぞける魔法の障壁も、いずれ効果を失うだろう。

 そのとき、このレジスタンスたちは、一体どうやって世界と向き合うのか。


たのしみね」


 かすかで、ゆがんだ笑みが、彼女の口元へ刻まれる。

 冬がやってくる。

 賢明なる指導者を失った国へ、過酷な冬が――

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