第四話 はらぺこ幼女とマメのスープ

「あなたはこの国の王族。違いますかな?」


 ウインクととともにそう囁けば、彼のまなじりが、眼鏡の奥で鋭く持ち上がる。

 そして、倒れ伏していたときからずっと握っていたものを、こちらの呼吸、隙に合わせて抜き放とうとして。


「おっと、それはやめたほうがいい。まもがたなは人を傷つけないことで護身の魔力を保っているのだから」

「なっ」


 振り抜こうとした短刀のつかをやんわりと押さえつけられ、彼は唖然となった。

 ふむ、見事な仕事がされた短刀だ。

 柄頭には、鞘に収められた剣とドラゴンの紋章が象嵌ぞうがんされている。

 一級の工夫くふの技だろう。


 この紋章は、ある国の王家でしか使用が許されていない。

 経済大国ゴートリー。

 私の国とは、海を挟んで向かいにある異郷。

 つまりは、ここだ。


 在任中はなにかと業突ごうつりなこの国と、折衝を続けるのは大変だったものだが……実際に訪ねてみると、なるほど国力は豊かそうだ。

 もちろん、私の国ほどではないが。


 そして、目前の青年はおそらく王族。

 見覚えまであるとなれば……国王と王妃の極めて近い縁者。

 導き出される結論は、第三までいる王子のどれか。


「兄君は健在かな?」


 あて推量で口にした言葉は、どうやら正鵠せいこくを得ていたらしく、彼は非常に警戒した目つきをこちらに向けてきた。

 おっと、しまった。

 まだ王の姿をしているつもりで話してしまったが、いまの私は幼女。

 さすがに怪しすぎるか。


「……ならば、こちらも黙っていましょう。レディ、あなたが他国の密偵みっていか、或いは貴族令嬢であるということを」


 刺し返すように、金髪の青年が告げる。

 私が、なんだって?


「貴族令嬢? はっはっは」


 なんて面白いことを口にする男なのだ。

 冗談にしては皮肉が効いているし、真実を看破するにはいささか方向音痴。

 だが面白いので、勘違いは指摘しないでおこう。

 なに、嘘は言っていない。


「凄まじい魔法でした。自分では太刀打ち出来ないでしょう」


 立ち上がろうとする彼に手を貸すと、なぜだか称賛を受ける。

 なんのことだ?


「たいしたことなどしていないぞ? 〝赤い靴〟は初歩の魔法だ」


 いまの私は絶不調。

 ろくな魔法を使った覚えはない。

 首をかしげていると、彼は信じられないと目を丸くする。


「相手が拒んでいるのに、身につけている服や装備を別のものにすげ替えるなんて、宮廷魔法使いでも出来ない。まして行動を強制するなど……それを初歩だと? 正気とは思えない」

「あー、たしかに正気かは疑わしい」


 なにせ幼女になりはてているからな。

 脳の作りも変わってしまっている可能性が高い。


「けれど、初歩であることは事実だとも」

「ならば、もっとできると?」

「望むなら、ご覧に入れようか」

「……無償でなら、お願いしたい」


 彼が、神妙に頷いたのを見て。

 私は入り口のドアへと向かって指を弾いた。


「『工夫くふよ仕事だ――修繕細工トンテン・カンテン』」


 すると魔法の青白い光が尾を引いて走り、扉に命中。

 壊れていた欠片が一つに集い、元の形へと復元される。

 店内では同じように、乱闘で壊れた椅子や机も修復されているだろう。


「時間を操った!?」

「そこまで大げさなものではないし、それはやってはいけないことになっている。あくまで修繕しただけだとも」

「ですが、ここまで完全に、傷痕一つなく治せるとは……」


 扉に張り付いて鼻息も荒く観察を始めた彼が。

 なんだか魔法を求めたばかりの頃の自分と重なって、私は自然と笑顔になってしまった。


 そうしていると入り口が開き、王子殿を押しのけて、禿頭の御仁……確かこの店の店主殿が顔を覗かせる。

 彼は扉と私たちを交互に見遣ると、クイリと店内を指差した。


 青年と顔を見合わせ、促されるまま中に入り、カウンター席へと案内される。

 腰掛ければ、目の前に、皿が一枚おかれた。


「おお」


 湯気を立てる、薄く色づいたスープだ。

 具はマメがゴロゴロと入っている。


「店主、戴いても?」


 訊ねれば「もめ事を解決して、修理までしてくれた礼だ」と告げられた。

 ついに念願の食事にありつける。

 なんと素敵で、ありがたいことか。

 私は興奮で震える手でスプーンを持ち上げ、スープを一掬い、口元へ運ぶ。


「……うまい」


 全身に、熱が染み入るようだ。

 喉から食道を通じ、胃の腑まで落ちたスープは穏やかなぬくもりへと変わる。

 あじつけの薄い塩味は、むしろ日頃から食べ物を排していた私にとっては丁度いい刺激で、何十年と眠っていた味蕾みらいが花開くのを感じられた。

 マメの皮は歯を立てればカプツンと破れ、旨味と心地よい渋みを存分に口腔へと溢れさせる。

 それが骨ガラから取られたと思わしき出汁だしと見事に調和し、強い満足感と心地よさを与えてくれる。


 ホッと吐息が滑り出る。


 美味い。

 ほんとうに、とっても。

 数十年ぶりの食事を、無作法にならないように、それでも一生懸命に食べていると、店主が呆れたように微笑んだ。


「子どもが美味そうに飯を食うのは、いつ見ても気持ちがいいもんだ。こっちも料理の甲斐があるぜ。もっとも、たかがマメのスープだがな」

「謙遜かね? 実際大したものだとも。店主、スカウトに興味は?」

「身の丈を知るのが、長生きの秘訣だとわきまえているのが大人さ」

「賢明だ、その選択を尊重する」


 言い終えて、再びスープに向き合っていると。

 突然、隣の王子殿が、懐から革袋を取り出し、テーブルの上に置いた。

 ドサリと音を立てるそれが、店主の前へと押し出される。

 中身はどうやら、硬貨らしい。

 料理の代金かと思っていると、彼は、


「この女性と話がしたいのです。席を外してください。出来れば誰も近づけないで欲しい」


 眼鏡をカチャっと押し上げながら、そんなことをのたまった。

 おっと王子殿、それは露骨に悪手だぞ?

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