魔剣スレイヤー、異世界にて剣術無双する〜魔剣にしか興味ありません〜

龍威ユウ

序章:神の誤算

第0話

 骸島むくろじまは、本土より遠く離れた海に浮かぶ小さな島である。


 ここに訪れる者は皆、等しく罪人たちばかりであった。


 かくいうその者――鷲塚京次郎もその罪人の一人であった。


「……退屈だ」


 本日の天候は相も変わらず雲一つない快晴だった。


 さんさんと輝く太陽は眩しくもとても暖かい。その下では小鳥達が優雅にすいすいと泳いでいる。


 時折、頬をそっと優しく撫でていく微風は大変心地良い。


 遠くよりする波の音が虚しく奏でられるが、それもすっかり聞き飽きてしまった。


 これが京次郎にとっての日常だった。


 退屈だ……。


 京次郎は深い溜息を吐いた。


 彼がここへ送られたのはむろん、それ相応の罪状があるからに他ならなかった。


 人を、斬った。斬った相手がたまたま大名の親族だった。


 普通ならば即刻打ち首に処されてもなんらおかしくなかった。しかし京次郎は島流しの刑に処された。


 さっさと殺せばいいものを……。


 そこまでして俺を殺したくなかったのかね……。


 あるいは、親族がやらかしていた悪行が明るみに出るのを恐れてか……。


 いずれにせよ、今となってはもうどうでもいいことだが……。


 不意に、潮の匂いの中に濃厚な血の香りがした。


 次の瞬間、京次郎はバッとその場から飛び出した。


 骸島に住まう人間はもう、京次郎を覗いて他にいなかった。


 つい最近までは同じく流刑に処された者が送られてきたが、今はそれもぱったりと途絶えてしまっている。


 久しぶりの来客者だ。京次郎は口角を緩めた。


 血の香りを辿って沿岸に着いた京次郎は、そこで目をかっと開いた。


 そこには地獄が広がっていた。白かった砂浜は朱色に染まってしまい、穏やかな空気は凍てつくようにひどく冷たい。いくつもの死体が無造作に転がり、そのどれもが悲惨な形相を浮かべていた。


 正しく、地獄絵図と呼ぶに相応しい光景の中で、その男はいた。


「……貴様が、そうか」


 低くしわがれた声がした。


 なんだ、こいつは……?


 京次郎は身構えた。


 おおよそ七尺余寸約210cmの肉体は鎧のように分厚い筋肉によっておおわれていた。


 丸太のように太い腕に、拳は岩のようにごつごつとして大きい。


 その手中には一振りの剣がしかと握られていた。


 まるで鉄塊のようだ……。


 京次郎は大男が持つその剣をジッと見やった。


 一見すると鉄塊と呼ぶに相応しいが、その造りは殺人剣にしておくにはあまりにも惜しい、とこう思わせるほどに極めて豪華だった。黄金で装飾された刀身には、大量の赤々とした血がべったりと付着している。


 この惨状を作ったのは誰か、それをあえて確認する必要もあるまい。


「……今度の罪人はずいぶんと威勢がいいというか、なんというか」


京次郎は不敵な笑みを小さく浮かべた。


「貴様が鷲塚京次郎だな?」


「えぇ、そうですよ。俺がその鷲塚京次郎です」


「……貴様の命をここで断つ」


 次の瞬間、凄烈な殺気が大男より発せられた。


 常人ならば満足に立っていられないであろう殺気に、京次郎はむしろ逆に嬉々とした。


 こいつがどこの誰か、などという疑問は骸島ここでは路傍の石に等しい……。


 とんでもない怪物がやってきた……!


 嬉々としたままで、京次郎は腰にあったそれを抜いた。


 島流しに処された際、たった一つだけ要望が聞き入れられた。


 そこで京次郎は、己が半身とも言うべき愛刀の所持を所望したのであった。


 半身なのだから、失われてしまったらそれはもう真の鷲塚京次郎ではない。


 今にして思うと、罪人なのに武器の所持とかいう無理難題よく許されたよなぁ……。


 京次郎はそんなことを、ふと思った。


 鞘からすらりと抜かれた二尺三寸七分約71cmの刀身は水に濡れたようにひんやりとして非常に滑らかな輝きを発していた。日本刀は元より芸術品としても高値で売買されている、それがこの京次郎は許せない。


 日本刀とは切れ味こそがすべてである。


 それ以外の価値はなんら意味がない。そう豪語するほどに京次郎はこれまで刀はよく斬れるものを好んだ。


 だからこそ、妖刀として名高い村正と京次郎――この二つの存在は巡り合ったのかもしれない。


 重ねは厚く、ずしりと重い。刃は入念に立てられて非常に鋭利だ。


 正しく剛刀と呼ぶに相応しいそれを、京次郎は上段に構えた。


「ほぉ、この我を前にしてもひるまぬか」


 大男が愉快そうに笑った。


「正直にいって怖いですよ。あなたは、これまで出会ってきた者たちの中でダントツに強い。バケモノと呼んでもいいぐらいに、ね」


 京次郎も不敵な笑みを返した。


「だからこそ、こんなにも魂が高揚しているんですよ。未だかつてない強敵に今日ここで殺されるかもしれない。そう思うほどの相手とこうして今から死合えるんですから!」


「……なるほど。どうやら我が想像していた以上に貴様は戦いに魅入られているらしいな。人間として生まれていなければさぞ、素晴らしい闘神になっていただろうに」


 大男の殺気がわずかにだが薄れた。


 その言霊はどこか惜しんでいるようにも見受けられた。


 だが、大男はすぐに京次郎を鋭く見据えた。

氷のように冷たく鋭い眼光は、さながら獲物を狙う猛禽類が如く。


 それを目前に京次郎は小さく呼気をもらした。


 深く息を吸う。しばしの静寂が流れる。


「――、疾!」


 京次郎は鋭い呼気と共に砂浜をどんと強く蹴った。


 両者の間にあった距離はたちまち零へと縮まっていき――そして跳躍した。


 大男の身の丈をあっさりを超える跳躍力は超人と言わざるを得ない。


「馬鹿が! その程度でこの我を倒せると思ったのか!?」


 大男の剣が跳ね上がった。


 上空という足場の効かぬ場所では、自由に身動きが取れない。


 言ってしまえばそれは、どうぞ狙ってくださいと自らそう言っているのも同じである。


 故に京次郎の策が愚行であるがために、大男の言霊には呆れの感情が強くあった。


 巨大な刀身がごう、と大気を唸らせた。


 地から天へと昇るそれはまるで龍のようである。


 すべてを両断せんとする太刀筋は剛撃と呼ぶに相応しい。


 いかに村正であろうと、鉄塊と比較すればどちらが簡単に折れてしまうか一目瞭然だ。


 実際は――。


「どこを狙ってるんですか?」


 京次郎はまだ生きていた。


 大男の切り上げは空中にいたはずの京次郎を捉え損ね、虚しく空を斬るだけに終わった。


「なに……?」


 大男の顔にほんのわずかにだが驚愕の感情が滲んだ。


 目の前にいたはずの敵を斬ったはずなのに、その手応えがまるでない。そればかりか未だ健在であり何故か地上にいる。二つの疑問が大男に襲い掛かる。


 そしてこの機を逃す馬鹿はいない。京次郎は村正を素早く横に薙いだ。


 ひゅん、と鋭い風切音が一つした。


 村正の太刀はそれはもう大変よく斬れるとして都では有名であった。


 村正に非ずは真の日本刀ではない、とこう豪語する輩も決して少なくはない。


 その村正が折れた。おそろしいほどあっさりと、長年共にいた半身が見るも無残な姿となって四散する。


「嘘だろ……」


 あの村正だぞ……?


 それが、こうも呆気なく折れるのか……?


 京次郎は唖然とした。


 甲冑ならばまだ理解のしようもあっただろうが、生身の肉体にへし折られたとあっては驚愕せずにはいられない。


 どれだけ固い筋肉をしてやがるんだ……!?


 京次郎はすこぶる本気でそう思った。


「……なるほど。であるこの我の目をも欺くとは……おそろしい剣の腕前よ」


 大男がにしゃりと不敵に笑った。


 次の瞬間、強烈な衝撃が京次郎を襲った。


「あっ……」


 腹部を巨大な刃が貫いた。


 不思議と痛みがない……。


 薄れゆく意識の中で、京次郎は視線をゆっくりと下ろした。


 美しい白刃が根元まで深々と突き刺さっている。致命傷だ。誰の目から見ても助かる見込みは皆無であった。


 ここで死ぬ。その事実を目前にして、だが京次郎は不敵な笑みを浮かべてみせた。


 最期にこんなにも強い武人と闘えるなんて……。


 京次郎は己よりも強い相手をずっと渇望していた。


 若くして天才と謳われ、その評価が噂ではないことを結果として多く残してきた。


 それこそ、天下無双に最も近いとまで謳われた剣豪をも京次郎は己が剣で屠っていた。


 でも……。


 京次郎は歯をきゅっと食いしばった。


 やっぱり勝ちたかったな……。


 どうやら自分は心底負けず嫌いであったらしい。今更感が否めずとも己という事実を知った京次郎は、そっと瞳を閉じた。


 視界はとうに深淵に闇に包まれた。聴覚だけが異様に機能していた。


「――、もしもし? 今終わった。これより魔剣を……なに? 対象者が違う? こっちの不手際だと!?」


 いったい誰に、なんの話をしているんだ……?


 そんな疑問を最期に、京次郎は意識を完全に手放した。


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