8/29 13:29

≫≫仮名昏町かなぐれまち秘密基地プラネタリウム→喫茶リピディア、陸上鑑くがうえかがみ

 嫌な話を聞いた。軽い気持ちで関わった歪が見える彼女は――幼いながらもとてつもなく重たいものを抱えて生きていた。

 歪が視認できる人間というのは、ある程度人間の闇について知っていたり、そういう感情に深く触れてしまった経験があるそうだ。彼女は――うたいちゃんはその条件を軽々クリアしていると言って過言ではない。


 ただこの話、単純にお涙頂戴可哀想ですねで終われないのが拙い。

詳しく聞くと、彼女の姉が上京するまでは両親は普通だったらしい。責任感の強い真面目な姉が少し除け者気味ではあったが、少なくともこの2、3年の状況よりはずっと普通の家庭だったらしい。では、この話の中でおかしなところは全部で3つ。

1、なぜ上京後、突然彼女の外見は変わったのか。

2、両親から出る歪の量が変化した事には具体的に何のきっかけがあったのか。

3、――この少女は何を隠しているのか。

 正直言うと、現状この少女は何かがおかしい。その原因が分からないのだ。恐らくそれが分かれば1と2についても分かるはずなのだが。――何か手掛かりは。

「……それで今、ご両親はどうしてるの?」

詳しく聞きそびれた核心をつく。先ほどまでとめどなく号泣していたはずの謡ちゃんの顔は、全く涙の跡を感じさせなかった。この子本当に小学生なのだろうか。まぁさておき、ここまでの話を聞く限り、今彼女は姉と2人暮らしだ。わざわざ上京して実家から逃げた姉が家に帰ってきている、ということは恐らく……。

「居なくなりました。ある日突然。」

 6月梅雨の日、学校から帰ると2人とも居なくなっていた、そう彼女は言う。

「家じゅうの窓が開け放たれてて、雨が全部吹き込んでたんですけど、その代わり黒い液体は無くなってて――。」

 私は思わず溜め息をつきそうになった。先ほどからこの子、話の流れで何か言いかけてはやめている。唇を強めに噛んで、目線が少し泳いで。私はそっと髪を撫でながら話の続きを待った。

「――ごめんなさい。……ほんとは、居たんです。父さんも母さんも。居はしたんです。」

「居はした、って?」

また謡ちゃんはバツが悪そうに黙ってから、小さな声で言った。

「和室に2人は立ってました。けど、なんかもう、――人じゃ無かった。」

 頭のてっぺんからつま先に至るまで、あの黒い液体が渦を巻きながら覆いかぶさっていて。もはや人の形をした黒い液体だった。そう言った。

「……っ。」

 ぞくっとした。渦を巻いていた――すなわち、その人型個体は相当量の歪から成っているということになるのだ。

「びっくりしちゃって、ただ見てたんです。そしたら――勢いよく2人が1つになって、渦を巻いて……。」

 そう言って、謡ちゃんは自分の掌を見た。その行動に何の意味があるのか分からなかったが、すぐに謡ちゃんは言った。

「爆ぜるみたいに消えました。それから両親は家に帰って来てないんです。」

 そう言って、謡ちゃんは私の顔をまっすぐ見た。――私は思わず目を見開いてしまったかもしれない。

「……わかった。」

 反射で声が漏れる。謡ちゃんは首を傾げた。私は直ぐに取り繕って違う話をした。けれど、気づいてしまったことがあった。


 扇崎謡という少女からは、全く持って歪が生まれていない。

今日目をまっすぐ見て気づいた。あれほど気持ちの悪い身の上話をしたら、少しは両親に対する負の感情が歪として吐かれてもおかしくないのだ。それなのに彼女には思い切りそれが欠如している。それはとてもおかしい事と言って良い。

 彼女の目は琥珀色をしている。透き通るような、飴玉みたいな眼球。その中心の瞳孔に渦が巻いているのが見えてしまった。あまりにも真っ黒で複雑な渦だ。朱雀すざくちゃんに言わせると、死相だろうか。渦の色や速さが酷いほど死が近いらしい。彼女の目の中には、あと2秒後に死んでもおかしくないレベルの死相が渦を巻いている。のに、平然と喋って微笑んでいるのだ。人間の所業とは思えない。

 彼女は、己の体の中に尋常じゃないほどの力の歪を飼っている。もしやすると、それ故に――謡ちゃんには感情が無いのかもしれない。

 私が何となく感じていた違和感は恐らく――彼女の作り物の様な雰囲気だろう。ちゃんと笑うし、ちゃんと嬉しそうに、楽しそうにしたりすることはできる。だが、それは表情や声がそう整えられているだけなのだろう。

 ここから先は私の憶測だ。勿論本人に言うつもりはないし、あくまでも私の勝手な妄想である。

 ここまで綺麗に感情が存在しない人間は、恐らく周囲に与える影響も恐ろしいものだろう。扇崎家に姉という存在があった時は、姉を除け者とすることで謡という存在を直視しない様にやり過ごしていた。だが姉が居なくなり、それは崩壊。無感情の権化のような人間の存在が浮き彫りになり、嫌でも彼女の異質さに触れなくてはいけなくなった。

 無感情の権化、というのは、人に対して死の淵に立つような感情を与えられるのだ。感情がない人間というのはそれほど恐ろしいもので、そんな人間の傍にいることは精神崩壊――歪としての異形化が起きるのもあり得ない話ではない。

……まだこの仮説は足りない。謡ちゃんの外見が変化した事の説明が付かない。

 けれどまぁ、とんでもないことに関わってしまったということだけ分かった。恐らくこの町の歪の量がおかしいのは――

「鑑さん。……父さんと母さん、もう戻ってこないですか。」

 心配、不安、嬉しさ、悲しさ。そういう感情が滲みでても良い様な言葉だったのに、謡ちゃんの目は死んでいた。本当に何とも思っていないんだな。……さっき泣いていた時は少し感情が見えた気がしたのだけど。そう思いながら改めて謡ちゃんを見る。

 扇崎謡。小学6年生。色素の薄い白っぽい髪と、丸っこく大きな琥珀色の目。透き通るような白い肌と細い手足。あどけない面持ちとは対照的な、目の中の闇。――背筋に恐怖とは違う感覚が走った。

 天使――言うなら堕天使の様なその忌み子に、どうやら私はもう深く惹かれてしまっているみたいだった。


「こっ……ここが、リピディア……。」

 謡ちゃんに連れられて訪れたご実家は、朱雀ちゃんから噂を聞いていた喫茶店だった。私は思わず、口の中の唾液の量が増えるのを感じた。

「とりあえず、風呂も電気も好きなように貸すので。姉さんには適当に誤魔化しときます。」

「ありがたい……けど、平気なの?」

「はい。多分鑑さんなら姉さんとも話せますよ。」

 この子今、まるで自分が姉と会話できないみたいな風に言ったな。まぁあのサンドイッチからして仲が良い姉妹ではないのは明白だけど。

「謡ちゃんは……お姉さんのこと好き?」

「んー、尊敬はしてます。あの人は私と違って器量が良いですから。」

 まぁ感情が壊死してる子に聞いても、返答としてはこれぐらいが上出来か。私はひとまず、謡ちゃんの後に続いてお店に入った。

  からんからん

「ただいま姉さん。」

「おかえり謡。――そちらは?」

……カウンターの向こう側に凛々しい巨乳のお姉さんが立っていた。焦げ茶色の髪を低い位置で団子にまとめて、四角い眼鏡を掛けた知的そうな見た目の、涙ぼくろがえr……。失敬取り乱した。要するに綺麗な美人なお姉さんという事だ。うん。

 ……いやそう言う事じゃ無い。今私の癖……じゃない、好みはどうでも良いんだ。そこじゃない。――扇崎姉妹はあまりにも顔が似ていない。それが第一印象だ。

「初めまして、陸上と言います。ちょっと仕事の様でこの町に来たんですけど道に迷ってしまって……。謡ちゃんに案内してもらったんです。利口ですね彼女。」

 ぺらぺらと出て来るホラ話に驚いたのか、謡ちゃんは私の方をじっとりとした目で見ていた。私はなるだけそれを視界に入れまいとお姉さんに笑顔を向け続ける。

「差し支えなければ、今晩泊めていただけないかと思っているのですが……。」

「はぁ……、えぇまぁ、構いませんが……。今日はその、何か団体でここにいらっしゃってるんですか?先ほども同じスーツの方が、うちでお食事されていったのですが。」

「え。」

 ……あぁー、拙い。絶対怒られる奴だこれ。ズボンのポケットに突っ込んである昨日の夕方に充電が切れた携帯の感触が少し重くなる。今私は半日ほど音信不通なのだ。多分、朱雀ちゃんが呆れて誰か使いに寄越したのだろう。

「ちなみにそれ……どんな人でしたかね。」

「え、あぁ……茶髪の、女子高生みたいな人でしたよ。月山つきやまさんと仰いました。」

 ……なんだ、もう雅空がくが口説いた後か。つまんねぇな。

「鑑さんこれ。充電器どうぞ。」

「あ、ありがとう謡ちゃん。使わせてもらうね。」

「はい。――姉さん、風呂沸かしても良い?」

「いいよ。あ、タオルも新しいの卸しておいてくれる?」

「うん、分かった。」

 そう言って、謡ちゃんはカウンター向こうの扉に消えて行った。どうやらその扉で家と店が繋がっているらしい。扉越しに見える部屋は少し暗かった。私は埃が付いた自分の眼鏡をワイシャツの袖で拭いながら、肉眼でチラリとお姉さんを見る。――ちゃんと見たら年に似合わない疲労感が漂っている。

「いやぁ本当すみません。突然な事で驚かせてしまいましたよね。」

「いえそんなことは……。というか、お尋ねしてもよろしいですか?」

「はい、何でもどうぞ。」

 ちゃんと事実を答えるかはまた別ですが。眼鏡を掛け直してレンズを通しお姉さんに向き直る。……おっとこの人、結構歪だらけだな。そら疲れるか。

「陸上さん……と仰いましたっけ、どうやって謡とあんなに仲良くなられたんです?」

「え、と言いますと?」

「いえ……。あんなに謡、中々見ないので。」

 そう言ってから、お姉さんは自分の失言に気づいた様だった。やっぱり謡ちゃんの感情欠如は見る人が見れば分かるのだろう。ましてや実の姉、彼女の異質さを拭うために虐げられてきたとなれば。妥当な歪の量だし、妥当な感情だ。ただまぁ人が良いのか、それを必死に抑えようとしてるのが見て分かる。

「そうなんですか、へぇえ。いつもあぁいう子なのかと。ご立派な妹さんですね。」

「……えぇ、まぁ。ありがとうございます。」

 わぁ、不服そう。人が良いゆえに顔に出やすいんだなぁこの人。……少し踏み込んだら何か聞けないだろうか。お姉さんにも歪が見えている可能性も無くはない。

「ところでお姉さん、下のお名前は?あちなみに私は鑑、といいます。」

「かがみ、さん。いいお名前ですね。えと……私はまいです。」

「舞さんですね、覚えました。――あの、ご両親は音楽関係か何かなんですか?」

「いえ。ただまぁ、音楽鑑賞は2人の共通の趣味だったので。少なからずそういう影響は受けてるかもしれません。」

「へぇえ、いいですね。姉妹でうたい、まいとは。綺麗ですね。」

「ふふ、言われてみればそうですね。」

 柔和そうな目元がふにゃっと緩んだ。……本当に謡ちゃんのお姉さんなのかこの人。不思議なこともあるな。

「かがみさん……は、ご兄弟とかいらっしゃるんですか?」

「あー……、兄が1人。もう疎遠でほとんど会ってませんが。」

「そうなんですか。」

 ……久しぶりに、脳裏に兄貴の姿がよぎった。実に久しぶりだ。最後に会ったのはいつだっけと思いを馳せる準備をしたとき、充電が切れて動かなかった携帯が意識を取り戻してけたたましく振動した。

「……げぇっ。」

 とてつもなく大量の通知が溜まっていた。……何でだよマジ。確かに特異対策室は死と隣り合わせな任務もある。けど、新人が入って来たおかげで命の安否は魔道具越しに表示されているはずだからそんなに心配することも無いと思うのだけど。とりあえず朱雀ちゃんに電話してみることにした。

「……あ、もしもし朱雀ちゃん?」

――『おぉ、無事だったか鑑。今何してる?』

「いやぁ、こっちで友人が出来てさ。その子のお家にお邪魔している所。昨日は悪かったね、1泊野宿だったから。」

――『それはご苦労なことだな。』

「ん、てか朱雀ちゃん私に凄い連絡して来てたんじゃないの?」

――『ちゃんと見ろ。多分それは全部雅空からのだ。あいつにお前の予備の弾と追加の資料データも持たせてお使いさせたんだが会ってないか?』

「……会ってないね。あとで電話してみるよ。ありがとう。」

――『まぁ生きてるなら構わないんだが。……ちょっと厄介なことになってな。』

「ん?」

――『対策室のお前のカウンター、調子が悪くてな。石の数が秒刻みで変化し続けてる。急に増えたり、かと思ったら1つも無くなったりが昨日の昼頃からずっとだ。もしやお前が変な呪いにでもかかってるんじゃないかと思ってたんだが。』

「……はは、まじか。怖いなそりゃ。」

――『一応叢雲むらくもに修理させているからそろそろ直りそうだ。まぁまた何かあれば電話しろ。』

「わかりましたー。じゃあね。」

 そう言って電話を切る。終わってから溜め息を付いた。

やはり何か大きな渦に、私は巻き込まれているらしい。

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